「We Are the World」30周年 知られていないかもしれない12のストーリー

史上最大のチャリティー・シングル「We Are the World」のためのオールスター・レコーディング・セッションが行われたのは30年前のことだ。

1985年1月28日。ハリウッド、A&Mレコーディング・スタジオ。アメリカン・ミュージック・アワードの終了後、40人以上のアーティストがある歌をレコーディングするために集合した。アフリカに広がっていた命の危険さえある困窮に関心を持ってもらうためにライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが書いた曲である。シンディ・ローパーやホール&オーツ、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイス、ウィリー・ネルソン、ティナ・ターナー、ポインター・シスターズ、ケニー・ロジャース、そしてジャクソンズ。アメリカン・ミュージック・アワードの受賞者の多くがレコーディングに参加した。

数ヶ月前にリリースされたイギリスのオールスター・チャリティ・シングル「Do They Know it's Christmas?」をヒントに製作された「We Are the World」は1985年3月7日にリリースされ、2000万枚以上が売れた。NPO「USA for Africa」が集めた7500万ドル以上の金は、アフリカ大陸における困窮との戦いの手助けとなった。1986年には最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞などグラミー賞で3冠を達成した。

「偉大な曲は永遠に続くものだよ」とプロデューサーだったクインシー・ジョーンズは言う。「地球のどこを旅しても、最初の数小節をハミングしただけで、誰でもすぐにわかる曲だということは保障するよ」。

ここに、知られていないかもしれないこの曲とそのレコーディングにまつわる12のストーリーを紹介する。

本来、ライオネル・リッチーと共作することになっていたのは、マイケル・ジャクソンではなくスティーヴィー・ワンダーだった。

「スティーヴィーに連絡を取ろうとしていたんだけどできなかったんだ」とライオネル・リッチーは言う。「スティーヴィーは精力的にツアーに出ていて、やることがたくさんあったんだ」。ジョーンズとの電話によって、スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンに声をかけることになった。「スティーヴィーの前にマイケルを捕まえたんだ。僕らは言っていたんだ、『スティーヴィーがかけ直してきたら彼にはいってもらえばいい。そうこうしているうちに、マイケルとできると思うよ』」。

ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンは、曲を書く準備のためにいろいろな国歌を聞いた。

ライオネル・リッチーは言う。「僕らは普通のサウンドの歌はやりたくなかった。大きな、とてつもなくでかいやつが欲しかったんだ」。聞いてすぐに普通じゃないとわかるようなもの、世界規模でアピールする力を持つものを作る必要性を理解していたので、アメリカ、イングランド、ドイツ、ロシアなどの国々の国歌を聞いて曲作りの準備をした。「僕らは全部を頭の中で一つのポットに入れて、世界の国歌という感じのなじみやすいリズムを作り出したんだ。親しみやすい歌と思ってほしかったのさ。一度つかめたら、ショービジネスだよ」。

「We Are the World」のレコーディング・セッションのおかげで、ライオネル・リッチーはアメリカン・ミュージック・アワードのことを覚えていない。

ただの睡眠不足のせいかもしれない。それはともかく、セッションは夜9時に始まり12時間続いた。しかしライオネル・リッチーは、あの晩のアメリカン・ミュージック・アワードのホストを務めたことや、ポップ/ロック・アーティスト賞など5つの賞を受賞したことの記憶がないと主張する。「あのドアから足を踏み入れた途端、そのことは忘れてしまったよ」と彼は言う。「あの部屋にいた人々はそれはものすごかったんだ。ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル。勘弁してくれよって感じだよ。あんな経験は初めてだね」。

とてつもない有名人の集まりだったにもかかわらず、セッションが行われていることを知っている者は少なかった。

多くのシンガーたちはアメリカン・ミュージック・アワードからリムジンで駆け付けたが、それは芸能人らしからぬ登場の仕方であった。「ブルース・スプリングスティーンは通りの向かい側のライト・エイドか食料品店の駐車スペースに乗ってきたトラックを停めていたと思うよ」とライオネル・リッチーは言う。「彼はそこに停めて歩いてきたんだ。ゲートを通れるとは知らなかったんだよ」。このようなやり方は携帯電話やソーシャル・メディアの世の中では不可能に近かっただろう。「今のご時世では秘密を守るなんて不可能だったと思うよ。「秘密の通路が必要だし、携帯電話のチェックが必要だろうね」。

