Thriller 3D ヴェネツィア国際映画祭でプレミア

「Michael Jackson's Thriller 3D」が2017年の第74回ヴェネツィア国際映画祭でワールド・プレミアとなります。マイケルのアーカイブよりのオリジナル35mmネガフィルムを使用し、オプティマム・プロダクションズとジョン・ランディス監督のもと、大評判となった映像を3Dに転換するための緻密かつ膨大な作業が行われました。オーディオ部は、最高品質のオーディオ・ヴィジュアル体験をお届けすべく、ドルビーアトモス5.1、7.1にアップデートしました。以下、全文。

「Michael Jackson's Thriller 3D」が2017年の第74回ヴェネツィア国際映画祭でワールド・プレミアへ

長い間噂となっていたファンの皆さん待望の「Michael Jackson's Thriller 3D」が2017年の第74回ヴェネツィア国際映画祭でワールド・プレミアになることをマイケル・ジャクソン・エステートが本日発表しました。メディア用の資料はこちらにご用意しております。

ジョン・ランディス監督、ジョン・ランディス、マイケル・ジャクソンによる脚本によるマイケル・ジャクソンを象徴する映像をオリジナルとする「Michael Jackson's Thriller 3D」は、再編集などは一切行われておりません。オプティマム・プロダクションズはジョン・ランディスとともに、最新のテクノロジーを用い、マイケルのアーカイブより得られたオリジナルの35mmのネガフィルムを3Dに変換するための緻密かつ膨大な作業を実施しました。

強化された映像を完璧なものとするために、マイケルの曲やエルマー・バーンスタインのスコア、そして効果音を含む全てのオーディオは、マイケルとランディスが企図した劇場での鑑賞において最高品質のオーディオ・ヴィジュアルを体験し楽しんでいただくべく、ドルビーアトモス5.1、7.1にアップデートしました。

発表に際しジョン・ランディスは、「"Michael Jackson's Thriller"を修復するだけではなくパワーアップする機会に恵まれたことはとてもハッピーです!私たちは、映像とオーディオに新たな次元を加え、まったく新しいレベルに到達させるべく、最新のテクノロジーをフルに活用しました。"Thriller"は伝統的な手法で撮影されましたが、3-D技術を創造的に活用することができました。あらかじめ注意しておきますが、衝撃的サプライズがありますよ!」 と語っています。

マイケル・ジャクソン・エステートの共同執行人ジョン・ブランカとジョン・マクレーンは、「マイケル・ジャクソンは"Thriller"をリッチな劇場体験ができるようにと製作しました。すなわち、楽しさ、おかしさ、怖さ、エンターテイメントです。それ以前も以降も、本作に匹敵するものを制作した者はおりません。"Michael Jackson's Thriller 3D"は、彼とジョン・ランディスによるオリジナル・バージョンを現代の技術でパワーアップしたものです。ファンの皆さんには気に入っていただけるだろうと思っています」と述べています。

その冒頭より、マイケル・ジャクソンとジョン・ランディスは、映画の審美眼のもとに"Thriller"を製作しています。マイケルは映画「狼男アメリカン」のファンでした。そこでこのプロジェクトを共同で進めるべくランディスを招きました。マイケルとキャストの精巧な変身には、アカデミー賞の受賞歴もあるメーキャップ・アーティストのリック・ベイカーが起用されました。マイケルとの共同振り付けは、マイケル・ピーターズによるものです。当時のマネージャーで現在はジョン・マクレーンとともにエステートの共同執行人であるジョン・ブランカは、"メイキングもの"の最初である"Making of Michael Jackson’s Thriller"放映のためにMTVおよびShowtimeとの交渉を担当し、本編製作の費用を補いました。

