プリンスとマイケル その対抗意識と革命(その1)

同世代の中で飛びぬけた二つの才能がソング・ビデオ製作をめぐって競うという素晴らしい対決が見られていただろう。グローブの男対パープルの男、キング・オブ・ポップ対ヒズ・ロイヤル・バッドネス、マイケル・ジャクソン対プリンスだ。

1986年9月、2人のポップスターは行き詰まり状態について話をするために会った。その月の初旬、ジャクソンの画期的4-DSF映画アトラクション「キャプテンEO」が、ディズニーワールドとディズニーランドの観衆に向けてお披露目された。フランシス・フォード・コッポラ監督(製作はジョージ・ルーカス)によるこの映画は、とりわけ、この業界におけるジャクソンの名声というものを誇示するものであった。「Thriller」の余波の中、アーティストや映画製作者、それに企業は彼と仕事をするというチャンスがあれば何でも飛びつく状況だった。彼が関わったものはすべてが金に変わると思われた。数か月にわたる「キャプテンEO」ののち、ジャクソンは、期待が高まるニューアルバム「BAD」のレコーディングとショートフィルムの製作で忙殺されていた。

一方プリンスは同じ年の初夏に、音楽映画「Under the Cherry Moon」(とサウンドトラック・アルバムの「Parade」)を発表した。美しいコート・ダジュールを舞台としたプリンス自身の監督による定形化されたモノクロのロマンティック・コメディードラマであったが、この作品は、興行成績(と大部分の評論家による評価)においては大評判とはいかなかった。しかしながらこの映画がアート面で志向したものは明確であり、彼のキャリアの中でも最も成功したものの一つ、ファンキーなナンバーワン・ヒットの「Kiss」を生み出している。フランスより帰ると、創作意欲の波に乗ったプリンスは3枚組LPを企図した楽曲群に取り組んだ。「Crystal Ball」と題されたこのアルバムは、のちに批評家に絶賛された傑作「Sign O’ the Times」へと発展していった。

1986年は、プリンスとマイケル・ジャクソンは各々がゲームの頂点にいた。音楽におけるマジックとバードである(※NBAのマジック・ジョンソンとラリー・バードのライバル関係になぞらえている)。2人は画期的アルバムによって台頭した。「Thriller」と「Purple Rain」だ。2人はインタビューをほとんど許可せず、またエキセントリックさを醸し出し、イメージを絶えず変化させることで神秘的雰囲気を構築した。2人はオーディエンスを常に考えさせた。他の80年代スターたちは、マドンナやブルース・スプリングスティーン、ボノでさえ、2人と同じレベルで一般を魅了することはなかった。

もちろん、一般の興味は2人の謎めいた関係に対してのみ増していった。80年代を通じて数多くの記事が書かれた。事実の場合もあったが、ほとんどは彼らのライバル関係に関する架空のスクープであった。National Enquirer紙(アメリカのタブロイド紙。スーパーマーケット・タブロイドと呼ばれる程度の低いもの)は、1985年、プリンスはジャクソンが飼っているチンパンジーのバブルスをコントロールするために超能力を使っていると報じた。狂っている。

2人を比較する記事の多くは、2人を対極として描いていた。ジャクソンは無垢の子供でありプリンスは猥褻な反逆者だ。ジャクソンはモータウン出身の完成され洗練された天才であり、プリンスはミネアポリスのストリート出身の粗削りで自己流の天才である。ジャクソンは主流でセールスでは圧倒的だが、プリンスはオルタナティヴ(非主流)でアバンギャルドな挑戦者である。ジャクソンはマジックとワンダーであり、プリンスはセックスと破戒である、という具合だ。これはいろいろな意味で、チャーミングなビートルズと悪ガキのローリング・ストーンズというライバル関係の新たな形であった。

こうして挙げられた両者の差異の中には明らかな真実も一部にはあった。だが、単純化されたものでもあった。実際、彼らがライバル関係にならざるを得ないのは、彼らが似ているからだ。

2人は同じ年、すなわち1958年の夏に数カ月違いで生まれた(プリンスは6月7日、ジャクソンは8月29日)。アラバマ州モンゴメリーの公営バスの車中で、ローザ・パークスという黒人女性が白人の乗客に席を譲ることを拒否したことが公民権の時代を先導することとなってからまだ数年しか経っていないころである。プリンスとジャクソンが3歳の時、ジョン・F・ケネディがアメリカ合衆国大統領に選出された。5歳の年の3月、マーティン・ルーサー・キング・Jrがワシントンで「私には夢がある」の演説を行った。モータウンの音楽、「若きアメリカのサウンド」がラジオを席巻していた。大きな変革と可能性の時代であった。

2人は厳しい中西部の都市の出身である。ジャクソンはインディアナ州ゲーリー。シカゴのすぐ南の製鉄の町である。プリンスはミネソタ州北ミネアポリス出身。こちらも工業都市として知られる。2人の最初の家(ジャクソン・ストリート2300番地とローガン・アヴェニュー915番地)は質素なスターター・ハウス(最初に立てる小規模な家)だった。それぞれの両親はその家から大きな夢を見た。ゲーリー同様、北ミネアポリスもアフリカ系アフリカ人が多い土地であったが、ゲーリーとは違い、地元リポーターのニール・カーレンの言う「アメリカでもっとも白い都市エリア」の一部であった。

