「We Are the World」30周年記念、分刻み解説(その2)

1:19 1985年当時の最大のポップスター、マイケル・ジャクソンがサビを歌う。自分自身の多重録音だ。彼は午後9時にこの多重録音を行った。その間に他のミュージシャンたちが続々集まって来ていた。この曲は「We Are the World」と題されてはいるが、ジャクソンは時折、自分の手で世界を作りたがった。彼はキラキラのソックスにグローブを合わせており、圧倒的だ。

レコーディング前、彼はジョーンズにこう尋ねていた。「クインシー、最後は『you and me』と歌うべきかな、それとも『you and I』かな?」彼らは「you and me」の方が感情がこもっていると判断した。ジョーンズはジャクソンを「スメリー」と呼んでいたが、そのスメリーは、テイクをとちるとクスクスと笑っていた。乗ってくると、彼はマイクの前で踊り始め、レコーディングに支障の出ない範囲で体を大きく動かしていた。

リッチーとジャクソンはこの曲をジャクソンの自宅で書き上げた。二人はジャクソンが子供の頃からの知り合いで、リッチーのコモドアーズがジャクソン・ファイヴのツアーの前座をしていた。昨年、リッチーはビルボード誌のインタビューで曲作りについて語っている。「マイケルの寝室の床に僕はいた。ベッドはなかったように思う。彼は床の上に寝ていたんだよ。壁には大量のアルバムがあって、カーペットとベンチがあった。最初のヴァース『There comes a time』をやっている時、肩ごしにフーッという音が聞こえたんだ。ニシキヘビの野郎がいたんだよ。大蛇、ニシキヘビだよ。種類なんかどうでもいい。でかいケツ、汚いケツのヘビだよ。僕はアラバマ出身だけど、ヘビといったら警察を呼んで撃っちゃうだろ?僕は叫んだね。でもマイケルはこう言った。『ここにいたよ、ライオネル。探していたんだ。アルバムの裏側に入り込んでいたんだね。部屋にいるのはわかっていたけど、部屋のどこなのかはわからなかったなあ』。だから僕は『君はかなり変わってるな』と言ったよ。落ち着くのに2時間はかかったね」。

1:32 「We Are the World」でペアで歌う組み合わせについては、無作為に、あるいはそれほど深くは考えられていないように思われるが、実際は、ジャンルの違いを際立たせるようには考えられていた。だが、ライアナ・ロスはマイケル・ジャクソンとは1969年からの付き合いだった(ジャクソン・ファイヴは彼女が発掘したとモータウンは主張していたが、そうではなく、彼らのデビュー・アルバムを「世に紹介」したのである)。ジャクソンはロスのヒット・シングル「Muscles」をロスのために書いた。そして月日が経つにつれて彼の顔は彼女に似るようになっていった。ヒットメーカーとしてのロスのキャリアは1985年までには基本的にピークを過ぎていたが、永遠のレジェンドとしてのキャリアを築くには十分すぎる資格を持っていた。この晩も、スタジオ入りするやいなや、彼女はボブ・ディランの膝の上に飛び乗っていた。

1:48 ディオンヌ・ワーウィックもこの当時すでに伝説入りしていたと思われるが、この年の後半に別のチャリティー・シングル「That's What Friends Are For」でナンバーワンを獲得している。この曲はエイズ研究のための資金を集めようとエルトン・ジョン、グラディス・ナイト、スティーヴィー・ワンダーらと制作したものである。そしてワーウィックにウィリー・ネルソンが加わる。彼は前年、フリオ・イグレシアスとのデュエット「To All the Girls I've Loved Before」がまさかのナンバーワンとなっていた。この晩、ウェイロン・ジェニングスやレイ・チャールズと飲み明かしていたネルソンは、このプロジェクトはグレートだが「俺たちの国の人々に対して何もしないのであれば具合が悪い」と思うとチャールズに話したことが記憶にあるという。この発言はFarm Aidとして後に実を結ぶのである。USA for Africaが与えたインパクトというのは、多くの人々・・・セッションに参加したスターたちも、レコードを聴いた人々たちも触発したということだ。自分自身の手で慈善活動の潮流を巻き起こすということを思いつかせたのである。

ネルソンはディランともしゃべったが、ゴルフをするかと尋ねると、「いや、勉強しなきゃならんと聞いているので」とディランは答えたという。

これに対しネルソンは、「ほかのことなんか考える余裕はないよ」と言った。

よく考えてみると、ネルソンはこの曲の中で最も奇妙な一節を担当している。「神は私たちにお示しになった。石をパンに変えることで」という部分だ。彼が受け持ったのは、旧約聖書の詩編第104章の、地球上の食べ物を生み出す一節なのだが、実は、神が石をパンに変えるというような話は聖書には出てこない。しかしマタイの福音書第4章にはこういう一節がある。すなわち、砂漠で40日間の断食を終えたイエス・キリストのもとに悪魔が現れ、石をパンに変えられるはずだと言ってイエス・キリストを試そうとする。キリストは「人はパンだけで生きるのではない」というまさに金言でこの企てを拒むのだ。だから聖書においては、石をパンに変えるという話は否定的に捉えられていると思われる(多くの人々にとってはそのような選択を迫られることはそうそうあるわけではないが)。「Lipstick Traces」の著者グリール・マーカスはヤン・ファン・ライデンについて言及している。すなわち1535年、封鎖に苦しんだドイツ・ミュンスターの市民に対しヤン・ファン・ライデンは、神が町中の小石をパンに変えるだろうと言った。人々は石を食べようとしたが、それがみっともないことだと気が付いた。要するに、飢餓で苦しんでいる人々に石を食べられる可能性を持ち出すことは残酷なことであろうということだ。

2:09 ジャズ・シンガーのアル・ジャロウは10音節を担当した(ちなみにこれは、このセッションをマンガ化した作品「Doonesbury」の主人公Jimmy Thudpucherが担当したものよりも9つ多くなっている。ところでこのセッションでは、出演したロックスターたちにとってはスタジオの入口が関門となっていた。領収書の要求以外のエゴは入口で預けるようにと言われていたからだ)。ジャロウは1985年に始まった「Moonlight(邦題:『こちらブルームーン探偵社』)」のテーマソングも歌っていたが、これは「We Are the World」のリリースの2日前に放映が始まっている。ジャロウはこのセッションではボブ・ディランに挨拶するチャンスがあったのだが、「ボビー、カッコ悪いやり方なんだけど、あなたの大ファンだと言わせてください」と話しかけると、ディランは目も合わさずにジャロウから離れて行った。ライフ誌のデヴィッド・ブレスキンによると、ジャロウは「僕のアイドルが!」と言って泣きべそをかいていたという。

2:14 ブルース・スプリングスティーンがマイクの前に進み、目を閉じ、そしてサビを熱唱する。スプリングスティーンのファンたちは、声こそが彼の一番の武器であるとは普通考えていない。しかし砂利を満載したトレーラー・トラックのごとくこの歌に登場した彼は、その声がパワフルな武器であることを誇示している。1985年の初頭、一つのアルバム(「Born in the U.S.A.)」)から7枚のトップ10シングルというタイ記録を打ち立てつつあったボス(スプリングスティーンのこと)は商業的にはピークを迎えていた。前の晩にはニューヨーク・シラキュースのキャリアー・ドームで4時間のコンサートをこなしている。多くのスターたちがセキュリティを引き連れてリムジンで到着する中、スプリングスティーンはピックアップ・トラックを自ら運転し、近所の雑貨屋の駐車場に車を止めて歩いてスタジオまでやってきた。

(その3に続く)
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