「We Are the World」30周年記念、分刻み解説(その3)

2:21 カメラはケニー・ロギンスにパンする。彼の80年代はサウンドトラックのシングルが多く、アルバムからのシングルは少なかった。前年は「Footloose」の1年、そして翌年は「Top Gun」からの「Danger Zone」の1年となる。(ところでこの時スプリングスティーンが後ろで踊っている、あるいは控え目に言っても体を揺らしているのがわかる。隣とは30センチも離れていない)。なお、非公式USA for Africaあごひげ選手権では、ロギンスは準決勝でビリー・ジョエルを破ったが、決勝では銀髪のケニー・ロジャースに敗北している。(口ひげ部門では、ジョン・オーツがライオネル・リッチーに勝利した。)

もともとジョーンズは各アーティストのソロを一人ずつ録音しようとしていた。だが時間が足りなくなりバックアップ・プランに切り替えた。21本のマイクをUの時に配置し、アーティストらに横に並んで歌わせたのだ。「こんなやり方は、ガソリンをまきながら地獄を走り抜けるみたいなもんだったよ。誰かのおしゃべりとか外の雑音とか、笑い声だったり床がきしむ音ですら、すべてを台無しにしかねないんだからね」とジョーンズは語っている。

スティーヴ・ペリー(成功を収めたソロ・アルバム「Street Talk」のためにジャーニーから離れていた)が割って入り自分のパート歌うと、ダリル・ホールがそれに続く(彼は翌年、結果的には成功とはいえなかったソロ・アルバム「Three Hearts in the Happy Ending Machine」のためジョン・オーツとのデュオ活動を休止することになる)。彼は自分のパートをソフトに歌っている。黒いシャツを着たソウルフルな彼ら白人デュオは自分たちの持ち分を最大限に生かしている。「We Are the World」は典型的なロックというわけではない。ミッドテンポのポップ・アンセムであり、居並んだスターたちにとっては自らのボーカルを聴かせるチャンスである。リッチーは、この歌を書く前にジャクソンといろいろな国家を聴いたという。ビッグで風格のあるものが欲しかったからだ。

2:41 "When you're down and out, and there seems no hope at all"とジャクソンがソロを歌い、ブリッジ部へとつなぐ。リッチーは彼の後ろで床に座り、壁に寄りかかってそのシーンを見渡している。サングラスに金のブロケードのジャケットといういでたちのジャクソンは、カメラ・クルーが室内にいるということを居並ぶスターたちの中で最も意識しているようだ。自伝「Moonwalk」で、ジャクソンは「We Are the World」の出発点についての話をしている。「僕はよく、妹のジャネットを音響のいい部屋、クローゼットとかバスルームとかに連れて行って彼女を前に歌うんです。それはまさに音、リズムであって歌詞というものはありません。のどの奥からハミングするんです。そしてこう言ったものです。『ジャネット、何が見える?この音を聞いて何が見える?』と。この曲の時には彼女はこう言いました。『アフリカの死にゆく子供たち』。だから僕はこう言いました。『その通り。僕の魂の指示にしたがってできたものなんだ』」。

2:47 ヒューイ・ルイスが次の一節を歌う。拳を振り上げ、リズムに乗る。"But if you just believe, there's no way we can fall"。ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは1985年にキャリアの絶頂にあった。彼らの最大のヒット・シングル「The Power of Love」は、ナンバーワン・アルバムの「Sports」と「Fore」にはさまれたこの年に発売されている。だがこの一節は実はプリンスに割り当てられたものだった。もし実現していれば、ジャクソンとプリンスの間のライバル心でその場の緊張感がみるみる高まったことだろう。

プリンスはこのセッションでは歌いたくなかったようだ。彼はUSA for Africaのアルバムに貢献したいとは思っており、自身のレーベル、ペイズリー・パークを代表してシーラ・Eを派遣し、あるいは自らギターをプレイしたいと思っていた。マネージャーのボブ・カヴァロがジョーンズに電話をかけてプリンスの意向を伝えると、ジョーンズは「奴のクソギターなど必要ない!」と怒ったという。カヴァロはプリンスに、セッションを欠席するのであれば体調不良と言わなければならないこと、セッションを欠席したことが知られたら評判を落とすので、AMA後のパーティーには出席できないことなどを伝えた。実は彼はサンセット・ブルバードのクラブに出掛けて行ったのだが、彼のボディーガードがケンカ騒ぎの末に刑務所に入れられるという事態となってしまった。音楽界の大スターたちが私欲を控えていた晩に、プリンスはわがままで目立ってしまったのである。彼は「Pop Life」のB面の「Hello」で自分たちの言い分を述べている。

ザ・レボリューションのギタリストのウェンディ・メルヴォインは「Let's Go Crazy」の著者アラン・ライトに最近こう語っている。プリンスが出席しなかった「本当の理由を言うことは許されていませんでした。なぜなら、彼は自分が悪い奴だと思っていて、クールに見られたいと思っていました。それに『We Are the World』のような歌は嫌なものだと感じていて、”あんな馬鹿野郎ども"とは一緒にいたくなかったのです」。

2:53 シンディ・ローパーが上からボーカルをぶちまける。彼女は最初にジョーンズに「アドリブをやってもいい?」と個人的に聞いていて、許可をとっていたのだ。喜んだジョーンズは「もちろんだよ。これは『春の祭典』じゃないんだからね」と彼女に言った。当時、大ヒットしたデビュー・ソロアルバム(She's So Unusual)からヒット・シングルを連発していたローパーは、この曲に、たとえば「Whoa-whoa-waah-let-us-realize」という鼻にかかったようなアクセントを与えている。

ジャクソン、ルイス、ローパー、そしてキム・カーンズ(ローパーは"ブリッジ担当"と呼んでいた)が自分たちのシーケンスに取り掛かり、ハーモニーを奏でている様子を写したビデオがある。ホール、ペリー、ロギンスが後ろで腰かけてそれを眺めている。リッチーが時々やってきて彼らをコーチしている。4回目のテイクの後、コントロール・ルームからローパーに向けて、「ブレスレットが多すぎるよ」と声がかかる。

「あら、あれは・・・私のイヤリング」とローパーが言う。彼女は大きなジュエリー・・・ブレスレット、イヤリング、ネックレス・・・を身につけていて、マイクがその音を拾っていた。彼女は謝りながらネックレスを外し始めたが、どういうわけかヘッドホンを最初に外すのを忘れていた。ローパーが順番にジュエリーを外してスタジオの床の上に積んでいる時、ルイスが自分のパートの練習をしながら冗談を言っている。「少し外して歌ったよ。気づく人がいるかどうか見ようと思ってね」。

5回目のテイクの後、ローパーが「私、まだ音してる?」と言う。するとスティーヴ・ペリーが社会学習の生徒のように挙手をして、明らかに感心した様子でジョーンズに言う。「Q!聞いてよ。彼女の歌にちょうど合っているよ。まるで会話しているようだ。素晴らしい」。

7度目のテイクは良い出来だった。その瞬間、部屋には自然と拍手が沸き起こった。

3:01 ルイスとローパーが加わる前、キム・カーンズが「When we」と歌う。与えられたのは二小節というごく短いソロであったが、とは言え、彼女はソロを得た。「Bette Davis Eyes」のヒットからは4年が経っていた。スモーキー・ロビンソンやベット・ミドラーといった重鎮はベンチに陣取っていた。偶然にもカーンズは(ライオネル・リッチーと同様)ケン・クレイガンがマネージャーだった。

(その4へ続く)
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