AEG裁判:3月5日の奇跡

AEG裁判での6日目の証言で、ランディ・フィリップスは、マイケルが「This Is It」コンサートを発表するために壇上に上がった時に起きた奇跡について語った。

自身のカムバック・コンサートを発表するためにステージに上がった時、マイケルはあの自信に満ちたスーパースターになった、とランディ・フィリップスは水曜日に証言した。

マイケル・ジャクソン不法死亡訴訟で6日目の証言をしているフィリップスは、2009年のロンドンでのこのイベントを成功させるために経てきたことが「今まで見てきた中で最も恐怖だった」と同僚に告げる電子メールをなぜ同僚に送ったのか説明した。

フィリップスはそれを「3月5日の奇跡」と呼んでいる。

それは、フィリップスがマイケルを叩き、ホテルの部屋の壁が震えるほどに怒鳴った日のことだったと彼は証言した。

フィリップスは、マイケルがロンドン記者会見に現れるかどうか疑っていた。その1週間前にマイケルに連絡をとることが出来なかったからである。マイケルはマネージャー(トーメ)の電話に出なかった。トーメ・トーメがマイケルの所有物をオークションにかける計画を立てていたことに動揺していたからである。フィリップスはマイケルと直接連絡をとることは出来なかった。トーメを通じてのみであった。フィリップスはこう語った。

「私は目が見えないで飛んでいたんです。マイケルの陣営で何が起きているのか分かりませんでした」とフィリップスは証言した。

フィリップスはマイケルが「This Is It」コンサートのAEGとの契約を破るのではないかと心配し始めた。「もし止めるタイミングがあったのだとしたら」、それは2月の末であったとフィリップスは述べた。「その時が、リスクが最小限で、最大限の担保があったからです」。

だがフィリップスは、仮にマイケルがロンドン行きのプライベート・ジェットに乗り遅れても、強行する決断をした。

マイケルは、子供たちとトーメ、ボディガード、そしてメークも担当するナニーを伴って2009年3月4日に到着した。ブリトニー・スピアーズの「Circus」ツアーの立ち上げでマイアミに寄らなければならなかったフィリップスは、3月5日、記者会見が始まる予定の数時間前にロンドンに到着した。

フィリップスはレインズボロウ・ホテルへ向った。マイケルとトーメは二階の隣り合ったスイートに泊まっていた。トーメがマイケルのチェックをしている間、自分はトーメのカウチに腰掛けてCNNを見ていたとフィリップスは証言した。

少しして「怖くなり始めたのです」と彼は語った。ホテルから、ロンドンのイーストエンドにあるO2アリーナまで90分かかる。車の流れが「びっくりするほど」だからだ、とフィリップスは述べた。

さらに待っていると、「恐れは本格的になりました」とフィリップスは述べた。「私は廊下を行ったり来たりしていました」。

「ちょっと問題がある」。トーメがついに言った、とフィリップスは証言した。「マイケルは酔っている」。

ホテルの廊下に心配するフィリップスを残し、トーメはマイケルのスイートに戻った、と彼は述べた。

「私はブラックベリー(スマートフォン)を手にしてイヤホンをしていました。そしてメールを打っていました。同時に、O2にいる関係者と話をし、メールを受けていました」とフィリップスは証言した。

そのメールの一つは彼のボス、親会社AEGのCEOティム・レイウェケに宛てられたものだった。

「MJは部屋に閉じこもっていて酔っている。意気消沈している。トーメと私が酔いをさまし、ヘアドレッサー/メーキャップ・アーティストと一緒に彼を記者会見へ連れて行くべく努力中だ」

O2では3000人のファンと350人のメディア関係者がマイケルを待っていた。「時間は刻々と過ぎていきました。私は玉のような汗をかいていました」とフィリップスは証言した。

m_29.jpg ついにフィリップスはボディガードのアルベルト・アルバレスをうまく言いくるめてマイケルの部屋に入った。そこで彼は空の酒瓶がカウチのそばの床にあるのを見た。

