MJFCインタビュー:「M Poetica」著者、W・スティルウォーター(その2)

JC:マイケルの作品を観察するにあたって文学理論を多用されてますが、それに異を唱える出版社もありました。あなたの本をめぐる論争について説明していただけますか?

WS:先ほど言いましたように、私は英文学と文学理論を学びました。だから、マイケル・ジャクソンの作品を見るにあたり、私はごく自然にそれを利用しました。マイケルがやっていたこと、なぜそうしていたか、を詳細に説明するために文学理論の要素を導入したことは必要なことだったと思っています。文学理論というものはかなり専門化した分野ということで、懸念を抱いた出版社もありました。有機化学や天体物理学やクラシック音楽などについては、理解できないことがたくさんありますよ、私の専門分野ではありませんからね。それに、本の中に出てくる私の見解の中には、とても複雑だったり、私のような見方をしたことがない場合には多少不快に感じるものがあるということはその通りです。

しかし、私はそのような出版社には絶対に同意できません。私はこの本を、一般読者を念頭に書きました。私の見解は一般読者に興味を持ってもらえるだろうし、とっつきやすいだろうと思ったからです。またこうも思います。つまり、マイケル・ジャクソンの作品、特にビデオやビジュアルアートを見るための道具として文学理論を使うことは、読者に全く違う見方を提供し、見えなかったものを見せることができるんです。わたしにとってはこのことがとても価値あることでした。私個人としては、このような見方のおかげで彼の作品を深く理解し楽しむことが出来ました。私はこのことを皆さんと共有したかったのです。

正直、私は本当に虜になりました。このような見解を公表し、マイケル・ジャクソンについての会話の中身を変える手助けをするということは私にとってとても重要です。マイケルはとても誤解されていたというのがその理由の一つです。ですから、4社が興味を示して本を見たいという申し出があった時、私はとてもワクワクしました。でも4社とも辞退してしまいました。売れそうもないからだと言ってました。とてもがっかりしましたよ。彼らの言う理由はいくつもあって、どれも私はムッとしましたが、率直に言って、売れないという意見が特に頭にきましたよ。ガックリ来て、言われたことを何度も頭の中で繰り返しました。でもそんなことしているべきではなかったし、後悔しています。マイケル・ジャクソンのアートという真のテーマから、アートを通じて何をしようとしていたか、彼のアートがいかに重要で素晴らしいか、ということから目をそらすことになったんです。

JC:本の中で、文化的物語(cultural narratives:世代を越えて定着したもの、という意味)、ということに何度も触れられてますが、文化的物語とは何か、文化的物語は私たちが住む世界をどのようにして形作るのか説明していただけますか?

WS:文化的物語とは、私たちが私たちの住む世界を説明し理解するために使う物語に過ぎません。そして何度も何度も繰り返される物語であるという傾向があります。例えば、シンデレラの物語は世界で700種類以上あります。しかしそれらはすべて一つの大きな文化的物語が起源なんです。文化によって、ストーリーに多少の違いがありますけどね。興味深い疑問は、なぜシンデレラの物語は数世代に渡って何度も何度も繰り返され続けるのか、ということです。私たちにとって大変重要だと語る、それは一体何なのか。

文化的物語のもう一つの特徴は、広く受け入れられるということです。ただし、これは実話でなければならないということを必ずしも意味するわけではありません。実話かもしれないし、実話でないのかもしれない。聖書の創造の話は文化的物語です。そして進化論の理論も文化的物語です。この二つは矛盾する文化的物語です。そして、比ゆ的に話をしている場合でなければ、両者が同時に真実であるということはあり得ませんし、衝突することすらあります。なぜならそれぞれが別の世界観を支持するものだからです。そして、たとえひとつの文化的物語が真実でないとしても、それが影響力を持たないということを意味しているわけではありません。人種差別は文化的物語です・・・私たちが文化として話しているにすぎませんが・・・しかし、それは「単に」一つの物語に過ぎないからといって、実際に影響がないということではありません。同じ物語を繰り返し繰り返し話すということの影響は疑う余地のないものなのです。

最近私がずっと考えている一つの文化的物語は、人気パフォーマーの生涯とキャリアの物語なんです・・・つまり、一人のスターが誕生するという物語なんです。才能ある若いアーティストの物語はよく耳にする物語です。つまり、発掘され、急上昇し、スターダムの頂点で生き生きとした瞬間を経験し、そして落ちぶれる、というものです。私たちはそのような物語を、エドガー・アラン・ポーからブリトニー・スピアーズまで、繰り返し繰り返し語ってきました。私たちは同じ話を繰り返し繰り返し話し続けています。これだけで十分悲劇なのですが、もしあるスターが薬物中毒にもならず、そして本人の落ち度で落ちぶれたりしなければ、私たちはやがてそのスターに敵対するようになり、そして徹底的にこき下ろすようになる、ということが本当の悲劇です。才能もあり人気もあるアーティストを攻撃するという本能がどこからやってくるのかはわかりません。しかし、私たちは、そのような物語を何らかの形で書き改めなければなりません。とても残酷な話ですから。

チャーリー・チャップリンはいろいろな意味でアメリカの映画産業を作り上げましたよね。そして彼は素晴らしい才能を持ち多くの人々から愛されました。そして1942年だと思うんですが、彼はある子供の父親であると非難されました。とても面倒で、衆目にさらされた裁判がありました。検査が行われ、彼は父親ではないと結論づけられました。しかしその結果は全く問題にされなかったのです。法廷でも一般の認識でも。彼は有罪であるとされ、養育費を払うよう命じられました。その後の彼の生涯の30年から40年もの間、ある批評家が言ったように、彼は「モラルの欠けたつまはじき者」として扱われました。マイケル・ジャクソンはあるインタビューで一度、自分が時々チャーリー・チャップリンのように思えると語りました。私にはそれがなぜだかわかります。二人には気味が悪いほど多くの点で類似点があります。これらの類似点のうち、どの程度が偶然の一致なのでしょうか?そして私たちが文化として、これと同じ(持ち上げて落とすという)既存の文化的物語に二人を当てはめようとしたのはどの程度だったのでしょうか?二人を見ていると、マイケル・ジャクソンには、生まれる前からその生涯の筋書きが書かれていて、私たちは彼をそれに無理やり押し込んだようなものというように感じるんです。
その3に続く)
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