マイケルとミッキーが組むことになっていた?

Profiles In Historyがアニメーション・オークションを開催している。MJファンにとって見逃せないのは、撮影されずに終わったマイケルとミッキーのミュージック・ビデオの12枚の絵コンテだ。

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遡ること80年代後半、キング・オブ・ポップは彼のアイドル、スクリーンの伝説ジーン・ケリーでさえも成し得なかったことをやりたいと願っていた。それは、世界で最も有名なネズミとのダンスであった。

この話を聞いたことがない方のために:
1944年、ジーン・ケリーはいまだ、ミュージカル「錨を上げて」で自分でやりたいダンス・ルーチンを練っていた。伝えられるところによると、彼はウォルト・ディズニーに連絡をとり、実写とアニメーションを組み合わせることになっていたこのミュージカルの中でミッキー・マウスを使用する許可を求めたという。

ウォルト・ディズニーは当初、撮影間近となっていたMGM製作のこのミュージカルでミッキーを使う許可をジーン・ケリーに与えていた。しかし、伝えられるところでは、ウォルトの兄ロイ・O・ディズニーがこの考えに難色を示し、初期の作品製作のためにバンク・オブ・アメリカから借りた負債が残っているにもかかわらず自分たちの最大のスターをライバル会社に無償で貸し出すとは馬鹿げていると主張したという。

そのためジーン・ケリーは「錨を上げて」でミッキーを使えず、妥協せざるを得なかった。こうして、彼は「トムとジェリー」のジェリーと踊ることになったのである。2人の伝説的エンタテイナーがハリウッドの歴史について話をする時、マイケルがこの話をすると、彼はいつも、ロイ・O・ディズニーがミッキーと踊るチャンスをダメにしたと不平を言っていた。

話は1986年に飛んで、「キャプテンEO」がディズニーランドにオープンした。このことは、(マイケルの考えでは)ウォルト・ディズニー・カンパニーがマイケルを認めたということを意味していた。

この時点でマイケルはすでに「Moonwalker」(ディズニーの「ファンタジア」のような音楽をテーマとした映画。発表を控えていた1987年のアルバム「Bad」収録の曲の一部を使ってこのような映画を作ることを夢見ていた)を制作していたことから、マイケルがマイケル・アイズナー(当時のトップ)と連絡をとり、マイケルとミッキーが組んでダンス・ルーチンをやるということをディズニーのCEOに個人的に売り込んだのだと伝えられている。その絵コンテがこれだ。

この売り込みに使われた絵コンテを作るために元ディズニーの画家を雇ったのはジャクソン自身だと思われる。この絵コンテは、キング・オブ・ポップが子供たちに、自分はベビーシッターであること、そしてもう寝る時間だと話すところから始まる。この男の子と女の子を寝室へと連れて行く時、マイケルはその子たちが残していった床の上のおもちゃに気付く、というところであろうか。

続きはこちら(英文)。

ソース:jimhillmedia / MJ-Upbeat.com
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