「Thriller」30周年:いかにして一枚のアルバムが世界を変えたか(その3)

番組フォーマットから黒人音楽を除外していたという初期のMTVに対し歴史は冷淡であるが、それは幾分不公平だ。ラジオによるプレイリストの人種差別の絶頂期に立ち上げられたMTVは当初、ターゲットとするリスナー・・・1981年終盤、ケーブルテレビのセットで真っ先にMTVを受信することになる郊外や小さな町の大勢の白人の10代たち・・・が黒人のレコードを聴きたがっている、彼らは黒人音楽に馴染みがないということを見通すことができていなかったのだ。トップ40局による大衆へのアピールというものがない時勢の中で、トップ40ビデオによる大衆へのアピールという考え方は明白とは程遠いものであった。しかし少なくともラジオのダイヤル上は、黒人音楽を求めていた人々にとっての選択肢は存在していた。テレビでは、MTVが唯一の選択肢だった。そしてラジオでのオンエアなしにMTVへの露出のみでヒット曲が地方で勢いを増し始め、ポップ・テイストへと向けさせるMTVのパワーは瞬く間に明らかになりつつあった。

MTVの真のインパクトは、1982年の9月にニューヨークとロサンゼルスでMTVがケーブルテレビでデビューするまでは完全には感じられていなかった。突如として、内陸部から伝わってきた一つの噂が轟く雷鳴となり、米国のメディアの二大中心地の文化的アジェンダ・セッター(影響力の大きな人)たちの目を覚まさせ、彼らはMTVを次に来るものとして的確に宣伝した。前述のポップチャートにおける黒人音楽の最低状態が1982年10月・・・全てのポップ局とテレビで唯一の音楽局が黒人音楽を番組から除外した瞬間・・・に起きたことは偶然ではない。

さてマイケル・ジャクソンである。彼が1982年にCBSのEpicレーベルに「Thriller」を届ける頃までには、ジャクソンはすでに10年以上、兄弟たちと、あるいは単独で世界的トップ・レコーディング・スターの一人であった。しかしながら彼の直近のアルバム「Off The Wall」(トップ10シングルを4曲生み出した)は1979年にリリースされている。HOT100のトップ3に入った曲の40%が黒人アーティストによるものだった年であり、ラジオで黒人音楽と白人音楽を隔てる壁が出来上がる前のことだ。

CBSレコードは、「Thriller」からのデビュー・シングルを1982年10月にラジオに送った週にはポップ・トップ20のチャートには黒人のレコードが一枚もなかったことは承知していた。ジャクソンのレコードが広くラジオのリスナーの耳に届かないという現実味のある可能性に直面しており、CBSは安全策を取った。このファースト・シングル「The Girl Is Mine」はジェントルなイージーリスニングで、スティーヴィー・ワンダーのデュエット相手をしたばかりの元ビートルズ、ポール・マッカートニーとのデュエットであることを頼みとしていた。マッカートニーの存在は、80年代初頭のポップ・ラジオ局ではいまだ頼みの綱であり、「The Girl Is Mine」が白人ラジオ局で受け入れられることを事実上保証していた。そしてCBSは、MTVが黒人アーティストのビデオを放映しないことがわかっていたので、ジャクソンの「Thriller」からのファースト・シングルであるこの曲にはビデオを作らなかった。
その4に続く)
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