"Thriller"は1983年にロサンゼルスのAVCOシアターでプレミアされ、3週間の上映期間の間、すべてソールド・アウトとなりました。音楽映画でこれほどの興奮を集め、注目された作品は他にはありません。30年以上経った今も、私たちは記憶として本作を共有しており、そして議会図書館の国立フィルム登録簿に選出された唯一のミュージック・ビデオです。世界最古の映画際である名声の誉れ高いヴェネツィア国際映画祭におけるプレミアに"Michael Jackson’s Thriller 3D"および"Making of Michael Jackson’s Thriller"はふさわしいものです。"Making of Michael Jackson’s Thriller"は1983年から1990年までVHSで発売さていましたが、現在ではいかなるフォーマットでも購入することはできません。本ドキュメンタリーが劇場で見られるのはヴェネツィアでの上映が最初となります。

謝辞:"Michael Jackson’s Thriller 3D"製作にあたり、下記の協力をいただきました。

2Dフィルム修復:Deluxe Lab
3D化:Legend3D
オーディオ:NBCUniversal Studio Post Feature Sound、ウンベルト・ガティーカ、マーティン・ネッシ

ソース: www.michaeljackson.com / MJJFANCLUB.JP

Thrillerから35年、マイケルを象徴するサングラスが現代にリブート

マイケル・ジャクソンのアルバム「Thriller」は今年で発売35周年を迎える。この時マイケル・ジャクソンはすばらしいファッションで人々の記憶に残ることとなった。「Thriller」のミュージック・ビデオでは、ジャクソンは、バーシティ・ジャケットを着た学生から未来的な赤いレザー・ジャケットを着て腰の動きで挑発する邪悪なキャラクターへと変身する(この貴重な一品はのちに180万ドルで売りに出された)。「Billie Jean」では、粋な蝶ネクタイで闊歩している。このほかに注目すべきジャクソンのファッション史の一コマとしては、サングラスが挙げられるだろう。ジャクソンはキャリアを通じてサングラスをかけていた。典型的なのものは大き目のパイロット・サングラスで、1993年のスーパーボウルでパフォーマンス時でも、1984年のグラミー賞授賞式でも着用していた。時代が下ると、ジャクソンは調光レンズのサングラスで登場するようになる(ちなみに、1984年のVictoryツアーでジャクソンが着用したサングラスはのちにコリー・フェルドマンが所有することになるが、かつて2万7500ドルで売られたことがある)。

だが普通の人にとって、MJのスタイルを思わせるサングラスを手にするのにそれほどの大金をつぎ込む必要はない。Thrillerの記念の年を祝い、キング・オブ・ポップのサングラスがマイケル・ジャクソン・エステートとのコラボレーションのもとアイウェア・メーカーのイレステーバの手によって改良された。80年代後半から90年代初頭にかけてジャクソンが着用していたパイロット用サングラスが新たな解釈によって淡いリフレクティブ・ゴールドのフレームレス・サングラスとなって登場する。「史上最高のアイコン・パフォーマーであるマイケル・ジャクソンは滅多にサングラスをはずしませんでした。彼を思うとき、あのパイロット用サングラスがすぐに心に浮かびます」と語るのはCEO兼デザイナーのダニエル・シルバーマンだ。「彼が今ならかけるであろう、ただし最新技術を盛り込んだ形をデザインしたいと思いました。フレームは2.55ミリのマスク・レンズから作られました。ゴールドの濃淡が特別につけてあります。テンプレは軽量スチール製です」。200個のみの製造で値段は240ドルとなる予定だ。

もちろんサングラスだけがジャクソンのアクセサリーではない。彼は1984年のロサンゼルス・ドジャースタジアムのパフォーマンスでは眩いばかりの白いグローブをはめていたし、フェドラの膨大なコレクションも所有していた(フレッド・アステア風のミュージック・ビデオ「Smooth Criminal」では、生まれ変わった白いフェドラを着用しているし、1994年にリサ・マリー・プレスリーと結婚した際には黒いトッパーをかぶっていた)。ジャクソンの際限のない行き過ぎ気味のアクセサリーへの傾倒はソックスにまで及んでいた。彼はしばしば、7分丈ズボンでムーンウォークをする際にソックスを光らせていた。あのラインストーンのソックスやファンキーなフェドラが次にリメイクされるか注目である。

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■35 Years After Thriller, Michael Jackson’s Iconic Sunglasses Get a Modern Reboot

