「Thriller」30周年:いかにして一枚のアルバムが世界を変えたか(その7)

しかし、「Thriller」が残したものはセールスや受賞の数々をはるかに越えている。MTVは一度マイケル・ジャクソンで成功すると、他の黒人パフォーマーたちのビデオを急速にそのプレイリストに登場させるようになったのである。こうした事態の進展が、ポップ・ラジオ局に黒人音楽を編成に再び取り上げさせることとなった。結局、今では同じビデオチャンネルで黒人アーティストと白人アーティストの両方になじんだポップのファンたちは、ポップ・ラジオ局にも同じような番組編成を望むようになったのだ。もはや、様々に好みが細分化したリスナーを好みではない音楽から隔離することは不可能となった。大勢にアピールするトップ40のラジオ局は、情勢の劇的変化により復活したのだ。1983年早々からフィラデルフィアから始まりそして急速に広がりながら、各町のFM曲はトップ40局へとシフトしていった。そしてMTVの若者向けロックとアーバンのヒットにより人気となった音楽のミックスをオンエアし、多くの局が聴取率のトップを獲得していったのである。

「Thriller」の時代においては、黒人音楽はポップチャート上で目立って復活した。もし1982年が成功という点でこのジャンルの底辺だとすれば、1985年までにはビルボードHOT100のヒット曲の1/3はアーバン・ラジオ局を発信源とするものであった。プリンスの「1999」でさえ、1982年のリリース当初はポップ局から締め出されていたが、1983年の中ごろには再登場し、MTVへの露出が遅れたというところから、二度目にしてポップ・ラジオ局での大成功を収めた。多くの歴史家たちは評価してこなかったが、このようにしてマイケル・ジャクソンとMTVのチームは自らが大変な革新勢力であることを証明し、レーガン時代の幕開けに、細分化されたポピュラー文化の再統合を手助けすることとなったのである。黒人音楽はメインストリームの中心に戻ってきた。そして今日まで、スポットライトから押しやられることはなかったのである。

一つの余談として、MTVの隆盛は逆に言えばポップ界でのカントリー・ミュージックの運命を破滅させることとなった。MTV以前、70年代初頭以来カントリー・ミュージックはポップ・ラジオにおいて勢力が徐々に強まっていた。人気の頂点は1981年の夏で、映画「アーバン・カウボーイ」が流行している時である。MTVがまさに立ち上げられようとしている時であった。その夏、どの週でも平均して11曲のカントリーがビルボードHOT100にチャートインしていた。しかしMTVは初めからカントリー・ミュージックを番組には取り入れないと決定し、それ以来ポップ・ラジオにおけるカントリーのオンエアは着実に減少していった。まもなく、カントリーのレコードは完全にHOT100から締め出された。かつてなかった事態である。

成し遂げた全ての記録を見て驚かされることは、マイケル・ジャクソンはどのような分野でも類稀な芸当をやってのけたということである。絶対的スーパースター、第一線の地位に10年以上君臨した後も、もちろん殿堂入り後も、彼はさらなるギア(道具)を見いだして単なるスーパースターを突如超越し、その分野でどれほど大きくなりうるのかという概念を再定義したのである。想像してみて欲しい。J・K・ローリングがハリー・ポッターよりも素晴らしくて人気のあるシリーズを突然発表し、ハリー・ポッターが彼女のキャリアの中で取るに足らないものであると言い出したら。マイケル・ジャクソンが「Thriller」で成し遂げたことが理解できるだろう。
その8に続く)
関連記事
Google検索

Google

WWW検索 ブログ内検索

プロフィール

MJJFANCLUB.JP

Author:MJJFANCLUB.JP
* このブログはマイケル・ジャクソンのNewsブログです。
EmailAddress:
info.mjjfanclub.jp*gmail.com
の*を@に変えてください。

お知らせ

マイケル・ジャクソン「ONE」、チケット ON SALE NOW!!!
Man in the Music-スパイク・リー監督推薦図書
MJJFC.JPフェイスブック (TV情報 etc.)
カレンダー
最新記事
カテゴリ
リンク
文字サイズ変更ボタン
文字を大きくする 文字を規定のサイズに戻す 文字を小さくする
モバイルはこちらから
QR
カウンター
月別アーカイブ