2人のルーツは南部だ。ジャクソンの両親はアーカンソーとアラバマの出身だ。プリンスの両親はルイジアナ出身である。二世代前に奴隷から解放されたがジム・クロウ法による不平等で苦しかった彼らは、そのほかの数千人のアフリカ系アメリカ人たちと同様、機会を求めて北部へ移住した。プリンスとジャクソンの父親は両方とも厳格な人物であった。家族を養うために長くつらい労働に従事していた。

ジョセフ・ジャクソンはイーストシカゴのUSスチールでクレーンの操作員をしていた。11人家族の食卓に食べ物を並べるためにしばしば残業をしていた。幼かったマイケルは、一日中働いて疲れて帰宅した父親のことを覚えている。彼の唯一の逃げ道は音楽であった。ジョセフのR&Bのバンド、ザ・ファルコンズは小さなジャクソン家で遅くまで練習し、地元のクラブで演奏することもあった。大チャンスをものにするという希望を抱いていた。これが実現しそうにないことがはっきりすると、成功するという彼の夢は子供たちへつぎ込まれた。

プリンスの父、ジョン・ネルソンもミュージシャンとして成功すると言う似た夢を抱いていた。才能あるジャズ・ピアニストであった彼は、プリンス・ロジャース・トリオというバンドを率いてミネアポリス周辺で演奏していた。しかしながらジョセフ・ジャクソンと同様、彼は生活のために過酷な肉体労働に従事していた。彼の場合はミネアポリスのハネウェルの工場である。音楽は彼の情熱であった。しかし実生活の現実が音楽に没頭することを不可能にしていた。プリンスは父の落胆を目にしながら育った。そして夢を実現できないことに怒りを抱いていた。しかしジョセフと同様、彼は子供たちに投資した。「私がプリンスと命名したのです」とジョン・ネルソンは認めている。「私がやりたかったこと全てを彼にはやってほしかったからです」。

もちろん、そのような大きな願望にはかなりの犠牲がともなった。2人とも、父親による虐待と拒絶を経験している。ジャクソンが8歳の時から大人と同じリハーサルとプレイを強要されていたのは有名だ。一方プリンスは、10代のころ家から放り出された。2人ともストイックな父親の愛を得ようと必死だった。このようなことも一因となって、ジャクソンとプリンスは休むことなく腕を磨くことに没頭した。その強迫観念はあまりに強く、時として親密で長い関係を築くことを妨げることとなった。音楽が最優先。音楽でなし遂げられると感じているという意味で、二人は救世主的であった。

似ている部分はまだある。一人ぼっちで感じやすく、スポンジのように吸収力がある子供だった。ジェームス・ブラウン、スライ・ストーン、スティーヴィー・ワンダーがアイドルだった。二人とも「クロスオーバー」なアーティストであった。音楽における融合を信じ、多様な人種のコラボレーターたちが周囲にいた。音楽を見えるようにすることが正しいと信じていた。人種や性差という概念にとらわれずにプレイし、一人の人間であることの意味を再考した。人前に出ず(時として隠遁生活をしていた)、インタビューはめったに受けず(特に80年代)、強固な神秘的イメージを築いていた。二人はきわめて厳粛な精神の持ち主であり、一時期、エホバの証人の信者であるとみなされていた。二人は壮大な門のある私的ユートピアを作り上げた(ペイズリー・パークとネバーランド)。正当な対価、宣伝活動、製作の主導権という原理原則をめぐって所属レーベルと激しく戦った。アメリカにおいて、商業的にも評価の上でもスキャンダルによる急降下を経験した。アーティストとして復活の半ばに、突然の悲劇的な死を迎えた。

しかしこうした類似点に加えてもう一つ重要なことがある。それは彼らの競争心だ。2人は大きな野心を抱き、ポップ界における自分たちの序列は気にも留めていなかった。彼らはお互いのアルバムやツアー、賞レース、レコードを意識していた。そして彼らが公に認めていようといまいと、彼らは競い、相手の上を行きたいという強い意志をプライベートでは伝えていた。特に80年代には。

(その2)へ続く
関連記事
Google検索

Google

WWW検索 ブログ内検索

プロフィール

MJJFANCLUB.JP

Author:MJJFANCLUB.JP
* このブログはマイケル・ジャクソンのNewsブログです。
EmailAddress:
info.mjjfanclub.jp*gmail.com
の*を@に変えてください。

お知らせ

マイケル・ジャクソン「ONE」、チケット ON SALE NOW!!!
Man in the Music-スパイク・リー監督推薦図書
MJJFC.JPフェイスブック (TV情報 etc.)
カレンダー
最新記事
カテゴリ
リンク
文字サイズ変更ボタン
文字を大きくする 文字を規定のサイズに戻す 文字を小さくする
モバイルはこちらから
QR
カウンター
WHAT ABOUT US
月別アーカイブ