ローブとズボンという姿のジャクソンは「気分が悪そうに見えた」、とフィリップスは証言した。

「私は、『マイケル、大丈夫か?』と聞いたんです。彼は、誰もいないんじゃないか、失敗なんじゃないかと心配だと私に言いました」とフィリップスは述べた。

「私を信じて、マイケル。君は間違ってる。3000人の熱狂的ファンがいるんだ。徹夜組もたくさんいるよ」とマイケルに言ったとフィリップスは述べた。

フィリップスはマイケルが黒いシャツを選ぶのを手伝った。記者会見で着ていたものだ。しかし、マイケルがアームバンドを袖につけられず、彼は限界に達した。10分後、ホテルのエンジニアが呼ばれて手伝ったとフィリップスは述べた。

「それが限界でした」とフィリップスは証言した。

ボスに宛てたフィリップスの二回目のメールは、マイケルに対する彼のトーンが落ち着きからは程遠いものであったことを示唆している。

「壁が震えるほど彼を怒鳴ったよ」とフィリップスは書いている。「トーメと私とで彼に服を着せた。ヘアセットも終わりそうだ。そうしたらO2へ急ぐよ。こんなに恐ろしいことは経験ない。彼は感情的に酔って混乱している。自己嫌悪でいっぱいで、ショータイムだということを疑っている。彼は死ぬほど怖がっている。今はただ、何とか記者会見をこなしたい」。

フィリップスは言葉以上のことでフラストレーションを吐き出した。

「彼を叩いて大声で怒鳴ったよ。アーサー・キャッセルを怒鳴った時と同じだ」と彼は、マイケルをO2へ案内すべくホテルの外でフォードのSUVエクスペディションとともに待っていた人物にメールを書いている。

キャッセルというのは、フィリップスがかつてライオネル・リッチーのブッキング問題で怒鳴った人物だ、と彼は述べた。

「私は彼の尻を叩きました」、フットボールのコーチが選手にやるように、とフィリップスは証言した。

フィリップスは状況をコントロール不能にした責任は認めている。

「私がドラマのヒロインであるかのようであったことは認めます。私はとても神経質になっていました。部屋の中に緊張感を作ってしまったのです。とても緊張した雰囲気でした」

ようやく彼らがO2へ向い始めた時、フィリップスは「状況を良くしようと冗談モードになった」と証言した。マイケルがジョークを言う「とても楽しい道のり」になったと彼は述べた。「車の中のマイケルは全く楽しい人でしたよ」。

フィリップスはそれまでで一番体重があったのだが、「彼は私に言いました。『君は素晴らしいね。だいぶ体重が減ったね』と。10回目に彼がそう言った時、私は『マイケル、君が出発するのを待つ間、君もホテルで行ったり来たりしていたら、君も体重が減っていただろうね』と言いました」とフィリップスは語った。

O2の数千人のファンと世界中の数百万人は、O2へ向うマイケルの車列を追うヘリコプターからのライブ映像を見た。

「あれは幸運でした」とフィリップスは証言した。というのも、それが、予定されていたアナウンスへの関心にドラマを付け足したからだ。「奇妙なやり方でしたが、更なる期待を生み出し、より大きなイベントとなったのです。実現するのかしないのか人々が疑うことで」とフィリップスは証言した。

O2に着いて、フィリップスはマイケルが原稿を持っていないことに気がついた。マイケルがテレプロンプターで読んでいたのは、台上に上がるマイケルを追いながらフィリップスが書いたものだった。

「This is it. This is really it. This is the final curtain call. OK, I’ll see you in July.」

マイケルがステージへ歩みを進めた時、数千人のファンからの愛の叫びに囲まれて、彼は完璧に変わった。フィリップスはその変化を「ホモサピエンスの進化表」になぞらえた。

「彼は前かがみの状態から始まり、あのカーテンを通り抜けた時、そこにはマイケル・ジャクソンがいたのです」とフィリップスは述べた。

マイケルはその歓迎ぶりに「大変喜び」、4ヵ月後に予定されていたカムバック・コンサートの準備を始めるためにすぐにアメリカへ戻った、とフィリップスは述べた。

再びロンドンへ戻ることが予定されていた日まで後1週間というところで、彼は亡くなった。

(原文) ■ The Miracle Of March 5th
Source cnn.com & MJWN
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