AEG裁判:カレン・フェイ、MJはリハーサルへと追い詰められていた(その1)

木曜日のカレン・フェイの証言はとても感情的であった。フェイはメーキャップとヘアメイクを担当してジャクソンと27年間働いていており、彼を兄弟だと思っていた。彼女はマイケル・ジャクソンとの近しい関係の証言に90分を費やした。マイケル・ジャクソンは彼女のネバーランドでの結婚式のホストを務め、世界を旅する際には協力を求めていた。彼女はマイケルを比類なきスタミナを持つ優しい天才と評した。

フェイは、ジャクソンのダイアナ妃などの要人との会合やスーパーボウルのパフォーマンスその他の、彼の生涯の伝説的な瞬間について、楽しげに説明した。ジャクソンの写真やパフォーマンスが映し出される中、陪審員や傍聴人たちからは時おり笑い声が聞かれた。

「私はペンシルバニア州ピッツバーグの出身です。いたって普通でした」と彼女は陪審員に語った。「気がつくと、この魔法のような人と仕事をしていたのです」。

フェイは、マイケル・ジャクソンの鎮痛剤との戦いを、有名なペプシのコマーシャル撮影まで遡って明らかにした。この撮影で、彼は発火が早すぎた花火のために頭髪に火が燃え移ってしまったのだ・・・もっともフェイによれば、彼女は鎮痛剤との戦いについては92年から93年にかけての「Dangerous」ツアーまで知らなかったのだが。マイケル・ジャクソンの頭髪に火が燃え移るショッキングなビデオが陪審員に向けて映し出された。頭髪に火が燃え移った時、彼はダンスを続けながら階段を下りていたが、彼女は彼が燃えているとは思わなかったと振り返った。結局彼の友人の一人がステージに駆けつけ、彼を地面まで抱え下して火を消し止めたという。

「生まれてから、あんなことは見たことがありませんでした」とフェイは証言した。「これは私が知っている人で、その彼が燃えていたのです」。

「彼は頭髪を全て失いました。頭からは煙が出ていました」。

火傷が癒えていく中、彼は激しく酷い偏頭痛に苦しんでいた。そして手術が必要であった。その手術には、皮膚を伸ばすための頭皮の下へのバルーンの挿入というものが含まれていた。だがジャクソンはペプシを訴えるのではなく、自分が治療を受けたカルバーシティのブロットマン・メディカル・センターに火傷センターを設立することをペプシに要請した。

「誰もが彼がペプシを訴えると思いました。ミスがあったからです」とフェイは語った。

ジャクソンの母親と3人の子供達の弁護士ブライアン・パニッシュは、ミュンヘン(ドイツ)のあるコンサートでジャクソンが高所から落下する映像を映した。フェイによれば、ジャクソンが立っていた支柱が崩れた時、彼は3階か4階の高さから落ちたという。

「それを見て、彼が死ぬかもしれないと思いました」とフェイは語った。

だが彼女によれば、ジャクソンは自ら起き上がりパフォーマンスを続けたという。「観客をがっかりさせられないから」と後に彼は彼女に語ったという。やり終えると彼は崩れ落ち、セキュリティが病院まで運んだと彼女は語った。この事故でマイケルは背中の痛みを訴えるようなった。この痛みは肉体的精神的ストレスを感じると拡大するものであった。

またフェイは、長年にわたり医師への依存度が高まっていったこと、そしてAEGの共同CEOはジャクソンの複数の薬物服用について知っていたと証言した。彼女よれば、亡くなる20年近く前から投与を受け始めたという。薬物への依存は、90年代前半に最初に児童虐待で告発された時と一致するという。

「マイケルは毎晩ステージに立たなければなりませんでした。世界中が彼のことを小児性愛者だと思っていることがわかっていたからです」とフェイは語り、首を左右に振って泣いた。

1992年に始まった「Dangerous」ツアーの間、フェイは、マイケルに鎮痛剤を注射するようにとのプロモーターからの要請を拒んだと述べた。彼女によれば、このツアーをマネジメントしていたゴンガウェアがジャクソンを診療する医師たちを連れてきたという。ツアー中は常に二人の医師がジャクソンの周りにいて、必要なだけ鎮痛剤を与える準備ができていた。

「薬のバランスがあることがわかるようになりました。薬はマイケルの痛みに効く十分な強さが必要ですが、パフォーマンスできなくならないよう強すぎてもいけませんでした」

彼女によれば、ジャクソンは「Dangerous」ツアーの間、鎮痛剤を浪費したためにシンガポールでは会場でよろめき、彼女と医師の間で衝突が起きたという。

「(マイケルは)歩くのにも苦労していました。彼はボーっとしているようでした・・・彼は足がもつれて木にもたれかかりました」と、彼女はシンガポールのドレス・ルームで会った時のことを振り返った。「私は、『マイケルは続けられません』と言いました。彼はトースター(ステージの射出装置)に入らなければなりませんでした。もし腕が出たら切断されかねませんでした」。

彼女は守るようにマイケルをハグし、パフォーマンスさせるのを拒んだという。その時ジャクソンの専属医の一人、デヴィッド・フォーキャストが強制的に割って入った。

「彼は、『私に任せてください』と言いました」と彼女は振り返った。「彼は壁まで私を押し戻して、私の首の周りに手を置いてこう言いました。『あなたは自分のやっていることがわかっていない』」と彼女は振り返った。

フォーキャスト医師はしどろもどろのジャクソンをステージへ強制的に連れて行ったという。しかしそのコンサートは中止となった。間もなく「Dangerous」ツアーの残りもキャンセルされることになった。処方薬中毒の治療を受けさせるためにジャクソンを迎えにメキシコへ飛んだエリザベス・テイラーも一緒だった。

ジャクソンの状態は、2005年の裁判(児童性的虐待容疑はすべて無罪となった)の間にも悪化したとフェイは語った。彼女は髪を洗ったり服を着せるのを手伝うために毎朝夜明け前にネバーランドへ行っていた。フェイは、一緒にクラシック音楽を聴き「三ばか大将」のビデオを見ながら祈り、泣き、笑っていたと振り返った。

「私は人々に、彼はまだ元気で強いと思って欲しかったのです」と彼女は証言した。

彼女によれば、マイケルにとって特に困難な時期であったという。

「彼は痩せていきました。吐きたくなかったので食べられなかったのです。彼が愛し、彼が面倒を見てきた人たちがウソをつくのを見なければならなかったのですから」。
「彼は食べられなかった。彼は恐れていた。彼は痛みを抱えていた。彼は痩せていった。体の痛み、背中の痛み、これが始まったのです」。
その2に続く)
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