「Thriller」30周年:いかにして一枚のアルバムが世界を変えたか(その4)

「The Girl Is Mine」は1982年11月6日、ビルボードHOT100に初登場した。それが、3年間の停滞の後、黒人音楽の存在がチャートに戻り始めたその日であることは偶然ではない。このふわっとしたシングルは批評家の受けが良くなかった。「Ben以降のマイケルのワースト」というのはロバート・クリストゴーがVillage Voiceに書いた評価である。間もなく最高傑作と見なされることになるアルバムにとって、これは不吉な始まりであった。目的通り、白人ラジオで取り上げられたのであるが。

アルバム「Thriller」自体は3週間後の11月30日にリリースされ、12月25日付けチャートに11位でデビューした。当時でさえトップ10以内、あるいはトップでデビューしたアルバムというのはないこともないのだから平凡な数字ではあるが、今日のサウンドスキャンの時代以前では相当のチャート・デビューである。そして1月には9位に上昇してジリジリとトップ10入りして2週間、ついで8位、そして勢いが落ちるまでの3週間5位をキープした。この間、「The Girl Is Mine」が生み出した推進力が持続していたのである。すでにヒットと見なせるものであった一方で、初期の数週間における「Thriller」のチャート・パフォーマンスには、のちに明らかとなる絶対的な力というものの兆しは見られなかった。

クリスマス直後に「The Girl Is Mine」がポップチャートでピークとなる2位を記録したことで、CBSレコードは、マッカートニーの「トロイの木馬」作戦でラジオを導くという自分たちの戦略が成功であったことを知った。そして1983年が明けるや否や、CBSはアルバムのセカンド・シングルのキャンペーンの準備を始めた。より「都会的」なサウンドの「Billie Jean」だ。テーブルは既に整えられており、ポップ・ラジオ局はすぐにこの第二弾シングルをオンエアし始めた。そして懐疑論者たちも、マッカートニーとのデュエットよりもスリリングなものを「Thriller」が提供するとわかって満足した。「Billie Jean」はまさに驚異的に他ならない、聴いている者をその場で立ち止まらせ、そしてそれをどこで、いつ初めて聴いたか決して忘れないような類のシングルであった。しかしMTVはその冬の音楽業界の台風であったため、そのサポートなしにジャクソンがポップ・カルチャーの中心を独占する術はなかった。そしてMTVは黒人のレコードをオンエアしなかったのである。

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CBSは賭けに出て、「Billie Jean」と次のシングル「Beat It」用に高価なビデオを制作した・・・素晴らしいビデオだ。ジャクソンは生まれつきのビデオ・スターであり、時代の主役の歌とダンスの男であった。この2本のビデオは、ミュージック・ビデオではそれまで見られなかった振付のスタンダードを取り入れており、それまですべてのR&Bダンサーのゴールド・スタンダードであったジェームス・ブラウンの60年代のライブ・ワークをほぼ間違いなく超えていた。

視覚的アートの形式として、ミュージック・ビデオは当然ながら振付に向いていた。その前の秋のトニー・バジルの「Mickey」のビデオを除けば、完成したダンスが取り上げられているビデオはMTVで放映された中には存在していなかった。これは主として、音楽ビジネスがダンスができるアーティストを育ててこなかった・・・ディスコ・ミュージックのスターたちでさえ、彼ら自身が完成されたダンサーではなかった・・・ということに起因していた。これらはすべて「Thriller」後に変わることになる。マドンナやマイケルの妹ジャネット、ポーラ・アブドゥルらの登場である。しかしその間、マイケル・ジャクソンはMTVのダンス・フロアを独占した。
その5に続く)
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