Reading Room: マイケル・ジャクソンを忘れない・・・矛盾のムーンウォーク

筆者:シルヴィア・J・マーティン
PhD(人類学)。バブソン大学メディア学科客員助教。2010年から2011年にかけて香港へのフルブライト奨学生。
出典:Norman Lear Centertainment. June 24, 2010.


間もなくマイケル・ジャクソンの一周忌。はるばるフランスや日本、ウクライナなどから数百人のファンがロサンゼルスのフォレストローン墓地にある彼の埋葬の地へ集まってくるものと見られている。ジャクソンが9ヶ月前にこの地に埋葬されて以来、ジャクソンのファンたちが絶えず彼の墓所への巡礼に訪れている。ある時私が訪れると、あるアフリカ系アメリカ人のファンが、ジャクソンは長い間ブラック・コミュニティーとは距離をとってきたと感じていると話してくれた。白人のファンがそれに異を唱え、音楽とメッセージの中では、キング・オブ・ポップは「人種の偏見はない」、「キリストがそうしたように、全ての人種を愛していた」、と反論した。この一年間、ファンたち(典型的かつ不当にも「過激」と描写される)とその他大勢の中に新たな複合的な評価、すなわち、世界的アイコンとしてのジャクソンの地位の中に、それぞれが様々な価値観を見出している、ということを私は見てきた。

人種問題か?

ジャクソンは長い間、私たちは人種の偏見のない世界に生きているのか否か、という議論について広く一般に興味をかきたてる入口としての役割を果たしてきた。崇拝者から学者まで、境界にいる者として、それゆえに実際にはありえない理想としてジャクソンは支持されてきた。ジャン・ボードリヤールは、特定の人種というものがないジャクソンは、数々の普遍的調和というものの複合体を表現しており、またキリストよりも上手く世界を統治し、その矛盾を調和させることができる、と主張した。しかしながらキリストとジャクソンの両者にとっても、性質の全く異なる要素に満たされた王国を統合するのは容易なことではない。そもそもモータウンによって、白人オーディエンスへの「クロスオーバー」という複雑なアートの世界を導かれたキング・オブ・ポップはそのことをよく知っていた。かつてローリング・ストーン誌が1980年にアルバム「Off the Wall」でジャクソンを表紙に取り上げることを拒否した時、ジャクソンは同誌を、黒人を表紙に取り上げることで売り上げが落ちるという危険を冒したくないのだと糾弾している。

ジャクソンは、アフリカ系アメリカ人にとって重要な年に亡くなった。最も成功したアフリカ系アメリカ人エンタテイナーの死の数ヶ月前、初のアフリカ系アメリカ人の男がアメリカ合衆国の大統領に就任した。ジャクソンが亡くなって数週間後、ハーバード大のヘンリー・ゲイツ教授が自宅での風紀紊乱行為で逮捕された。「正真正銘」のアメリカ人なのか、という出生地を疑う雑音に直面したオバマ大統領。彼は十分に従順だったか、と振舞いについて司法当局から問いただされたゲイツ教授。あえて言わせていただくなら、これらの出来事は、我々の社会にはいまだ人種の偏見というものがあるということを人々にあらためて思い知らせることになったのではないだろうか。

文化を超えた彼のファンの基盤、一般の人々、そして自身の人種的アイデンティティー。彼のそういったものとの関係については、議論がますます盛んになっている。両面性および我々は真に人種の区分けを超越したのかといった議論は、ネット上でもネット外でもファンのコミュニティーを超えて起こっている。ハーレムのショーンバーグ黒人文化研究センターでのジャクソンに関するカンファレンスに私は数週間前に参加したが、そこではある黒人活動家が「これまで彼について非公開で行われてきた会話を安全に行うためのスペース」を切り開く必要性について語っていた。この「安全なスペース」というのは、ボードリヤールの仮定に反して、人種は依然として問題である、ある種の不平等によって和解が困難なままとなっているという、かき立てられた発露である。アフリカ系アメリカ人の作家として、そして音楽ジャーナリストとしてネルソン・ジョージが指摘しているが、ジャクソンの「人種の流動性」は一部のアフリカ系アメリカ人のコミュニティーから非難されている。しかし、グローバルなコミュニティーからは受け入れられているのである。

この温度差というものを考慮すると、キング・オブ・ポップは、王国というよりも帝国のような、様々な理解の仕方があり、かつ人種差別の経験も様々な民族や文化的背景、言語、性差を包括する広大なテリトリーを支配していると言えるかもしれない。多種多様なファン基盤を扱う難しさというものをジャクソンが認識していたということは、彼のアピールや音楽の中に明白に見られることだ。この、エルヴィスよりも売り、ビートルズ・カタログを所有することで白人ポピュラー音楽を聴く層に浸透したアフリカ系アメリカ人のエンタテイナーは、注意深くなければならないということを理解していたのである。

