ビルボード・カバーストーリー:The Inside Story of 'Xscape' (その3)

コアなジャクソン・ファンならばすべての曲を知っているだろう。多くはある程度完成した形であったし、一部分、あるいはまったく全てが長い間リークされたままとなっていた。今でもネットで聴くことができるものもある。だがらといって、「Xscape」のプロデューサーらが以前に曲を聴いていたということを意味するわけではない。ティンバランドとスターゲイトのエリクセンは、リードが提示した音源を聴くところからスタートしている。そして二人は、インストのトラックを採用せず、ジャクソンのボーカルとマイクが拾ったノイズのみを使うことに決めた。

「歌っている時のブース内の彼の足音が聞こえるよ。フィンガー・スナップもね」とジャーキンスは言う。「すべてがそのまま、本物だった。『スナップは取り除いて、足音も取り除いて』みたいなことはなかったんだ。そうさ、本物だ。ブースにいる彼、自分自身を感じている彼なんだよ」。

「プロデューサーとして、彼のおかげで僕らの仕事を楽なんだよ」とハーマセンは言う。「ボーカル・トラックに乗っているすべてが、立ち上がって踊りたくなるようなものなんだからね」。

エリクセンとハーマセンにとっては、今回のプロジェクトは、アメリカのR&Bのヒット曲(メアリー・J・ブライジやマライア・キャリー、ブランディなど)をヨーロッパ市場向けにリミックスし、アカペラのボーカルに新たなインストのトラックを重ねていくという90年代後半の昔に回帰するものとなった。しかし彼らにとって楽しかったことは、ティンバランドにとっては難しいものとなった。

「行き詰ったことが何回かあったよ」と彼は言う。「とてもハードだったんだ。『マイケル・ジャクソンをやっているのに彼に聞くことができない。どうやって彼と会話すればいいんだ?』みたいなね」。彼とJロックがスタジオで「Loving You」(ネバーランドの前に住んでいたカリフォルニア州エンシノの自宅スタジオでジャクソンが書いてプロデュースした曲)に取り掛かっていた時、最初に出来上がったものは出来が悪かった。「『マイクは気に入らないんじゃないの?やり直そう。シンプルにやらないと』という感じだったよ」と彼は言う。彼らがこうした時、つまり彼が言う「ボーイズ・Ⅱ・メンを今風にした』ようなリッチなサウンドになった時、彼は「それだよ、ティム」というジャクソンの声を聞いた。「僕はあたりを見回したよ。誰もいなかった」と彼は言う。「この話は誰にもしていない。一緒だったジェロームにも。彼は『どうかした?』と言ってたけど、『いや、元気さ。ただちょっと・・・』と答えて、僕は座ったまま、『何か聞えたんだけど、おかしくなったわけじゃないぜ。何が聞こえたかは自分ではわかってるさ』みたいなことを言ったよ。彼の魂が僕と共鳴して、OKを出してくれたように思えたね」。

ジャクソンの素のボーカルに焦点を当てるということが「Xscape」の基本線となった。新たなバージョンではジャクソンが前面に出され、中心に置かれている(リードによれば「彼の声が大きくなった」)。「僕らは、マイケルにブレスさせるためかなりのものを取り除いたんだ」とハーマンセンは言う。「マイケルが歌っている。そして彼が素晴らしい音を奏でている。彼にブレスさせよう、思ったようにやらせよう」。

リードにとっては、このプロジェクトには個人的思いもあった。1956年、マイケルより2年早く生まれた彼は、ジャクソンの音楽を聴いて育った。最初に見たのはオハイオ州フェアでのジャクソン・ファイヴだった。「僕は子供だった。マイケルも子供だった。僕は彼にすっかり参ってしまったよ」と彼は言う。「リトル・マイケル・ジャクソンが口を開くと、彼の声はコンサート会場の隅々まで舞い上がっていったんだ」。

