Unbreakableを語る(その1)

MJFCのジョイエ・コリンズと「M Poetica」の著者ウィラ・スティルウォーターが対談形式でマイケル・ジャクソンを語るブログ「Dancing with Elephant」より、「インヴィンシブル」記念月間パート1:Unbreakableです。

ウィラ:今週から1ヶ月にわたるインヴィンシブル・シリーズを始めます。まずは、私たちがその興味深い歌詞で大好きな、挑戦的な"ときの声"、「Unbreakable」から。

ジョイエ:「Unbreakable」は大好きです。その歌詞は聞き手に包み隠さず飛び込んできます。彼にとっての人生がどんなものであったか、ということを知るための手がかりといってもよいものだからです。「Unbreakable」はその様な歌詞を持つ興味深い曲です。

Now I’m just wondering, why you think
(ところで、不思議なんだけど)
That you can get to me, with anything
(なぜ君は僕をどうにかしてやっつけられると思っているのか)
Seems like you’d know by now
(もう気付くべきだ)
When and how, I get down
(いつどのようにして、僕がひざまずくのか)
and with all that I’ve been through, I’m still around
(そして僕が経験したそういういうものをもってしても、僕がまだ立っているということを)

すべてのスネドン的なもの、ダイモンド的なもの、チャンドラー的なもの・・・世界のすべてのタブロイド的なものに対して呼びかけているかのようです。そしてこう言っています。「You tried your best but, I’m still here and there’s nothing you can do about it!(君は全力でかかってきたけど、僕はまだここにいる。君には何一つできやしない!)」

ウィラ:そう思います。その表現の仕方、いいですね。実際、「インヴィンシブル」の曲の多くから「彼にとっての人生がどんなものであったか」を知ることができます。特に「Unbreakable」がそうだと思います。彼が耐え忍んできた全てのものに対する挑戦状のようなものです。この行に特に強い印象を受けました。「君は僕に触れることは出来ない。僕は触れてはならないもの(untouchable)だから」という部分です。

インドやパキスタンなどのカースト制度では、「Untouchables」はかつて(そして一部では今も)、最下層の人々のことでした。彼らは汚れたものと見なされていました・・・彼らが触れるだけで、たまたまぶつかったとういだけで、その人も汚れるとされるほどです。彼らが「untouchable」である理由です・・・触れてはいけないし、触れさせてもいけないからです。

6年生の時、近所の年上の女の人と友達になりました。彼女は女性医師がほとんどいなかったころに医師になった人です。30年近くをパキスタンとインドで医師として仕事をしていて、とても素晴らしい女性でした。彼女のところへ言って話を聞くのが大好きでした。「Untouchables」のことは私にとってとても印象的でした。愛する人や大切にしているものを触ることで堕落させるというのはどういうことなのか不思議に思ったものです。ギリシャ神話のミダスみたいにね。この場合は悪くなるんですけど。金ではなくて汚れたものにね。

1993年以降のマイケル・ジャクソンの人生というものはそういうものだったのです。彼の一般のイメージは有害なものとなり、彼が支えた人々、彼が庇護した場所、彼が手がけていたプロジェクトも同様に汚れたものとなったのです。彼の友人や家族、そしてファンまでもがマスコミで嘲笑を受け、リサ・マリー・プレスリーは恐ろしい扱いを受けたのです・・・彼と同じような扱いを。911テロの犠牲者のための曲「What More Can I Give」は、国家的悲劇を使ってイメージアップを狙った、人を馬鹿にした策略だとされました。そして、困っている子供たちへの支援の努力は、良くて不適切な行為、悪い場合は、モラルが崩壊していることの更なる証拠であるとして批判されました。言い換えれば、「インヴィンシブル」が発売される頃までには、彼は「untouchable」になっていたのです。彼の動機が純粋であるということを信じるマスコミはありませんでした。彼が触れたものは全て、彼と関係があるというだけで、象徴的な意味において汚されたのです。

「Unbreakable」のコーラスで、彼はこのことを認めているように思えます("You can't touch me 'cause I'm untouchable 君は僕に触れられない。僕は「untouchable」だから")。でもその次には、彼はそのキャリアを通じて注目すべきことをするのです。つまり、彼はこの文化的物語※を取り上げ、完璧にひっくり返して書き直したのです。"You can't touch me 'cause I'm untouchable 君は僕に触れられない。僕は「untouchable」だから"は彼の譲歩であるとは思いません。彼の強さの宣言であるように思えます。彼は「untouchable」なのです。なぜなら触れるには強すぎるから、傷つけるには無敵すぎるから。彼がこのフレーズと、これに呼応するよく似たフレーズを歌う時、このような自らの再定義を声の力で伝え、この大胆な新しい意味を訴えているのです。

You can't touch me 'cause I'm untouchable
(僕に触れることは出来ない。僕は「untouchable」だから)
You'll never break me 'cause I'm unbreakable
(僕を負かすことはない。僕は負かすことが出来ない存在だから)

彼はこのくだりを6回歌い、そのうちの3回は曲の終わりに歌われます。この言葉は重要で、彼がこの作品を通じて繰り返し行ったことをいろいろな意味でコンパクトに凝縮しているのです。彼は自分を疎外された人々の中に位置づけていて、その疎外された人々に発言する機会を与えているのです・・・この場合は、彼ら(マイケルを含む)は汚れ、追放され、「untouchable」であると分類されました・・・その一方で、彼らから力を奪う文化的物語を根本的に変えようとしているのです。この場合、“I'm untouchable”という彼の叫びは、彼の動機を捻じ曲げ、最悪の解釈を押し付けようとする人々に対する挑戦となるのです。
(※cultural narrative:ある文化の中で、世代を越えて語り継がれる普遍性を持った物語のこと)

ジョイエ:へえー、OK、ウィラ、あなたの考えには感心しますよ。カースト制度という視点で「Unbreakable」を考えたことなんてありませんでした。世界のいろいろな場所にあるカースト制度については読んだことがあります。あなたの言う通りですね。このように考えるのは魅力的であり悲しくもあります。だけどこの歌をそんな見方をしたことはありませんでした。
その2に続く)
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