ビルボード・カバーストーリー:The Inside Story of 'Xscape' (その2)

ジャクソンは、ノルウェー人のプロデューサー・デュオ、スターゲイト(ミッケル・エリクセンとトール・ハーマセン、リアーナやケイティ・ペリーのプロデュースで有名)との仕事を希望していた。ジャクソンは彼らが手掛けたニーヨの曲のファンであった。そして、今後のプロジェクトについて話し合うためマンハッタン・ミッドタウンの中国レストランMr.K'sで彼らと会った。「僕ら二人とマネージャー、それにブランケットもいたよ。地下室だったね」とエリクセンは述べている。

「彼は食べたかい?」とリードが尋ねると、

「食べていたよ。彼は自分のお箸を持ってきていた」とハーマセンは答えた。

リードはティンバランド(42)について、絶えず新しいことを考えているところが、独自のサウンド作りたいというジャクソンの希望に合うと感じていた。ジャクソンがそうであったように、ティンバランドは頭の中でサウンドを作り、スタジオでビートとボーカルをつけていく。そしてジャクソンのように、彼は新しい手法に対する飽くなき探究心を持っていた。「僕はいつも時代の先端をいっていると思っているし、誰も僕の手法は理解できないと思っているよ。僕は、周りのあらゆるものが音楽だと感じている。だから僕はコオロギや鳥やスプーンやドアノブや車のエンジンなんかを使うんだ。そういうものをリズムにするんだよ」。

ティンバランドはリードが最初に電話した人物だ。「僕は、『スタジオに行きたい、電話では話したくない』と言ったんだ」とリードは振り返る。二人はマンハッタンの西27丁目にある、アリシア・キーズが建設してオーナーであるジャングル・スタジオで会った。「いつものように、スタジオのコントロール・ルームには人がいっぱいいたよ。ミュージシャン、サウンド・エンジニア、アシスタント、友人たち、ソングライター・・・大勢が部屋の中にいた」とリードは言う。「僕は集団では話をしたくなかったから、『ティム、話せるかい?』と言って、外へ出て耳元で言ったんだ、これは大きなスペシャル・プロジェクトだと。『聞いてくれ、"ティンバランド・プロデュース、マイケル・ジャクソン"だぞ』」。

「彼が僕に任務を与えたと感じたんだ」とティンバランドは言う。「『君がどれほどのものか見せてくれ。マイケル・ジャクソンはどうだ?』という感じだよ」。

リード自身にとって、このプロジェクトは自分を誇示するチャンスでもあった。「エピック・レコードに来た時、僕はどうしてなのかよくわからなかった」とリードは言う。25年前にエドモンズとラフェイス・レコードを設立して以降、リードはアリスタとアイランド・デフ・ジャムでトップにまで登りつめ、TLCやアッシャー、アウトキャスト、ピンク、アヴリル・ラヴィーン、そしてリアーナがブレークしたレコードの監修を行ってきた。「ほかのレコード会社で別の仕事が必要だったんだろうか?」と彼は問う。近年の、フューチャーやコンゴス、ア・グレイト・ビッグ・ワールドのヒットのおかげでエピックは回復基調とはいえ、リードの最初の18カ月は問題山積であった。「マイケル・ジャクソンのプロジェクトを始めるまでは・・・・うまくいってなかったんだ、わかるだろ?すごいことになる可能性を秘めたことに取り組む必要があったんだ」。

このプロジェクトは、エステートとともに、ジャクソンの所有物(衣装や宝石、車からメモ書きなどまですべて)が保管された南カリフォルニアの多数の倉庫にしまわれていたレコーディング・アーカイブを調査することから始まった。「多くの曲を電子化しました。インデックスを振り、記録をとりました。すぐに使えるようにするためです」とブランカは音源について語っている。

