BADを称える:You Wanna Be a Man(その1)
ウィラ:ジョイエ、「Bad」のショートフィルムについてお話ししていますけど、深く見ていく機会がなかなかありませんでした。終わらなければ、というころになってようやく話を始めるという感じでしたが、まだまだ話し足りないですよね!
ジョイエ:その通りですよ、ウィラ。ビデオ自体は話題にはなっていないですよね?
ウィラ:そうですよね。「Bad」の16分フルバージョンについてのオープンな討論というものがない、ということが話題になったところでした。これは重要な問題です。
ジョイエ:重要な問題ですが、私が好きだったMTVをダメにした「リアリティー」という番組フォーマットについて私がバカにしたので脱線してしまったんです、ごめんなさい。今回は脱線しないようにします。
ウィラ:寄り道が幸いすることもありますけど、今回はショートフィルム自体を掘り下げたいと思います。で今週は、その時中断してしまったところから始められればと思っています。
マイケル・ジャクソンのショートフィルムを見るといつも新しい発見があるように思えますね。前には感じなかった何かの響きというか、あるいは気付かなかったつながりというものが見えることもあります。最近「Bad」を見たときは、このショートフィルムでの彼が演ずるキャラクターには真に頼ることができて信じられる人がいないということに衝撃を受けました。母親(ロバータ・フラック)の声は出てきます。暖かくて愛情があるようですが、仕事で会うことができません。私たちはその姿を見ることができません。彼は学校(大学受験を目指す進学校的なもの)では他の子供たちと上手くやっているようですが、そこには本当の友情の深みというものはありません。近所の幼馴染みたちとのつながりは感じているようです。でも幼馴染みたちは、仲間であることを証明しろと強要しています。だから彼は誰にも頼れないのです。
実際、全編を通じて彼が真につながりを持っていたのは、電車に乗っていた名もなき人です。ダリル(そしてマイケル・ジャクソン自身)と同様、彼は二つの世界の間に挟まれています・・・そしてこのことは、この2人が慣れない新しい生活から、生まれ育った生活へと電車に乗っているということで文字通り描かれています。2人は、物理的そして象徴的に二つの世界に挟まれているのです。電車に乗っているこの人物は、ダリルが感じていること、すなわち、他の生徒達は彼を真に受け入れてはいないが、恩着せがましく受け入れている風を装っている、ということを理解しているようです。彼自身がそれを経験してきたからです。彼はダリルに尋ねます。「君を誇らしく思うやつは何人いる?」ダリルは頭の中で考えていいます。「3人だ」。「へえ」とその男が言います。「俺は4人だ」。
でもそんなつながりの時間はすぐに終わり、彼は行ってしまいます。面白いのは、あのもう一人の男を最初に目にした時、彼は脅しているように見えるということです。彼はダリルを細長い目で見張っています。そしてダリルは居心地の悪さを感じて顔を背けます。だから、この男が信じられるとわかると安心するんです・・・たぶんね。少なくとも彼は信じられる男のように思えますが、でも本当でしょうか?ある意味では疑いと疎外感、そしてダリルが本当に頼れる人は誰もいないという感覚を高めているに過ぎないのです。
ジョイエ:仰るとおりですよ、ウィラ。最初は、この電車の男は見張っているように思えるんですよね、そしてしばらくは話がどう進んでいくのかわからないんです。そのために不安の高められるんです。そして彼が電車を降りる頃には、この2人は明確につながりができるんです・・・あなたが仰るように・・・つかの間のものであるとはいえね。そして面白いなと思うのは、降りる時にダリルに言うんですよね。「男になれよ」と。これは、ダリルを励ましているように見えます。自分の力でやっていくように、信ずるもののために立つように、仲間からのプレッシャーに負けないようにと。これはある意味、悪い予感をさせるものです。彼が、これから起きることに対して身構えているような感じですね。
(その2に続く)
ジョイエ:その通りですよ、ウィラ。ビデオ自体は話題にはなっていないですよね?
ウィラ:そうですよね。「Bad」の16分フルバージョンについてのオープンな討論というものがない、ということが話題になったところでした。これは重要な問題です。
ジョイエ:重要な問題ですが、私が好きだったMTVをダメにした「リアリティー」という番組フォーマットについて私がバカにしたので脱線してしまったんです、ごめんなさい。今回は脱線しないようにします。
ウィラ:寄り道が幸いすることもありますけど、今回はショートフィルム自体を掘り下げたいと思います。で今週は、その時中断してしまったところから始められればと思っています。
マイケル・ジャクソンのショートフィルムを見るといつも新しい発見があるように思えますね。前には感じなかった何かの響きというか、あるいは気付かなかったつながりというものが見えることもあります。最近「Bad」を見たときは、このショートフィルムでの彼が演ずるキャラクターには真に頼ることができて信じられる人がいないということに衝撃を受けました。母親(ロバータ・フラック)の声は出てきます。暖かくて愛情があるようですが、仕事で会うことができません。私たちはその姿を見ることができません。彼は学校(大学受験を目指す進学校的なもの)では他の子供たちと上手くやっているようですが、そこには本当の友情の深みというものはありません。近所の幼馴染みたちとのつながりは感じているようです。でも幼馴染みたちは、仲間であることを証明しろと強要しています。だから彼は誰にも頼れないのです。
実際、全編を通じて彼が真につながりを持っていたのは、電車に乗っていた名もなき人です。ダリル(そしてマイケル・ジャクソン自身)と同様、彼は二つの世界の間に挟まれています・・・そしてこのことは、この2人が慣れない新しい生活から、生まれ育った生活へと電車に乗っているということで文字通り描かれています。2人は、物理的そして象徴的に二つの世界に挟まれているのです。電車に乗っているこの人物は、ダリルが感じていること、すなわち、他の生徒達は彼を真に受け入れてはいないが、恩着せがましく受け入れている風を装っている、ということを理解しているようです。彼自身がそれを経験してきたからです。彼はダリルに尋ねます。「君を誇らしく思うやつは何人いる?」ダリルは頭の中で考えていいます。「3人だ」。「へえ」とその男が言います。「俺は4人だ」。
でもそんなつながりの時間はすぐに終わり、彼は行ってしまいます。面白いのは、あのもう一人の男を最初に目にした時、彼は脅しているように見えるということです。彼はダリルを細長い目で見張っています。そしてダリルは居心地の悪さを感じて顔を背けます。だから、この男が信じられるとわかると安心するんです・・・たぶんね。少なくとも彼は信じられる男のように思えますが、でも本当でしょうか?ある意味では疑いと疎外感、そしてダリルが本当に頼れる人は誰もいないという感覚を高めているに過ぎないのです。
ジョイエ:仰るとおりですよ、ウィラ。最初は、この電車の男は見張っているように思えるんですよね、そしてしばらくは話がどう進んでいくのかわからないんです。そのために不安の高められるんです。そして彼が電車を降りる頃には、この2人は明確につながりができるんです・・・あなたが仰るように・・・つかの間のものであるとはいえね。そして面白いなと思うのは、降りる時にダリルに言うんですよね。「男になれよ」と。これは、ダリルを励ましているように見えます。自分の力でやっていくように、信ずるもののために立つように、仲間からのプレッシャーに負けないようにと。これはある意味、悪い予感をさせるものです。彼が、これから起きることに対して身構えているような感じですね。

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