「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その8)

リーシャ:まったくその通り。重要な点を挙げてくれました。これは、間接的ではあるけれど、マットとブラッドが私たちの理解を手助けしてくれているものだと思います。ポピュラー音楽では、レコーディングされた作品は、いろいろなやり方で、音楽作品の定義というものに挑戦しています。作曲家や作詞家、パフォーマー、プロデューサー、そしてエンジニアそれぞれの役割があいまいになり、だから時として、レコードの真の作者は誰なのか判断するのが難しくなっています。

パフォーマンスという点で言うと、「Man in the Mirror」はいい例です。この曲はグレン・バラードとサイーダ・ギャレットが作ったことはよく知られています。でも時として、「マイケル・ジャクソン作」として紹介されます。私たちが今日聞くほかのどのパフォーマンスもマイケル・ジャクソンのカバーとして理解されるという点で、レコーディングされたサウンドによっていつしか固定化されたマイケル・ジャクソンのパフォーマンスが、歌の所有権は当然マイケルにあるかのように思わせているのです。

レコーディング・サウンドに多大なる貢献をするがゆえに創作面で重要な役割を担うという意味で、レコード・プロデューサーやエンジニアたちも作者が誰なのかという伝統的考え方に疑問を呈しています。フィル・スペクターやジョージ・マーティン、クインシー・ジョーンズといったレコード・プロデューサーは間違いなくこのようにみなされています。同じようなことは革新的なレコーディング・エンジニアにもあてはまるでしょう。マーク・リネット(Pet Sounds)やジェフ・エメリック(Sgt. Papper)、ブルース・スウェディーン(Thrillerなど)がそうです。

シルヴィア:いいポイントですよ、リーシャ。ハリウッドの映画やテレビ製作と似ていますね。例えば、長期にわたって放映されているテレビ番組の主演俳優は、自身が演じる登場人物の所有権を主張するかもしれません。それが、脚本家や監督、プロデューサー、エディター、スタジオの重役らがいろいろな形で生み出した役であったとしてもです。人々に見えているのはその俳優の演技だからです。これは特に、脚本家や監督、プロデューサーが交代しても演じる俳優はそのまま、という場合によく見られます。

リーシャ:話はそれますけど一つ面白い話があって、マットによると、ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックが「The Girl Is Mine」のレコーディングでスタジオにいたそうです。

ウィラ:すごーい!それはおもしろいですね!映像とかないんでしょうかね?

リーシャ:その答えを誰かが知っているとしても言わないでしょうね!でもきっとありますよ。歴史的瞬間とはこのことですね。

Captain EOは、録音された音楽の作者は誰なのかということがいかに難しいことであるかということを示すよい例だなと考えていました。Captain EOで聴ける曲の作詞作曲、パフォーマンス、プロデュースがマイケル・ジャクソンであることを私たちは知っています。でも、レコーディングし、ミックスしたマット・フォージャーも多大なる貢献をしたことを私たちは学びました。「We are Here to Change the World」と「Another Part of Me」でのジョン・バーンズのマイケル・ジャクソンとの仕事ぶりについて、マットは「ワンマン・バンド」だったと評しています。マットはEOでは劇場音響デザイナーでもありました。史上初の5.1サラウンド・サウンドを手掛けたのです。ディズニーが特にCaptain EOのために開発した技術です。だから、彼とディズニーのエンジニアもCaptain EOに大変重要な貢献をしているんです。でもこの映画は録音された音楽作品です-実にさまざまな領域から多くの人々が貢献しているのです。

エリナー:リーシャ、私もそう思います。音楽の製作では、特に現在では、境界は曖昧です。マイケルの音楽の創作におけるブラッドとマットの関わりの大きさは、創ったのは誰か、持ち主は誰なのかということについて疑問を持たせることになりました。特に、アーティストが他者の知識・・・それから芸術性・・・を実現することを必要とする時には。この問題を解決しようと考えている中で、クラシックの作曲家については、音楽が「彼らのもの」であることを自分がどう認識しているのかということを考えました。例えば、バッハの作品を私は認識することができます。以前に聴いたことがあってもなくても関係ありません。そして、誰が演奏し、歌っているかということも関係ありません。最初の数音を聴いただけでわかるんです。それは私が彼の音楽の構造を知っているからではありません。それは、自分の経験、つまりある「フィーリング」を感じたという経験をバッハ特有のものとして聴いたと覚えているからです。そして、その感情面での経験に基づき、その音楽がバッハのものであると間違いなく認識するのです。それは彼のDNAだ、というような感じです。あるアーティストについて、そのアートを彼のものであるとすぐさま認識できるというのは偉大なアーティストの、そして偉大な芸術性の特徴でしょうか?

リーシャ:難しいですね、どのジャンルの音楽でも、良きにつけ悪しきにつけ、誰のものだとすぐわかるような特徴を持ちうるのではと私は思います。でも、ポピュラー音楽では、独特であることやオリジナルであることへの要求はとても高いのは間違いありません。そして、マイケル・ジャクソンがそのように求められていたことは疑いの余地はありません。彼が他と一線を画していることの一つは、彼独特のサウンドと、同じく印象的なヴィジュアル、そしてオリジナルのダンス・ムーヴとが組み合わされているということです。

シルヴィア:そう、ポピュラー音楽には珍しい、トータル性というものがマイケル・ジャクソンの作品にはあるんです。

エリナー:マイケル・ジャクソンのダンスは、彼を、ステージ上の他の誰とも違うものとしています。すぐにそれとわかるものです・・・それは私が受けるフィーリングというものです。それでは、マイケル・ジャクソンの音楽、つまりアルバムに収録されている音楽には彼独特の芸術的特徴が備わっているでしょうか?私は備わっていると信じています。

リーシャ:私もそうだと信じています。

エリナー:マットによれば、音楽を作っている過程では、マイケルは目標を感情的に捉えていて、それが意味するところを翻訳するのがマットの仕事だったそうです。マットがそれを話してくれたことはとてもよかったと思っています。そして、私の推測では、マイケル・ジャクソンがやったような感情的に目標をとらえるというのは他の誰もやっていないと思います。結局のところ、私の感覚としては、マイケル・ジャクソンの芸術的ビジョンのパワーはとても強く、製作過程のあらゆる面に影響を与えていたのだと思います。最初から最後まで、選曲も(他人の作品でも)、プロデューサー選びにしても、サウンド・エンジニア選びにしてもね。そして彼のビジョンの強さというものは、そのほかの重要な要因とともに、彼の音楽を「彼のもの」としているのです。それは、サウンド・エンジニアや関係者のチームワークの多大なる貢献を小さく見るものでは決してありません。

それから私が付け加えたかったのは、マイケルのビジョンや冗談好きの性格、オープンなアプローチ方法は、周囲の音に加えて「ファウンド・サウンド(ガラクタの音を取り入れるサウンド)」にまで拡大されたということです。ブラッドが、おかしいけれども痛々しい話をしてくれました。「Dangerous」レコーディング中にダンスするスペースを空けようとベニヤ板のスクリーンの位置を動かしていた時のことです。そのパネルが彼に向って倒れてきて、崩れる音、彼に当たる音をマイクが拾っていました。その音は消去されずにとっておかれ、結局リリースされたバージョンの「Dangerous」に取り入れられています。レコーディングを終えてから、脳震盪の検査を受けさせるためにブラッドが彼を病院へ連れて行ったそうです。

その9)につづく
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