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矛盾のダンス・ムーヴ

公然たる気まぐれな振る舞いや奇行によるイメージのミス・マネージメントを多くが批判していた一方で、彼は当時、人種的アイデンティティーに対する解釈を伝えるうまいやり方を考え出した。例えば彼のミュージック・ビデオ「Black or White」では、彼は、ポスト人種差別、すなわち人種的区分けは超越されたという当てにならない見解に対する彼の歓喜の声であると多くが考えていたものの中に、アメリカの人種間関係に対する批判を埋め込んだ。このビデオは一部の者を混乱させた。なぜならリリース当時、人々がジャクソンの肌が白くなりつつあることに混乱していた中、その歌詞とビデオの最初の部分で人種など問題ではないということを訴えていたからだ。(白斑を患っているという説明に対する疑いは、検視局の報告書によって消えた)。彼の整形手術もまた、ファンを、とりわけ黒人コミュニティーを不安にさせた。この曲の歌詞は異人種間でデートをすること、そして異人種間の仲間意識を奨励している。ジャクソンはまた、変革のパワーをもつダンスによって問題を起こさずに世界中の文化に自分自身を差し込む能力を示した。

だが、「君が黒人だろうが白人だろうがそんなことは問題じゃない」という歌詞が異人種間の抱擁を支持している一方で、フルバージョンのビデオの最後には矛盾するメッセージがある。モーフィングのシークエンスが終了するとすぐにカメラが引き上げられ、撮影された舞台が映されている。クルーたちに知られずに一匹の黒ヒョウがセットを我が物顔で歩いている。ここでジャクソンが選んだ動物は一つの痛烈な暴露なのである。黒豹党は、元々は警察の横暴から黒人コミュニティーを守ることに献身していたのであるが、60年代から70年代にかけてのブラックパワー・ムーヴメントの中で出てきたアフリカ系アメリカ人の組織だ。このヒョウはセットを離れると、ファンの一人、サマル・ハビブがそうだと指摘しているジョージ・ワシントン像の前で立ち止まる。ジョージ・ワシントンはアメリカ初代大統領であることに加えて、1790年帰化法(アメリカ市民権から黒人を除外した法律)を制定している。ヒョウの唸り声は、数十年間存在した差別法に対する深い憤りの表現のようにも聞こえる。次にヒョウはマイケルに変身し、怒り狂った、それでいて美しいダンスを披露する。このダンスの間、見る者にとって最も衝撃的なシーンの一つは、ジャクソンが怒りに任せて一台の車を壊し、窓ガラスを粉々にする場面だ。編集の段階では人種差別的な言葉がその窓ガラスには書かれていた。ジャクソンの異常なまでの怒りの表現を説明するためだ。

注意深く巧みな調和へのメッセージの中に、ジャクソンは、黒ヒョウがジョージ・ワシントンのイメージに向って唸るということの意義を認識するであろう人たちに働きかけていたのである。私見では、このヒョウのシークエンスは、アメリカに生きる黒人としての自身の経験についての芸術的表現の役割を果たしている。アメリカではハーレムからハーバードまで、黒人コミュニティーを苦しめる人種問題が続いているのだ。黒人アーティストがほとんどMTVに進出できなかった80年代初頭、自分のミュージック・ビデオを放映させるためのMTVとの戦いの後、人種差別を無くすという理想を持ちつつも、黒人か白人かということは間違いなく問題である、特にショービジネス界では、ということをジャクソンは知った。

興味をそそられるのは、このビデオではジャクソンは最初に人種の調和という喜びに満ちたメッセージを投げかけ、全てを受け入れるという方向に私たちを導いているということだ。にもかかわらず、何の説明もなしに、彼はアメリカにおける排除の歴史というものを私たちに突きつけている。人種問題の進展というまっすぐな意見を破壊しているのである。これは不可解な映像だった。これは私たちにムーンウォークを紹介したアーティストだということを思い出すまでは。ムーンウォークとは結局、前へ進むと思われたダンサーのバックスライドなのだ。言い換えれば、ムーンウォークは矛盾の振付なのである。このビデオの中で彼はムーンウォークをダンス・ステップとしてはやっていないが、矛盾する行動という哲学(排除されるというジェスチャーの一方で一体化するという提案を行う)はここではジャクソンの戦略なのだ。彼と彼のメッセージへの期待をどう御するか、人間としての経験という広範囲に呼びかけるために、という意味でムーンウォークはうまいたとえとなったのだと私は信じている。こうする中で、ジャクソンは私たちに、ポップ(ブランドとしては一般的に廃れてしまった商業的ジャンル)が破壊活動となる可能性を秘めているということをそれとなく私たちに示しているのである。

ボードリヤールの予言にもかかわらず、ジャクソン(そしてある程度間違いなくオバマ大統領やゲイツ教授)は人種的緊張という歴史を超越することはできないだろう。これは防ぎようのないものだったのか?1985年、ジャクソンがスリラーという記録破りのジャガーノート(絶対的な力)に乗っていたころ、ジェイムズ・ボールドウィンはこう予見して書いている。「マイケル・ジャクソンについての雑音とは興味深いものだ。それがジャクソンに関することでは全くないというところが。そのような雑音はすべて、黒人、特にアメリカの黒人男性の命と富の不誠実な保護者たるアメリカに関することだ。そして燃やされ埋められたアメリカの罪。性と性的役割、性的パニック、金、成功そして失望」。

原文 ■ Remembering Michael Jackson: Moonwalking Between Contradictions
ソース:Norman Lear Centertainment / Dancing with the Elephant
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