シンガーたちのほとんどは、スタジオ入りするまで曲を聴いていなかった。

「MP3なんてなかったからね」とライオネル・リッチーは言う。「当時はカセットだった。送る必要があるんだよ。だからほとんどは曲を聴いていなかったのさ」。結局、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンは、一週間前のケニー・ロジャースのスタジオでの最初のセッションにようやく間に合わせた。ケニー・ロジャースですら聴いていなかったのだ。「僕らはあの晩まで何を歌うのか知らなかったんだ」とケニー・ロジャースは言う。バック・コーラスを歌ったホール&オーツのジョン・オーツはこう言っている。「聖歌のようなクォリティーだった。そして、あのような大勢でのアンサンブルも簡単にやれるシンプルなメロディーの曲だ。加えてあの場にいたのは素晴らしいシンガーたち。全く問題にはならかかったね」。

このセッションの参加者はドナ・サマーの「State of Independence」の参加者が元になっていた。

ドナ・サマーの1982年のヒット曲はクインシー・ジョーンズがプロデュースし、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、ジェームス・イングラム、ケニー・ロギンス、ディオンヌ・ワーウィックらが参加しているが、彼らは全員「We Are the World」に参加している。「僕にとっては慣れ親しんだ場所だった」とクインシー・ジョーンズは言う。「半数以上が以前に個別に仕事をしたことがあるシンガーたちだったけど、そうでなければサインするなんてありえなかったね」。

ソングライターの一人として、ライオネル・リッチ―はソロを歌う権利が与えられた。

「クインシーが言うんだ。『ライオネル、どこに入りたい』って」とライオネル・リッチ―は振り返る。「『本当かい?最初に入るよ、帰れるから』って答えたよ」。ライオネル・リッチ―によれば、このセッションの影のヒーローはジョーンズのボーカル・アレンジャー、トム・バラーだという。セッション前、トム・バラーは参加者全員のレコードを聴いてそれぞれの声域を把握し、それぞれにぴったりのメロディ・フレーズを割り当てていた。「彼らが割り振ったパートはボーカリストたちによく合っていたよ」とケニー・ロジャースは言う。「最後にスティーヴ・ペリーがやったようなやつ、あれは僕にはできなかっただろうね。よく考えられた割り振りだったよ」。

レイ・チャールズが口を開くと誰もがそれを聞いた。

「レイ・チャールズは普段と変わらず、誰からも尊敬されていたよ。変に主張することもなく」とジョン・オーツは言う。「彼はただ真ん中に立っていて、自分のパートを歌っていたよ。ライオネルとマイケルとクインシーが指揮を執っていた。彼らの歌だから。そして誰もがお互いを尊重し、完成させるべく頑張っていた。意味がないから誰とは言わないけど、プロデューサーのような振る舞いを始める人が現れることがあったんだ。『これをやってらどうだ?』、『あれをやったらどうか?』と言ってアイディアを出そうとする人がいたんだよ。うまくやるには複雑なことだったのは明白だし、コックが多すぎるとシチューは大参事になるものだ。レイはたまにあの声で『さあ、やろうぜ。マイケルの言う事を聞くんだ。こいつを完成させよう』って言ってくれてね。彼は歌うために来ていたし、失敗しかねないと感じていたんだね。彼は大いに尊敬を集めいていた。あれは本当にカッコ良かったと思うよ」。

ボブ・ディランはソロを歌う時緊張していた。

「We Are the World」のリリースに合わせて制作された1時間のドキュメンタリーには信じられないシーンがある。ボブ・ディランのソロ・フレーズ「There's a choice we're making」を説明するためにスティーヴィー・ワンダーがスタジオのピアノに座り、ボブ・ディランに向かってボブ・ディランのまねをしているのだ。「ディランは僕とスティーヴィーの方を向いて、『僕にどうして欲しいんだい?』と言っていたよ」とライオネル・リッチ―は振り返る。「僕らはみんなそんなものだった。誰かをバカにするようなことはしないようにってみんな考えていたよ」。レコーディング中にディランのすぐ後で歌っていたジョン・オーツは、ボブ・ディランがソロを歌うことに緊張していたことを覚えている。「彼はメロディーの人じゃない。でも彼のソロは特にメロディーが特徴的だった。あのようなメロディーを歌うことは彼にとっては居心地が悪かったんだと思う。彼なりのやり方で頑張っていたんだよ」。

