「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その3)

エリナー:そう、ロマンチックなカップル誕生の兆しはありません。でも私は、そもそもこれがロマンスだとは思いません。これは、人間と自然の関わりを神話的に描写しているのです。これはよくあることですが、人間は男として表現され、自然は女として表現されます。でもEOでは、黒人も人間のシンボルなのです。伝統的手法とは言えません。私たちの社会では標準の人類とは白人男性ですから、EOが黒人であるという事実は真に革命的なのです。非伝統的な人間の表現であるがゆえに、EOは伝統的なものの見方にとらわれません。彼には新たな自然との関係というものを打ち立てることが可能なのです。搾取する対象とはしないという関係です。MJがそうであるように、EOも白人社会における黒人の変革のエージェントなのです。MJは最後にはアンジェリカに背を向けさせますが、それは結局ファンのため。これがMJなのです。

リーシャ:同意せざるを得ませんね、エリナー。EOは私たちを象徴的で神話的な王国へと連れて行くのです。暗黒の女王が自然の象徴として見ることが可能だという説は気に入りましたよ。特に、彼女は動揺のあまり、惑星を侵略し破壊している浅はかな住人たちの上に、彼女の恐ろしい破壊力を行使していますから。あのようなパワーを女性独特のものとし神格化していることについては私個人としては問題ありません。私の考え方では、神話的な言い方をすれば、自然の力というのは女性の分野に属しているのです。

でもシルヴィアの視点も十分根拠があると言わざるを得ません。このストーリーは、例えばディズニーの白雪姫のようなよく知られたおとぎ話の形式である悪の女王を比ゆ的に用いたもの、と見ることができます。シルヴィアの言うように、フェミニストの視点からは非常に問題のある、「呆れた」ものですけどね。私としては、これとは別の、このストーリーがはらんでいる問題のある解釈についても考えることも可能です。あるグループが他者を侵略・征服し、自分たちの信念や理想を押し付けているという観点です。

でも私としては、象徴という視点でもっと読み込めば、最高に納得がいく解釈が得られます。もうひとつの視点とは、ユング的視点ということになるでしょう。マイケル自信が興味を持っていた構想です。この視点から見た暗黒の女王は、EO自身の心理を投影したものとして見ることができます。このシナリオでは、主人公の旅というのは戦闘のメタファーです。人間の精神の中で行われる戦闘です。

カール・ユングによると、男の心理の暗く謎に包まれた未知の部分は、「アニマ」、すなわち内なる女性性として知られています(女性心理では「アニムス」あるいは内なる男性性となります。「美女と野獣」を考えてみてください)。アニマというのは、自我のうちでも醜く欠点だらけで誰も欲しがらない側面です。自覚し、立ち向かわなければならない側面です。そうすることで正しい自我を発現させることが可能となります。自分自身のネガティブな性向を自覚している人はまれなので、自分自身の不快で奇怪で認めたくない部分は他者へ投影してしまうのです。神話というのは潜在意識に語りかける強力な方法です・・・それはぞっとするような未知の領域。私たちはそこで悪魔の力と闘います。Captain EOという神話では、音楽が、内面に気付き、変わるための手段となっているのです。

シルヴィア、エンディングに向けての素晴らしい、そして重要なシーンをあなたは取り上げてくれました。Captain EOが暗黒の女王にお辞儀をして手にキスをし、そしてカメラの方へターンするシーンです。夜が明けて暗黒の力が消え去った喜びを表現しています。暗黒の女王は今や、善であり真実であり美しいという真の姿になっています。よく見ると、Captain EOがカメラに向かってターンするとき、暗黒の女王は彼の影に完全には隠れません。彼女は背が高いのです。Captain EOよりも背が高い(劇場では特に良くわかる)。ほんの少しの間、二人は男性と女性を象徴的に統合したように見えるのです。自意識と無意識の統合。これはしばしば悟り、あるいは夜明けとして語られます。

ウィラ:あなたの解釈は素晴らしいですね、リーシャ!

リーシャ:ユングの観点では、これはアニマの投影として知られています。たぶん、私はここでかかる曲の影響を受けてこのように考えているのでしょうね。これは「Another Part Of Me」のスタートへのキューとなっていますから。この物語には、主人公の旅をアシストする小さな協力者たちというような、神話の要素がたくさん含まれています。

ヴェロニカ:そうです。EOの協力者たちについて触れたいと思います。象のフーター、もじゃもじゃの双頭のナビゲーターのアイディとオディ、それに羽が生えた空飛ぶサルのファズボール。ファズボールは威嚇する兵士2人のムチを結んでEOを助けますね。これらの生物は人の言葉を話す仲間であり、間抜けなコメディアンということになっています。特にフーターですね。そしてフィルムに軽快さをもたらし、EOをヒーローらしくなく描いています。私たちは映画の冒頭、彼とクルーたちが船から追い出されそうになっていることを知ります。フーターとアイディ&オディは着ぐるみで人が演じています。ロボットのメジャー・ドモもそうですね。ファズボールはパペットです。ファズボールとフーターはEOでは重要な役です。

リーシャ:神話という観点では、こういう協力者たちは主人公のピンチに魔法のように登場します。どこからともなく現れ、少しだけ助けるのです。それが文字通り土壇場の勝利をもたらします。ファズボールがムチを結んだシーンがそれです。Captain EOがまさに捕われ、敗北するかに思われた瞬間、ファズボールが救うのです。

大きなスクリーンで3D効果を体験するのは素晴らしいものでした。小さなファズボールがEOに耳打ちするところやスクリーンを離れて観客のところまで飛んでくる感じがよくわかりました。なんだかファズボールと個人的なつながりができていくような感じでした。このフィルムを上映するために設計された劇場で観なければ見逃してしまうような細かいことがたくさんありましたね。

エリナー:キャプテンEOをエプコットで観るのは初めてでした。最初の体験はすごいやつにしたいと思っていて、実際そうなりました。こんなことを可能にしてくれたブラッドとマットには本当に感謝です。それからこの経験をお互いにシェアできたことも。ディズニーはCaptain EOをやめることを検討していると聞きましたが、とても悲しく思いました。

ヴェロニカ:製作側の意図通りに4DでCaptain EOを見ることは私にとって間違いなくピークの経験ですよ、エリナー。私はすっかりCaptain EOに参ってしまったと言わざるを得ませんね。私は3回観ましたが、1986年に製作されたこの映画が今でも人を惹きつけ興奮させているということで、この作品の3Dそして4D効果に感謝せざるを得ません。座席が振動するだけでなく、マイケルを威嚇するムチを感じさせるために足元に空気を噴射させています。これらの3D効果によってEOの宇宙船やファズボールが座席の前で宙に浮いているように現れるのです。

マイケルをCaptain EOとして3Dで見るのはもちろん素晴らしいです。そして、いろいろな年代の人々がこの映画を楽しんでいる様子は微笑ましく思います。私たちは外でマットと話しながらそれを見ていまいした。マットが言うには、初期の頃、Captain EOは人気ナンバーワンのアトラクションで、長い行列ができていたそうです。

ウィラ:それは間違いないですよ。80年代は私もその中にいましたから。

リーシャ:それはクールですね、ウィラ!

(その4)につづく
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