This year marks the 35th anniversary of Michael Jackson’s Thriller album, in which the star had several standout fashion moments. In the music video for the song “Thriller,” Jackson transformed from a wholehearted student in a varsity jacket to a more sinister character who gyrated his hips while sporting a futuristic red leather jacket. (That prized piece later went on to sell for $1.8 million.) In “Billie Jean,” he strutted around in a dapper bow tie. Another snippet of Jackson fashion history worth noting are his sunglasses: The entertainer wore shades throughout his career, typically oversize aviators, whether he was performing onstage at the 1993 Super Bowl or accepting a Grammy in 1984. Later on, Jackson appeared with light-adaptive glasses. (Fun fact: A pair of Jackson’s sunglasses from the Victory Tour in 1984, later owned by Corey Feldman, once sold for a whopping $27,500.)

You won’t have to fork over quite that much to grab a pair of sunglasses that recall MJ’s style. The King of Pop’s shades are receiving a revamp thanks to eyewear company Illesteva, which has teamed up with the Michael Jackson estate in celebration of the Thriller anniversary. The frameless sunglasses come in a thin reflective gold, a reinterpretation of the aviators that Jackson wore during the late ’80s and early ’90s. “Michael Jackson, one of the most iconic performers of all time, was rarely seen without sunglasses. When we think of him, the aviator immediately comes to mind,” says CEO and designer Daniel Silberman. “We wanted to design a shape that he would wear on stage today but combined with modern technology. The frame is made out of a 2.55 millimeter mask lens in custom gold gradient with lightweight steel temples.” Only 200 of the glasses will be produced and will be priced out at $240 each.

Sunglasses aren’t the only accessory Jackson was known for, of course. He wore a bedazzled white glove at his performance at L.A.’s Dodger Stadium in 1984, and he also owned a vast fedora collection (he wore a white incarnation in the “Smooth Criminal” music video à la Fred Astaire, and in 1994 he married Lisa Marie Presley in a black topper). Jackson’s perpetual love for over-the-top accessories even came down to his socks—the entertainer often flashed a glinting pair while doing the moonwalk by way of a cropped trouser. Now, let’s see if it’s his rhinestone-encrusted socks or funky fedora that gets remade next.

ソース: vogue.com / MJJFANCLUB.JP

マイケル・ジャクソンの「Thriller」のビルボード・チャート通算在位が300週に

ビルボード誌最新号によると、マイケル・ジャクソンのアルバム「Thriller」は、アルバムチャートのビルボード200の通算在位300週を達成した特別なアルバムの仲間入りを果たし、同アルバムのマイルストーンがまた一つ追加されました!「Thriller」は世界で1億500万枚以上を売り上げて史上最大のセールスのアルバムを維持し、そしてアメリカレコード協会(RIAA)が認定する音楽史上唯一の33xプラチナ(ダイヤモンド)を達成したアルバムです。1982年11月30日にリリースされた同アルバムは世界中のチャートで1位を獲得し、グラミー賞では最優秀アルバム賞を含む8冠を達成しています。

■ Michael Jackson’s ‘Thriller’ Hits 300th Week On Billboard Chart

According to the latest issue of Billboard, Michael Jackson’s Thriller album has now joined another elite group of albums that have spent 300 weeks on the Billboard 200 albums chart, adding to the bevy of other milestones for the album! Thriller remains the biggest selling album of all time with more than 105 million sales worldwide, and the only album in music history to achieve a 33x Diamond Award from the Recording Industry Association of America. Released on November 30, 1982, Thriller topped the charts in almost every country in the world and won a record-setting eight GRAMMY Awards, including Album of the Year.

