ビデオ「Thriller」は制作中止寸前だった(その1)

30年前の今日(11/30)、マイケル・ジャクソンは、ミュージック・ビデオ「Thriller」を発表してポップ・ミュージック界とテレビを一変させた。

マイケルのビデオ「Thriller」は様々な記録を破り、境界を破壊し、彼にキング・オブ・ポップの称号を与え、900万以上を売り上げた。そしてMTV世代を生み出し、以後数十年にわたる音楽業界のスタンダードを築き上げた。

しかし5分12秒の曲を14分のショート・ムービーにするというマイケル・ジャクソンの時代を先取った夢は、あわや叶わぬものとなるところであった。このプロジェクトに関わったカギとなる人々がそれをここで明らかにする。

所属レコードのエピック・レコードは当初、後に史上最大のセールスとなった「Thriller」を気に入らず、ビデオに対して出資することを拒否した。

マイケルとプロデューサーのクインシー・ジョーンズ、スタジオ・エンジニアのブルース・スウェディーン、そしてロッド・テンパートンはエピックを無視してプロモーション・ビデオの制作を進めた。エピックはシングルとしての「Thriller」のリリースすら計画していなかったのである。

81年のヒット・ホラーコメディ「狼男アメリカン(An American Werewolf in London)」を真似したいと願っていたマイケルは、その監督のジョン・ランディスを起用、当時設立間もなかったMTVに出向き、このプロジェクトに投資するよう強く求めた。

MTVの勇気ある幹部たちはそのアイディアを大変気に入ったのだが、ビデオ制作費50万ドルを出すことはできなかった。

だが、チーフだったボブ・ピットナムは黒人アーティストの放映が不十分だと非難を浴びており、テレビ・スペシャルの「Making Of Thriller」を制作した。彼はその後それを世界中に売り、「Thriller」に出資したのである。

マイケルと彼のマーケティングの策略は音楽シーンにおける世界的な革命へとつながった。全てのレーベルが曲を売るためにビデオを作るよう所属アーティストらに要求することになったのである。

しかし1982年、つまりこの成功の一年前に、マイケルのアルバム「Thriller」はすでに各レコード店の売れ筋コーナーに置かれる準備が出来ていたように思われる。

伝説的プロデューサーのクインシー・ジョーンズはブルース・スウェディーンとロッド・テンパートン(前作「Off The Wall」で多くの楽曲を共作していた)に電話を入れ、ロサンゼルスのウエストレイク・スタジオで8週間かけてマジックを作り上げた。

グラミー賞を5度受賞したブルースはこう話している:「マイケルと私たちのためにスタジオが作り上げられました。そして私たちはちょうど8週間で完成させたのです。お昼から明け方まで毎日仕事をしましたよ。マイケルは仕事に没頭していました。彼のように働く人はいませんでしたし、今でもいませんよ。私たちにとっては良いことでした」。

「セッションの前、彼はボーカル・コーチたちとウォーミングアップをしていました。彼はベストであろうと努力し、他の誰もが持っていない働く倫理を持っていました。彼は曲や詞を書き、歌いました」。

「でも、私たちは後の自分たちのことが、そしてこれがマイケルを誇示するものになるということがわかっていました」。

「ヒットするかどうかはわかりませんでした。人々が何を欲しているか、次に何が起こるかなんて誰にもわかりませんから」。

70年代のディスコ・バンド、ヒートウェイヴのメンバーだったイギリス人ライター、ロッド・テンパートンは40曲を書いてマイケルらに渡した。

ブルースは言う:「マイケルは完ぺき主義者でした。このアルバムを1億枚売りたいと言っていました。彼は、『Off The Wall』よりも良い作品になる、ビッグになるとポジティブでした」。

「でも、プレッシャーはどんどん高まっていました。レコード会社はクリスマス商戦にリリースしたいと考えていたので憂慮していたのです」。

スタジオでの8週間の作業の後の最初の視聴の席で、会社の幹部らはこのアルバムを酷評し、マイケルはどん底に落とされた。

79歳になるブルースはこう言っている:「あれは失敗でした。私はみんなに長すぎると言いました。みんなで聴いて、ボスがうれしそうじゃないのが分かりました。再生中、彼らは怒り狂っていましたよ」

「片面28分だったのですが、昔のメディアであるビニール盤には長すぎました。マイケルがコントロール・ルームからそっと出て行くのが目に入りました」

「私は『なんてこった』と思いましたよ。それで彼を追いかけました。マイケルは隅の方で泣いていて、サウンドが違うと言っていました。彼はショックを受けていました。私は彼に言いました。『マイケル、もっと短くしなければだめだ』と」。

マイケルが気にしていたのは結果だけだった。ほかの事はどうでもよかった。

「あと2週間くれとレコード会社を拝み倒しましたよ。とてつもないプレッシャーでしたね。ただリミックスすればいいというものではありませんでしたから。ゼロからやり直したのです。編集し、オーケストラのアレンジをし、新しい曲を録音したのです。アルバム全体を2週間でやり直したのです。3曲を外しました。どれもヒットしていたでしょうね。マイケルは駄作を書きませんでしたから」。

「私が注ぎ込んだエネルギーとか愛情とか感情ということについて言えば、『Thriller』は私にとって結婚に次ぐものですよ。マイケルも同じでした」。

彼らがリミックス・バージョンを急いで仕上げると、幹部らはその短くなったバージョンを大変気に入った。

このアルバムは最終的には1982年の11月30日にリリースされ、売れ行きの初動は好調だった。その後のシングル「Billie Jean」と「Beat It」のリリースがそれを後押しした。

しかしながら、1983年3月、モータウン25周年記念コンサートをテレビで観ていた全米の4700万人の視聴者を前に彼がムーンウォークを初披露すると、セールスは過熱した。

その2につづく)
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