スパイク・リー:メディアのMJの扱いは「恥ずべきもの」だった(その2)

リーは1957年生まれ。マイケルの1年上だ。彼は、「エド・サリバン・ショー」のステージでジャクソン5がシミーを踊った時に、ジャクソン5の目玉であった圧倒的才能に溢れた若い天才として彼を見た時のことを鮮やかに覚えている。数年後、リーは「Thriller」や「Billie Jean」、「Bad」のビデオに魅了された映画学校の学生だった。彼は自分でそのような映像を操りたいと熱望した。だから2009年夏にマイケルが亡くなった時、彼は衝撃を受けた。

「僕はそのことで何ヶ月も混乱していたよ。僕はマイケルとともに育った。彼より1歳上だった。僕が10歳の時、彼は9歳だった。だから僕は彼を知らなかったけど、彼が成長するのは見ていたんだ」。

リーは、アルバム「Bad」が古びていないということに議論の余地はないと考えている。

「『Bad』が25年前にリリースされた時のビルボードのチャートを見てみてよ。そしてそこに載っている曲を聴いて、今でも通用するか時代遅れかどうか見てみてよ。『Bad』はまだ通用している。25年前にトップ10に入っていた他の曲は?それは誰だった?シン・リジー?トップ10に入っていた人たちについて語ることがあるかい?偉大な作品というのは時間という試練に耐えるのさ。議論するまでもないね」

マイケル・ジャクソンの失墜をしきりに眺めていた人々をリーは非難するものの、マイケル・ジャクソンの生涯のある部分についてある程度好奇心をもっていたことは彼は認めている。すなわち、だんだん明るくなっていった肌の色のことだ。マイケルの色は白斑という皮膚疾患と狼瘡治療のために徐々に変わっていたということが後に公になったが、リーはその変化を興味を持って見ていた。

「黒人たちはそれを不思議に思っていた・・・僕はウソをつく気はない」とリーは自分の肌をつまんで静かに笑いながら語った。「マイケルは病気だと言うことを決して公にしなかったからね。僕もその一人だった。『ちょっと待て。ブラザーに何があった?』みたいな感じだよ。僕はウソをつくつもりはない。それが全部さ。そして僕は4,500万人のアフリカ系アメリカ人を代表してしゃべってるわけでもない。だけど、マイケルの肌の色については議論があったんだよ」。

リーの映画はマイケルの作品に焦点を当てているが、プライベートというものを経験したことのない極度に引っ込み思案の男という点でも多くを明らかにしている。兄弟たちと会って食事をするのにも変装せざるを得なかった一人の男に光を当てている。彼が公に姿を見せるといつもヒステリー状態を引き起こし、そして彼の幼い頃の思い出はショービジネスとは切っても切れないものだった。

「彼は6歳の時から食べるために歌い踊らなければならなかったんだ」とだけ、リーは語った。

映画の中のある場面で、涙を目に浮かべたジャクソンの友人が彼との会話について語っている。その中でジャクソンは、パーティーでは壁に止まったハエになりたがっていた(こっそりとパーティー参加者を観察したがっていた)。普通の人たちがどんな話をするのか見たかったからだ。そして「Bad25」の中の窮屈で締め付けられるような一曲に「Price of Fame」という曲がある。その中でジャクソンは、彼に盲目的に心を奪われている巨大なオーディエンスの期待にこたえるための代償について語っている。リーは、その代償が何であるかを尋ねられて長くは考えなかった。

「いいかい?彼はここにはいない。彼はいない。彼は肉体という形ではいないんだ。地球上で最も有名な人になったら、そのための代償が必要だ・・・彼は命で支払ったと言えるだろうね。本当に」
(終わり)

原文: ■ Lee: Treatment Of MJ In Media Was 'Shameful'
Source: MJFC / Brandon Sun
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