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ソース:The official facebook page of Michael Jackson / MJJFANCLUB.JP

マイケル・ジャクソンにはかつてないほどに価値があり、役所はその分け前にありつきたい(その1)

マイケル・ジャクソンが2009年にプロポフォールとロラゼパムの過剰投与で亡くなって7年が経った。故人である彼についてのゴシップ話をすることの是非については提訴の期限は過ぎているようだ。未来のファーストレディ、メラニア・トランプは、大統領選挙期間中に受けたインタビューの一つ、富裕層向け雑誌DuJourの中で、夫ドナルドの友人でありトランプ・タワーのかつての住人であったジャクソンが、彼女の夫にやきもちを焼かせるためにキスしようといたずらっぽく提案したということを明かした。そしてマドンナはCBSのLate Late Showで、その昔ジャクソンと本気のキスをしたこと暴露した。そしてニューヨーク・ポストのゴシップサイトPage Sixは、トミー・ヒルフィガーの回想録American Dreamer: My Life in Fashion and Businessより、1990年にヒルフィガーがカリフォルニア州サンタバーバラ郡のネバーランドを訪問した際の話を掲載した。キリンに小象の一団と遭遇し、オフィスでジャクソンと会った際には鼻には絆創膏でサングラスをかけたジャクソンが「ゴールドとバーガンディ・レッドの王座」に座っていた。ジャクソンの二人の子供、プリンスとパリスもその場にいて、「フル・メークな上にベルベットのニッカーにダーンドルのジャンパー、フリルのブラウス、エナメルのシューズという、ブロードウェイのショーかサウンド・オブ・ミュージックのような」服を着ていたという。

「エルヴィス・プレスリーが亡くなった時と言われていることは同じね。ものすごい出世よ」

18歳になったパリスはこのような冗談を言っている。ローリング・ストーン誌より初となるロング・インタビューを受け、彼女は間違いを正した。曰く、父親が50歳で亡くなるまで、彼女はすばらしい子供時代を過ごしていた。その後、薬物で苦しみ自殺を図ったりしたが、今ではとても幸せで、クリーンで、そして同誌が言うところの、「巨万の富(段階的に支給されるマイケル・ジャクソン・トラストは10億ドル以上の価値)の相続人」である。

IRS(国税当局)の動きによってはその数字が変わる可能性がある。IRSの弁護士らは遺言執行人らを提訴しており、ロサンゼルスの連邦租税裁判所で今月から審理が始まることになっている。罰金と追徴課税7億200万ドルを遺産から支払うべきであると立証することがIRS側の意図だ。この裁判の最重要ポイントは、ジャクソンの名前と肖像、つまり、コーヒーカップや野球帽などあらゆるものに彼の顔写真を使う権利の価値である。相続税の申告は亡くなった時点での故人の資産の総額であるべきとされ、カリフォルニア州法では名称や肖像も含まれる。IRSは、ジャクソンには4億3400万ドルの価値があったはずであると主張している。エステート側は、2105ドルに過ぎないと主張し、数々のストーリー(漂白した、整形手術に固執していた、処方薬を乱用していた、奇妙な育児(公の場では黒いベールやスパイダーマンのマスクをかぶせていた等)、ネバーランドを訪れた幼児に性的虐待を加えていたなど)によって、彼のイメージにはほとんど価値がない状態であったとしている。

著名人の資産を管理する弁護士らは本裁判に注目している。プリンス、デヴィッド・ボウイ、レナード・コーエン、マール・ハガード、モハメド・アリ、デビー・レイノルズとその娘キャリー・フィッシャー。2016年はアイコンたちの死去が続いた記録的な年だ。12月のフィッシャーの死去の際には、ウォルト・ディズニーが今後のスター・ウォーズの映画における彼女のデジタル肖像の使用に向けた契約締結を急いでいるという報道がなされた(ディズニーは否定)。コンピュータで生成したイメージと声を用いて蘇らせる技術などの利益を生むための新たな道筋をテクノロジーとソーシャル・メディアが切り開いたことで、亡くなったスターの肖像や名称の価値が上がったと税務調査官が見ていることをジャクソンの裁判は示唆している。

