オースティン・ブラウン:感謝の思い出

グラミー賞ノミネートの実績のあるプロデューサーでシンガーソングライターのオースティン・ブラウンが、彼の亡き叔父から得た、目標や献身、レガシーについての深い教訓についてエッセイを記している。

選ばれるということは興味深い複雑さだ。人が実践すべき一つの知識がある。アイディアの種とその種がそうあるべきものに成長することを許容する環境での定期的な水やり。そのプロセスにおいて、繊細であればあるほど植物はより深く根を張らなければならない。その軌道に影響しかねない自然の現実を生き延びるために。

叔父マイケルはそうなるように選ばれた。

ごく初期から、歴史やアートそして境界を拡大することへの彼の愛はとても献身的だった。それは、彼の存在を超える目的を知ることによってのみ推進された。彼が亡くなって14年、私たちはいまだ、彼の芸術表現のすべての側面を通じて、彼が遺したものを研究し分析し学んでいる。

祖父ジョーがその旅路の終わりに差し掛かった時、私たちは人生や原動力や連携についてたくさん会話をした。祖父はとても複雑な人だった。彼はその環境のせいで、真の貧困から彼自身と家族を成功へと押し上げて人類の富を超えるという、ほとんどの人が経験することのない物事の両面を見た人だった。ある日彼は私にこう言った。「オースティン、お前の意見のいいところが何かわかっているか?物事は全体を見なければならないんだよ」。

青写真や前例がない状態で瞬時に舵取りしなければならないということ、そして、多くの人々が頼みにし、後を追おうとする前例を打ち立てなければならないということを考えた時、それはとてもシンプルかつパワフルなものだった。 もしマイケルのソロアルバムを通じてジャクソン・ファイヴの音楽とエンタテイメントがない現実を考えてみると、そこにはエンタテイメントの見方や解釈について大きな違いがあるだろう。

だから、人がどうやってその存在以上の足跡を残すのか。それは熱心さと愛だ。マイケル叔父さんは、キッチンのカウンターでした夜更けのたくさんの会話の中で一度、思うことの力とひとが何を生み出せるのかについて私に説明してくれたことがある。その時はあまり理解しなかったが、目的を追うことの重要さと何でも可能であるということを彼は私に説明してくれた。本当に何でも可能だと。

ごく初期のころから、叔父はプレッシャーにさらされていた。それが、醸成される彼の天賦の才に水をやっていた。彼の人生を振り返ると、彼はプレッシャーに感謝していた。なぜなら、プレッシャーは彼を史上最大の偉人へと成長させる手助けとなったからだ。彼は世界の共通言語というものを違う理解の仕方をしていた。そして、説明はできないが、彼は湧き出る泉だった。彼はレガシーを理解していた。そして常に自分の存在を超えるレガシーを残すと表明していた。「オーギー(祖母がつけた僕の家族のニックネーム)、君のおじいさんは天才だ。彼が僕たちを押さなければ何一つ起こっていなかったよ」と彼はかつて私に言った。

私はその時は知らなかったが、この稀な出来事において、彼は自分を現代の音楽の王者とする一助となったそのプロセスというものへの感謝を表明していたのだ。私はある日彼に質問した。何か変えられるとしたら、変えるかと。即答した彼の答えは、「いいや、僕は、生み出され、選ばれた自分を愛している。常に誇りに思うんだ、オーギー。自分が誰であるか、自分たちがどこから来たのか」。

だから、65歳おめでとう、と言いたかったこの日、私はマイケルが残したアートの中にある愛について振り返り、考える。研究し分析し創造し続けるために。そして、私たちが彼のマジックを最初に目撃した時に彼が植えた種について考える。

私たちの多くには、マイケルの音楽を初めて聴き、目撃し、練習した時の、そして彼の音楽に合わせてダンスをした時の物語がある。私たちの多くには記憶がある。その記憶は感謝である。だが、それをもっと意味深いものにしているのは、それはすべて一つの考えをもとに始まっているということだ。そのことは私たちに思い出させる。どのようにして目的を追うか。大小は問題ではない。そのことが、周囲もそれぞれの目標を追うよう促すということに繋がりうるということを。

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Source:BET.com
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