ケニー・ロジャースはみんなのサインを欲しがった。

「一通り歌ってみて、実によくできた歌だと実感したんだ。とてもスペシャルなものだと思ったよ」とケニー・ロジャースは言う。「だからセッションのスコアを持って、みんなにサインをお願いして回ったんだ。そうすると、ダイアナ・ロスも同じことを始め、そしてみんながサインをもらおうと動き始めたんだ。それはアトランタの僕に家の壁に飾ってあるよ」。同じくサインを集めたジョン・オーツはロジャースとほとんど同じことを言っている。「コロラドのスタジオに飾ってあるよ。人が来てそれを見ると、みんな大興奮さ。全員のサインをもらったよ。レイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーのところへも行ったんだ。この時ばかりは僕は冷静だったね。僕の最高の宝物さ」。クインシー・ジョーンズはサイン入りの楽譜を書斎にかけてあるという。「それを見ると知らないうちに笑ってるんだ。そしてそれぞれの名前を読み始めるんだよ」。

あの「各自のエゴは入口で預けておく」の表示は必要なかった。

これはクインシー・ジョーンズの言葉である。「全世界の最大のスターたち46人が一つの部屋に集まっていたんだ。はるか遠くで手助けを必要としている人々を助けるためにね」とクインシー・ジョーンズは言う。「あの夜のあの経験は二度と起こらないと思うよ。人類の進歩のために人々を結集させるという音楽の力を僕は信じている。このことについては、『We Are the World』という集まりは最高の実例かもしれないね」。

USA for Africaはまだ活動中。

「We Are the World」から30年。USA for Africaはアフリカのコミュニティーのために活動中だ。近年の取り組みとしては、気候変動問題やアート・キャンペーンの取り組み、エボラ出血熱の拡散と戦うためにリベリアとシエラレオネに医薬品を送るということを行っている。「We Are the World 」で得られた印税はUSA for Africaの主要資金源である。「まだ資金が得られていますが、25年前ほどではありません」とエグゼクティブ・ディレクターのマルシア・トーマス(USA for Africa の活動の一つ、Hands Across Americaへ1986年から参加)は言う。「『We Are the World』をよく買っていただいているという意味では、私たちへの最大のサポートはアメリカ以外の国々、特に日本、アジアなんです」。

We Are the Worldの参加者(ソロ、登場順)

ライオネル・リッチー
スティーヴィー・ワンダー
ポール・サイモン
ケニー・ロジャース
ジェームス・イングラム
ティナ・ターナー
ビリー・ジョエル
マイケル・ジャクソン
ダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック
ウィリー・ネルソン
アル・ジャロウ
ブルース・スプリングスティーン
ケニー・ロギンス
スティーヴ・ペリー
ダリル・ホール
ヒューイ・ルイス
シンディ・ローパー
キム・カーンズ
ボブ・ディラン
レイ・チャールズ

コーラス:ダン・エイクロイド、ハリー・ベラフォンテ、リンジー・バッキンガム、マリオ・シポリナ、ジョニー・コーラ、シーラ・E、ビル・ギブソン、クリス・ヘイズ、ショーン・ホッパー、ジャッキー・ジャクソン、ラトーヤ・ジャクソン、マーロン・ジャクソン、ランディ・ジャクソン、ティト・ジャクソン、ウェイロン・ジェニングス、ベット・ミドラー、ジョン・オーツ、ジェフリー・オズボーン、アニタ・ポインター、ジューン・ポインター、ルース・ポインター、スモーキー・ロビンソン

「今回の30周年で最も残念なことは、これをマイケルと分かち合えないことだよ」とライオネル・リッチーは言う。「おかしなこと、ばかばかしいことがたくさん起こったよ。彼とそれを分かち合えないのがとても残念だ」。

ソース:USA TODAY
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