マイケル・ジャクソンの資産の現在の財務状況に主に貢献しているのは必ずしもマイケル・ジャクソンではない。66歳になるロサンゼルスのショービジネス専門弁護士ジョン・ブランカ(ジフレン=ブリテナム法律事務所)は過去37年の多くをマイケル・ジャクソンのレコード契約を手がけ、衝動的行動から彼を守ろうと努めてきた。ジャクソンの死後、ブランカとジョン・マクレーン(音楽業界の重鎮であり、控えめなジャクソンの元側近。この手のインタビューには応じていない)は、遺言執行人に指名された。これにより、遺言で指名されている相続人-プリンス、パリス、ブランケットと母親のキャサリン・ジャクソン(3人の子供たちの後見人に指名)-のために収入を得ることに対してブランカとマクレーンが責任を負うこととなった。

「マイケルは私によくこう言っていました。『君と僕、ブランカ、僕たちはビジネスの手本となるんだ。僕たちはキングになるんだよ』と」とブランカは言う。7月初旬、ビバリーヒルズの高台の高級住宅街にある自宅の豪華な家具が置かれたリビングで彼はくつろいでいた。彼は歳をとったロックスターのような風貌で、カレンダーに抵抗しているかのようだった。スリムな彼はブラウンの髪をたたえ、黒いポロシャツとパンツをおしゃれに着こなし、足元は高そうな黒の革製スニーカーだ。2度の離婚歴のあるブランカは、32歳のモデル、ジェナ・ハートと婚約している。彼女は少し顔を出したが、フィアンセより目立ってはいけないとすぐに奥へ引っ込んだ。これまでのクライアントの署名入り写真が壁を覆っている。モータウン・レコードのトップだったベリー・ゴーディ、イーグルスのドン・ヘンリー、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソン、そしてもちろんジャクソンだ。最初の妻リサ・マリー・プレスリーと幸せそうにポーズをとっている。ブランカは、自分がこの二人を引き合わせたのだとカジュアルに明かした。

ブランカが陽気な性格でなければ、単なる自画自賛に映るかもしれない。彼はニューヨーク州マウントバーノンで育った。オールスターに3度出場した元ブルックリン・ドジャースのピッチャー、故ラルフ・ブランカの甥である。ブランカはスポーツが好きだったが(彼は熱心なベースボール・カードのコレクターだった)、音楽の方により興味があった。両親が離婚し、ダンサーだった母親と暮らすためロサンゼルスに移住した。ティーンエイジャーのころ、カリフォルニア州パロス・ヴェルデスの名門チャドウィック・スクールを放校処分となり、60年代のサンセット・ストリップでバンドに入りキーボードを弾いていた。そのバンドはドアーズの前座をしたこともある。

ブランカは音楽を学ぶためロサンゼルス・シティ・カレッジに入学した。彼はハーモニーではA評価だったが、仲間の学生との演奏では自分とのレベルの違いを感じていた。その中には後のソウル・ジャズの巨匠ピアニスト、レス・マッカンがいた。「僕はあたりを見回して言いましたよ、『馬鹿げている、僕は場違いだ』って」とブランカは振り返る。そこで彼は1975年にUCLAで法律の学位を取得し、ショービジネス専門弁護士の故デビッド・ブラウンのもとで仕事を得た。クライアントにボブ・ディランやニール・ダイアモンド、元ビートルズのジョージ・ハリスンらを抱えていたブラウンの仕事は順調で、あくせくする必要はなかった。ある日、ビーチボーイズたちがオフィスへやって来た。「デビッドは誰が誰だか知らないし気にもしていなかった」とブランカは言う。「だから彼はミーティングに僕を出席させたんです。当時27歳でした。突然、ビーチボーイズの弁護士になったのです」。

「結婚式でのバブルスと元妻やその他の人が写った面白い写真は僕が撮ったんです」

偶然にも、ビーチボーイズの会計士はジャクソンの税金についても扱っていた。1980年、その会計士はブラウンとブランカを、当時急上昇中だったジャクソンに引き合わせた。当時ジャクソンは21歳。暴君的な父親にして最初のマネージャーだったジョセフ・ジャクソンから離れようとしているところだった。ブランカはジャクソンがいい意味で変わっていると思った。「彼はサングラスをしていましたが、それをずり下げ、『知り合いだったかな?』と言いました。私は、『会ったことはないと思いますが、あなたと知り合いになるのは楽しみです』と答えました。『僕たちは知り合いじゃないって本当かい?』、『マイケル、会っていたら忘れませんよ』っていう感じです」。次の日、ブランカはその会計士から電話を受けた。ジャクソンはブランカを代理人として雇ったのである。

