J・ダニエル:「マイケルは子供のように純真無垢だった」

ジェフリー・ダニエルのインタビュー
-MJの幻のコンサートのリハーサルを収録した映画「THIS IS IT」は見ましたか

 ええ。ロンドンでプレミア上映会に出席し、レッドカーペットを歩き、この目で見ました。一緒にツアーで世界を回ったときはもちろん、2人きりで会うときも、MJはいつも映像を撮り、残していた。彼にも映画になるとは思ってもいなかっただろうが、劇場に来た人には彼がどうショーを作り上げてきたかを知るいいチャンスになったのではと思います。今回、自分も映像の中で一緒にいるような不思議な感覚になり、彼が笑ったときは思わず涙が出ました。

-MJはダニエルさんにとって、どんな存在でしたか

 私が中学生のとき、同世代の男性バンドのジャクソン5がデビューしたんです。自分には姉が2人いるが、男兄弟はおらず、うらやましく思いました。MJは、3歳からストリートで踊り明かしていた私にとって昔からスーパースター。私に、エンターテイナーとはどう観客を楽しませればよいかを教えてくれ、いつかこうなりたいと思っていました。自分が米音楽番組「ソウル・トレイン」のダンサーになって、初めて彼を近くで見たときは感動しましたねえ。そんなとき、MJが「ダンスを教えてほしい」と私に話しかけてきてくれたんです。

-いつごろのお話ですか

 1980年です。私はストリートダンサーで、遊び感覚で踊っていました。そんなときにMJは音楽番組を通じ、振付師やダンサーの存在が、エンターテインメントを人前で披露する場でいかに重要なのかを気付かせてくれました。彼のおかげで、私は楽曲のプロモーションビデオにも出演し、自分が世の中に向かって表現する場を得られました。本当に感謝しています。

-MJと親しくなったのはいつごろからになりますか

 ジャクソン5から活躍の場をソロに移しつつあったころです。以後、私を実の兄のように慕い、信頼して、接してくれました。何度も自宅へ食事に招いてくれました。

-ダニエルさんの影響をMJのダンスが受けたと思われるのは、どんなところでしょうか

 「ビリー・ジーン」でソロで踊るシーンでは、私が振り付けをしました。MJが体をくねらせたりするしぐさなど、私らしさが随所に見られます。彼はワン、ツー、スリーとカウントしながらダンスをするのではなく、曲の音符に合わせてリズムを刻み踊るプロ中のプロです。身ぶりを大きくしたり、時には小さくしたり。ダイナミックなのが特徴です。ジェイムズ・ブラウンやサミー・デイヴィス・ジュニア、ジーン・ケリーといった自分の尊敬するエンターテイナーたちの技を自分のものにし、組み合わせたりしながら、彼は彼なりに新しい技を作り上げていきました。

-ダニエルさんはどんな楽曲に参加しましたか

 「今夜はビート・イット」ではPV(プロモーションビデオ)でダンサーとしてステージで踊り、「バッド」と「スムーズ・クリミナル」では振り付けを担当し、踊りも披露しました。「ヒストリー/ゴースト」ではクリエーティブコンサルタントとして、楽曲の全体を見渡すという役割でした。また、1995年から97年にかけてブラジルツアーに同行したり、ドイツにロンドンにと、海外にもよく一緒に飛び回りましたね。

-MJの代名詞ともいえる「ムーンウォーク」がどうやって生まれたのか、お聞きしたいのですが

 ムーンウォークはMJがものにした以前には「バックスライド」と呼ばれており、私が所属していた音楽グループのシャラマーでもやっていました。米ポップ界のダンスグループのエレクトリックブガルーズが、1978年に披露したのが最初だと思います。

-では、あの踊りはMJが最初に人前で見せたのではないということですか

 そうです。私は1979年に米のテレビ番組で初めてやり、80年にMJに踊り方を直接、教えました。MJはその3年後、レコード会社のモータウン発足25周年記念コンサートで、「ビリー・ジーン」を歌い、その間奏で初めて披露した。それが放送された音楽特別番組に大きな反響があり、世界に広まったのです。

-その完成度は

 当時、MJはわずか3ステップを踏んだだけで、スムーズにはいっていなかったようです。82年に、私自身は舞台の端と端とを往復できていましたから。でも87年にBADツアーを敢行しているときは、MJもよくマスターしているなと感心しました。

-なぜ、ムーンウォークという名前になったのでしょう

 重力が地球より小さい月で歩くと、浮いているような感じになる。それをイメージして、MJが名付けたんです。バックスライドは前後に動くが、ムーンウォークはその場で丸い月のようにクルリと回ったりもするのが違う。曲に合わせ、MJは魔法をかけた。それに、ムーンウォークは人の心をすぐにつかむような言葉で、MJがテレビで実演したこともあり、一気に社会現象になった。「バックスライド」と呼んでいたダンサーたちも「その名前だったらいいね」と、納得したんです。私に「ムーンウォークと名付けたから…」といった断りは、特にはありませんでしたよ。

-どのようにムーンウォークを教えたのですか

 MJが「この動きをやってみて」と聞いてきたのに応じたのが始まり。長身の私の足を「見せて、見せて」と言いながら、両手で触り、後ろにスライドする足の動きを、感じようとしていた。どう体を動かすべきか。宿泊先のホテルの自室でも努力していたようです。

-ダンスはどこで教えていたのですか

 MJの邸宅兼遊園地のネバーランドが出現する前には毎週末、ジャクソン一家の家にスクーターに乗っていき、そこでムーンウォークなどのダンスレッスンを行いました。ガレージの上の2階に「ギャラリー」と呼ばれる部屋(縦幅4メートル、横幅5メートル)があり、MJは一人、ダンスの練習に明け暮れていた。部屋にいれば、ギャラリーに上がってくる足音でMJだと聞き分けることができました。彼はいつも、同じ黒色のローファーを履いていたからねえ。彼の家を3度訪ねるまでは緊張していたが、その後は緊張もすっかりほぐれ、友人になりました。「どこから来たの?」「スクーターはどれほど走れるの?」といろいろと質問されました。何度も食事に招かれたのもいい思い出です。

-MJが世界中のファンに愛された理由は何でしょう

 楽曲の完成度の高さはもちろん、ショーイベントなので表現された彼の心が本当に子供のように純真無垢(むく)であったことに世界中のファンが共感を覚えたんだと思います。それに、いつも世界中の自然や動物、子供たちに思いを巡らせていたことも共感を呼んだと思います。

-MJの悲報はどのように耳に入ったのですか

 ロンドンで夜11時にコンビニで水を購入していたところ、車に同乗していた友人が息せき切って、ただひと言、「ラジオで悲しいニュースがあった」と伝えにきました。何があったかを悟ったとき、息ができなくなるほどこみ上げるものがあり、その場にうずくまってしまった。数日後、MJが亡くなった米ロサンゼルスに飛びました。2年前にアイルランドでレコーディング中の彼にロンドンから電話を入れ、「最近の調子はどうか」と会話を交わしたのが、最後でした。この30年間、彼とは親交があった。いろんな思い出がありすぎて、すべては語り尽くせません。とにかく彼は、世界一のエンターテイナーでした。
(関連: 「ムーンウォーク」伝授 マイケルの魔法で社会現象

ソース:産経新聞
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