素材が足りないということはない。全盛期のジャクソンは休むことなく仕事をしていた。スタジオを複数使い、曲から曲へ渡り歩けるようになっていた。16時間から18時間ぶっ通しということもあった。彼は演奏するというよりは歌い手である。しかし制作チームのためにコードやアレンジを歌うこともできた。自宅スタジオで作った声のオーケストレーション(ビートボックスのリズムも入っていた)のデモを持ってくることもあった。「彼の頭の中には曲全体があって、彼は周囲に、自分の元へそれを持ってこさせようとするんですよ」と、ソングライターでプロデューサー、エンジニアのビル・ボットレルはジョセフ・ボーゲル(「Man in the Music」の著者で、「Xscape」のライナーノーツも担当)に対して語っている。「彼の仕事は、ミュージシャンやプロデューサー、エンジニアたちから、朝起きた時に彼の頭の中で鳴っていた音を引き出すことなんです」。

ジャクソンはどのプロジェクトでも余分にレコーディングしており、長い時間をかけていた。のちのアルバムで復活するということもあった。「Wanna Be Startin' Somethin'」は「Off the Wall」セッションでスタートしたが「Thriller」に収録された。彼は自分自身や周囲を駆り立て続けていた。「Xscape」(オリジナル・レコーディングは1999年と2001年)をジャーキンスと制作中、ジャクソンはジャーキンスをDATレコーダーを持たせてガラクタ置き場に行かせた。新しいパーカッションのサウンドを見つけるためだ。「僕は物を叩き始めた。『お、これは曲にフィットするかもしれない』みたいな感じさ。蹴飛ばして回ったりもしたよ」。しばらくすると、そうしたサウンドが生き生きとしはじめた。彼はいつも、その次へとチャレンジしていた。それほどまでに、サウンドを生み出す方法を生み出そうと没頭していたのである。
170x170.jpg 「何度も聴きたいと思わせるようなサウンドはどこにある?」と彼はジャーキンスによく聞いていたという。「僕らは先駆者でなければならなかったんだ。そして、次のサウンドを生み出さなければならなかったんだよ」。

これらの素材に対し、リードと、ソニーのA&Rのベテラン、ジョン・デルプは明確な目標を持っていた。「マイケルが始めから終わりまで何度も歌った曲、マルチ・トラックで。そういう曲を見つけたかったんだ。なぜなら、それが、マイケルの愛着を図る唯一の目安だから」とリードは言う。リードはこのことをよく知っていた。リードとエドモンズが1989年のロサンゼルスでの「Dangerous」のセッションでジャクソンと「Slave to the Rhythm」を作っていた時、ジャクソンはボーカルを24回もレコーディングしたのである。

「しかもそんなことは一度だけではなかったし、間違った音を直したというわけでもなかったんだ」とリードは言う。「いや、彼は頭から終わりまで24回歌ったんだ。トイレも水分補給もなし。『ちょっと時間をくれ』もなし。彼は歌い、そして言ったもんだ、『OK、もう一回やらせてよ。もっと良くなるよ』ってね。それでもう一度やるんだ。『うまくやれる。別のトラックを』。そしてまた歌う。やるたびに良くなっていったね。でも13回目か14回目くらいにはよくわからなくなっちまった。何度やっても同じに聞え始めたんだ。その時点で彼はパーフェクトにしていたんだけど、彼は続けたのさ」。

保管場所を訪れたブランカとカレン・ラングフォード(倉庫のアーカイブのどこに何があるのかを一番知っている人物)は、リードとデルプの意向に沿う候補として24曲を選んだ。彼らはそれを20曲に、そして14曲に絞った。「Xscape」には8曲が収録されるが、このほかにも準備されていた曲があったのである(デラックス・エディションではオリジナル・トラックも収録される)。選別されたことは驚きかもしれないが、選択自体には驚くようなものはない。1983年にクィーンのフレディ・マーキュリーとレコーディングした曲は「Xscape」には収録されない。クィーンのブライアン・メイとロジャー・テイラーが昨年、それらの曲に取り組んでいると発言している。8月にリークされた、ジャスティン・ビーバーをフィーチャーした「Slave to the Rhythm」(ビーバーはツイッターで言及している)も「Xscape」には収録されない。

(その3へつづく)
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