ブランカが最初にやったのは、所属レーベルであるエピック・レコードとの彼が言うところの"馬鹿げた"契約の再交渉であった。当時ディランなどの限られたアーティストのみが享受していた印税率を勝ち取ったのである。"Thriller"発表に向けて準備をしているころ、ジャクソンはタイトル曲"Thriller"のビデオの予算に120万ドルを要求した。ブランカは反対した・・・ミュージック・ビデオの制作費は5万ドルが相場のころだ・・・しかし、ジャクソンは「そんなことはどうでもいい。何とかしてくれないか」と素っ気なかった。ブランカはテレビ局のショウタイムとMTVに、ビデオ"Thriller"のメイキング映画を名目に60万ドルを提供するよう説得した。そして家庭用ビデオの権利に40万ドルという条件でもう一社を説得した。完成した13分の映画には、近くの墓場から這い出した死者の群れが登場し、ゾンビとなったジャクソンとともにダンスを披露した。当時エホバの証人の信者だったジャクソンは、冒涜的なので破棄するべきだと思ったが、ブランカが一計を案じた。彼はジャクソンにこう言ったのだ。1931年製作の古典映画「魔人ドラキュラ」の主演ベラ・ルゴシは信心深い人であったため、劇場公開時に製作者らに但し書きを差し込ませた。曰く、彼自身の見解を反映したものではない、と。「あれは完全なウソでした」とブランカは笑って言った。ジャクソンは但し書きを付け加えた。そして大人気となったこのビデオはアルバムセールスを世界で1億枚にまで押し上げたのである。現在もなお最高売り上げの記録を保持している。

1984年、ブランカは、オーストラリアの企業買収家ロバート・ホームズ・ア・コートがATVミュージックという会社を売りに出していることを知る。"Yesterday"や"Revolution"、"The Long and Winding Road"、"Hey Jude"といったビートルズの200曲以上の権利を保有している会社である。興奮したジャクソンはATVが手に入るならいくらかかってもいいとブランカに言った。「僕のカタログだ!」と彼はメモに書いている。だが、ジャクソンとブランカによる4750万ドルのオファーは、5000万ドルを提示した二人のニューヨーカー、マーティ・バンディアとチャールズ・コッペルマンに敗れてしまう。

バンディアはコッペルマンとともにホームズ・ア・コートに会うためにロンドンへコンコルドで飛んだときのことを覚えている。「私たちは取引は終わったと考えていました」と彼は言う。彼はブランカが同じ飛行機に乗っていたことには気づいていたが、特に何とも思わなかった。現地に着くと、ホームズ・ア・コートはジャクソンの弁護士のオファーを受け入れたと言った。ブランカはホームズ・ア・コートの娘、ペニー(Penny)に対し、ビートルズの名曲Penny Laneの権利を残す、と申し出ていたのだ。さらに、ホームズ・ア・コートが肩入れしている慈善団体が開催するパースでのイベントに1時間ジャクソンが出演することにブランカは同意した。「がっかりでしたよ」とバンディアは振り返っている。ブランカはこのカタログの中の映画音楽を600万ドルで売却したので実質価格は4150万ドルであった。ジャクソンはカタログ購入のために3000万ドルを借り入れたため、後に窮地で彼を救うことになるこのカタログをたったの1150万ドルの現金で入手したことになる。ジャクソンはブランカの苦労に対し、ロールスロイスを贈って報いた。

その2へつづく)

マイケル・ジャクソンにはかつてないほどに価値があり、役所はその分け前にありつきたい(その2)

