クインシー・ジョーンズ、BAD製作を振り返る(その1)

クインシー・ジョーンズはマイケル・ジャクソンと出会うころにはすでに様々なジャンルにおいて幅広く多数のキャリアを築き上げていた。ディジー・ガレスピーのツアーに参加し、フランク・シナトラの「Fly Me to the Moon」で編曲を担当、自身のグループを率いてアレンジを担当、レイ・チャールズのアルバム「Genius + Soul = Jazz」では自身のグループを率いて映画やテレビ番組のスコアを手がけ、そしてビッグ・メイベルの「Whole Lotta Shakin' Goin' On」や、レスリー・ゴーアの1963年から64年にかけての4連続トップ5ヒットを記録したシングルにおいてはポップ・ミュージックの才覚を発揮している。

ジョーンズは全ての経験をジャクソンとの作品完成につぎ込んだ。そして二人はポップ・ミュージック史最高のデュオとなったのである。1979年から1987年までの間に、ジャクソンはジョーンズがプロデュースをした「Off The Wall」、「Thriller」、「Bad」の3作を続けてリリースした。そしてこれらは数え切れないほどの売り上げとなり、アメリカでの9曲のナンバー1を含む17曲のトップ10ヒットを記録した。30周年を迎えた「Bad」を祝し、ジョーンズがこの歴史的LPについてローリング・ストーン誌に語った。

仕事を始めるにあたり、あなたとマイケルはBadのビジョンについて話をしたのですか?
そういう風に仕事は進まないんです。曲によって違う。歌というのはパワーなんですよ。歌にはパワーが備わっている。私が学んだことから言えば、メロディーとは神の声なんです。それこそが捜し求めているもの。お金や名声のためにレコードを作ったことはただの一度もありません。それで失敗するんです。お金を追い求めていれば神は出て行ってしまう。そして、お金をどう得ていくのかわかっていない・・・そんなことでは得られないのです。直感に従わなければなりません。84歳にして私が学んだことがあるとすれば、それは、大抵のことは何もする必要がない。それは聖なる神の介入なのです。

レコード製作において、自分の考えを持ち込もうとする人がいます。私は、とか、私にとって、とか、私のとかね。物事はそんな風には進まないんですよ。私たちは、私たちにとって、彼らは・・・・いつでもチームなのです。チームに深く関わるほど、プロジェクトはうまく行くものです。素晴らしいプロセスですよ。私はずっとそうしてきました。ただ、60年代にレスリー・ゴーアと仕事をした時は、気に入らない曲が2位と6位と11位となりました。トップ6のレコードを作ったって言う人を聞いたはないでしょう?トップ11?ないない。もし2位だったら、1位を取りたいものですよ。

どのようにして偉大なチームを集めたのですか?
マイケルと仕事をする以前から、私にはスーパースターのチームがありました。ジェリー・ヘイ、ロッド・テンパートン、ブルース・スウェディーン、グレッグ・フィリンゲインズ。マイケル以前からのチームです。こいつらは世界最高の奴らですよ。

考えたこともありませんが、プロデューサーの責務の一つは、何があらゆる点で最高であるかを知るということです。プロデューサーの仕事はハードですよ。本当にね。チームの関係者全員を同じ方向へ向かわせることができれば、素晴らしいレコードが作れます。

あと、曲に対して誠実であるということも必要です。私のミュージシャンたちはみんなどのように考えていますよ。自分の担当でなくても、何がしてしまう。ジェームス・イングラムの「One Hundred Ways?」を思い出してください。私はジョージ・ベンソンとレコーディングしようとしていました。でもCセクションがなかったんです。ジョージ待ちでした。そこでジェームスのためにとロッドが別の部屋へ行き、1時間でCセクションを書き上げてきました。それでも彼はレコードに名前を記すこともなく、クレジットも求めませんでした。こういうひたむきさを持つべきなのです。そうでなければ神は電話に出てくれませんよ。

チームやアーティストにとっての最善をどのように知るのですか?
ビジネスでの経験からですね。私はビッグ・バンドからスタートし、ゴスペル・カルテットやビーバップ(私はビーバップのジャンキーでした)を経験しました。あれは革命的ムーヴメントでした。私は70年もこの中にいます。とても長い時間です。ありったけのミスをすればそれだけ学ぶことができる。間違いをしなければ学ぶことはできません。私はありとあらゆるミスをしました。あらゆるミスです。でもマイケルと会うころまでにはすべてのミスをやっていたのです。Thrillerは50歳の時、シナトラと仕事をした時は29歳でした。

アルバム「BAD」の選曲の基準は?
お話ししましょう。「Off The Wall」ではマイケルは「Don't Stop 'Til You Get Enough」や「Working Day and Night」を書きました。それから「Get on the Floor」のある部分をルイス・ジョンソンと一緒にマイケルに書いてもらいました。というのもあれはブラザース・ジョンソンの素晴らしいやつのミドルの部分だったのです。「Thriller」では彼は「Beat It」を書きました。最後にやったやつですね。それに「The Girl Is Mine」、「Billie Jean」、「Wanna Be Startin' Somethin」も彼が書きました。

(彼の生活での)騒動が大きくなってきたので、心から正直な正直なアルバムをやるべきだ、全部自分で書くべきだと思うと彼に言いました。「BAD」でそう提案したのです。彼は2曲を除いて全て書きました。私は、彼とスティーヴィーのデュエット(テリー・ブリテンとグラハム・ライルの共作「Just Good Friends」)でミスをしました。あの曲はフィットしませんでした。でも「Man In The Mirror」はとても良い出来でした。サイーダ(・ギャレット)は私の13人のソングライターの一人です。私はミーティングを開き、自分をよりよい人間にするための世界的アンセムを彼らに頼みました。そして彼女が「Man in the Mirror」を(グレン・)バラードと書いたのです。一気に書き上げました。彼女がやったのです。このアルバムの最高の曲です。そして全ての曲がビッグでした・・・5曲のナンバーワンを出したのです。

(その2へつづく)
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