リードの記憶では、彼が初めてジャクソンに会ったのは、ロサンゼルスでのBMIのイベントだった。「彼と写真を撮ったんだ」と彼は言う。「僕はウエットなジェリー・カールの髪型で、首筋は汗ダラダラだったよ」。ジャクソンが仕事について話し合うためにリードとエドモンズをネバーランドへ呼んだのは、その後間もなくのことだ。二人はヘリコプターで到着し、秘密保持契約書に署名して(「ジャクソンを訪れた時はそれが通例」)図書室でジャクソンを待った。

「僕たちがそこにいたのは5分くらいかもしれないけど、20分以上に感じられたよ・・・期待、緊張、ドアを凝視していた。マイケルが入ってくるのを待っていた。マイケルが来る。彼はあのドアからは入ってこない。秘密のドアから来るんだ・・・本が動いてマイケルが入ってくる」。3人は音楽のことについて話し始めた。そしてどんなものが好きかということに話が進んだ。ジャクソンは、妹のジャネットのアルバム「Rhythm Nation 1814」に収録された「The Knowledge」という曲について触れた。ジミー・ジャムとテリー・ルイスのプロデュース作品だ。リードは心配になってきた。「彼が挙げる曲はジミー・ジャムとテリー・ルイスのやつばかりだった。だから僕はケニーの方を見て、『マイケルは間違った人選をしたと思う、彼はジミー・ジャムとテリーが希望なんだ』って顔をしたよ」。

だがすぐにジャクソンはエドモンズの「Tender Lover」を上げた。当時、R&Bとポップチャートを席巻していた曲だ。その日はホーム・シアターでの上映で終わった(「40年代のような、小さな帽子に制服を着た案内係がいた」)。ジャクソンとプリンスがジェームス・ブラウンのステージに出演した1983年のビデオ、続いて、プリンスの1986年の映画「Under the Cherry Moon」を彼らは鑑賞した。

彼らが仕事をスタートさせた時、ジャクソンが一曲のデモを取り上げた。ドラムとベースだけだった。そして、「これだよ。完成させてくれるかな」と言った。だがそのトラック「Slave to the Rhythm」が本当に完成したのは「Xscape」の時だった。

レーベルを経営するようになってもリードはジャクソンとは連絡を取り合っていた。そして、アイランド・デフ・ジャムとの契約についての話をしていた。「彼は僕をミスター・プレジデントと呼んでいたよ。最高なことさ」とリードは言う。二人はロンドンのドーチェスター・ホテルで会った。「彼は、『ヒット曲が欲しいんじゃない、レコードを作りたいんだ。何かグレートなことがしたい。グレートでなければ、画期的でなければ、大きなことでなければ、そして君が僕と同じくらい力を注いでくれなければやるべきじゃないんだ。でも君が僕のために全力でやってくれるなら、僕も君のために尽くすと約束する』と言っていたよ」。だがそれは実現しなかった。ジャクソンはバーレーンの王子、シェイク・アブドゥラ・ビン・ハマド・アル・ハリファと結果として短命に終わった契約に署名したのだ。

「マイケルと僕は、一緒に仕事がしたいことがわかっていながら別の道に進んだんだ」とリードは言う。「Xscape」はそれを実現するものだ。集中力とまとまりという点で、これまでに本人死後にリリースされたどのアルバムに対しても引けを取らないと言っていいだろう。ジャクソンが音楽で追い求めていた創造の自由を表現している。「Xscape」は土台からすべて、ジャクソンの声や彼が遺したもので作り上げられ、マイケル・ジャクソンのサウンドだというシンプルな理由で成功している。喜びと絶望に満ち溢れ、ときにそれらの間には区別がない。そして、亡きポップの天才の魂を、過去から未来へと運んでいる。そこは、自分の音楽が生きてほしいとジャクソンが常に望んでいた場所なのだ。

(おわり)

Source: Billboard & MJWN
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