3年後、ブランカは、ジャクソンが6000万ドルで売り出されていたネバーランドを1750万ドルで購入する手助けをした。ジャクソンは上機嫌でブランカにロールスロイスをもう一台プレゼントした。同じころ、ジャクソンはブランカの最初の結婚の時にベストマン(花婿介添人)を務めた。ジャクソンはおそろいのタキシードでチンパンジーのバブルスを連れてきていた。「バブルスと(前の)妻、そして式場の皆さんが写った楽しい写真を撮りましたよ」とブランカは懐かしそうに語った。リトル・リチャードが司祭を務めたことも付け加えておく。

ジャクソンにとって状況が厳しくなるにつれて、ブランカとの関係も悪化した。さまざまな人々がジャクソンに話を聞いてもらおうと競い、そしてブランカは解雇された。そして1993年の最初の児童虐待疑惑の時(これらは民事訴訟で示談となり、示談金は2000万ドルと広く報じられた)に再び雇用された。ブランカは着任するや、裁判費用をカバーするためにATVの半分をソニーへ7500万ドルで売るべきという他のアドバイザーたちを封じた。1995年には、ブランカの交渉により、1億1500万ドルの一時金と1000万ドルからスタートした年払い金と引き換えにATVとソニーの版権子会社を合併する契約がまとまった。

その年、ジャクソンは最初の遺言を書き始め、執行人にブランカとマクレーンを指名した。ジャクソンに子供ができた段階でこれまで二度改定されたが、基本的なことは変更されなかった。

だがブランカにとって、ジャクソンを守ることが徐々に困難になってきた。ジャクソンが処方薬の中毒に陥り、おかしな行動が目に付くようになる。彼の最後のスタジオ・アルバム「Invincible」(2001年リリース)のレコーディングには破格の3000万ドルを費やした。ジャクソンは8万枚という売り上げ(他のアーティストならヒットである)の責任をソニーに帰した。2002年7月、ジャクソン(顔色が悪く歌舞伎のような外見だった)は、ニューヨークで記者会見を立て続けに行い、自分は人種差別的な音楽業界による黒人アーティストの搾取の歴史の被害者の一人であると述べた。その年のドイツでジャクソンは、ファンが見えるようにと幼いブランケットをホテルの窓の手すり越しにぶら下げるという行為によって自ら新聞の見出しを飾ってしまった。

2003年に放映されたテレビ番組「Living With Michael Jackson」では、ジャクソンのインタビューの使い方についてプロデューサーのマーティン・バシールをコントロールしようとしたブランカの試みはジャクソンによって無にされた。ジャクソンは、時にはネバーランドを訪れていた子供たちと一緒にベッドに入っていたと明かしたのだ。その中にはガンを克服した子供も含まれており、その子供はカメラの前でジャクソンの隣に座り、それは異常なことではないと屈託なく主張していた。その後まもなく、その少年の家族が性的虐待を受けたと告発し、刑事裁判へとつながった。2005年、彼はサンタマリアの陪審団によって無罪とされた。そのころまでに、ブランカは再び解雇されているが、その後もジャクソンのアドバイザーらからは手助けを求める連絡が入っていた。結局、ジャクソンの混乱状態はあまりに激しくなり、そしてブランカはジャクソンの元を去った。

ブランカ不在でジャクソンは低迷した。もはやレコード・リリースもツアーもなく、彼のライフスタイルをまかなうのは基本的にはソニー/ATVの半分の権利を担保とした借金であった。ソニー/ATVを担保とした負債は2008年までに3億ドルにまで膨らんだ。ニューヨークのヘッジファンド運用会社、フォートレス・インベストメントがネバーランドの抵当権を買い取り、全額返済しなければ抵当権を行使すると迫った。

そしてドクター・トーメ・R・トーメが登場する。経歴や学位に関する詳細を述べることを拒んでいることからしばしば謎の人物と評される男だ。「私は自営業です」とトーメは言う。「私はたくさんの人々に助言をしています。世界中のトップの人々です。投資に関することです」。

トーメがジャクソンに最初に会ったのはラスベガスだ。ジャクソンは車椅子で互い違いのソックスを履いていた。兄ジャーメインの仲介によるものだ。トーメはジャクソンにコロニー・キャピタルを紹介した。コロニー・キャピタルは不動産投資会社でトム・バラックによって設立された(ジャクソンの大ファンであり、現在はトランプの友人である)。コロニーは抵当権が行使されるのを防ぐため、ネバーランドの負債を買い取った。「裁判所で競売にかけられる10日前のことです」とトーメは語る。その後、トーメはジャクソンのマネージャーとなり、負債の返済のための資金を得るためにジャクソンにステージへの復帰を促した。

2008年の暮れ、ジャクソンは翌年夏にロンドン・O2アリーナでの50回のコンサートでパフォーマンスすることに同意した。コンサートのチケットは即日完売し、チケット・セールスだけで5000万ドルの収入になると見られていた。トーメは、死の数ヶ月前のジャクソンはブランカと仕事をする気などなく、悪し様にさえ言っていたと主張している。しかしその死の8日前、ジャクソンは、リハーサルをしていたカリフォルニア州イングルウッドのフォーラムでのミーティングにブランカを呼び出した。二人は抱擁し、そしてブランカによれば、ジャクソンはこう言ったという。「ブランカ、おかえり」。

ここでブランカはインタビューを中座し、クローゼットから額に入ったジャクソンの署名入りの手紙を持って戻ってきた。「これがそのミーティングで彼が署名した手紙です。私が再び専属弁護士となることが確認されています。疑うファミリー全員へ向けたものです」。

ブランカによれば、ミーティング中のジャクソンは眠そうだったが、リハーサルのためにエネルギーを控えているのだと思ったという。その8日後、ジャクソンは専属医コンラッド・マーレー(後に過失致死罪で有罪確定)が処方した鎮静剤を混ぜ合わせたものを過剰に投与された。ジャクソンに対する圧倒的な同情が寄せられた。「彼の類まれなる才能と音楽に匹敵するほどに、彼のプライベートは悲劇と困難に見舞われていた。私たちはそれを無視することはできない。しかし、彼の一番の部分を認めることが重要だと私は思う」と当時の大統領バラク・オバマはCNNに対して語っている。オバマの後継者は自分を絡めた言葉を送っている。曰く、「私はマイケル・ジャクソンをよく知っていた。彼は特別なヤツだった。彼はパームビーチのマー・ア・ラゴ(トランプの別荘)に何度も滞在したんだよ」(昨年の選挙戦の共和党大会でトランプはジャクソンの悲劇について予想通りの分析を披露した。すなわち、「彼はとんでもなく自信を失った。それは、正直言って、最悪の整形手術のだめだ」。ジャーメイン・ジャクソンは、弟を壊したのは過度のストレスだったとしてツイッターでこう反論している。「愚かなトランプは座ってろ」)。

ジャクソンの死の直後、ブランカは、2002年7月7日付けのジャクソンの最後の遺言を読んだという。ロサンゼルスで署名された、ジャーメインの家にいたファミリーに宛てたものだ。ブランカの回想によれば、彼らは拍手を送ったという。しかし一家の長、ジョセフ・ジャクソンは、その文書は偽造だとしてブランカとマクレーンを非難した。その日、ジャクソンはソニーに抗議してニューヨークに滞在していたというのである。裁判所の文書によれば、ジョセフは、息子から月額6万ドルの仕送りを受けていたことを明らかにしたという。ロサンゼルス上級裁判所のミッチェル・ベックロフ判事が遺言を認めれば、ジョセフはその仕送りを受けられなくなるということであったが、結局判事は遺言を認めた。さらにジャクソンは、遺産管理の権限をブランカとマクレーンに与えていた。

ブランカが担当することとなり、彼はコンサート・プロモーターのAEGがO2でのコンサートに向けたリハーサル映像を所持していることを知った。それはジャクソンのリクエストで撮影されていたものだった。いくつかの映画スタジオがこの素材を編集したドキュメンタリーの配給を希望した。ブランカはこの入札競争の調整を行い、勝者となったソニーは6000万ドルの支払いを保障し、加えて利益の90%を支払うことに合意した。ソニーは2009年11月に「This Is It」を公開、全世界で2億9000万ドルの収益を上げ、最も成功したドキュメンタリーの一つとなった。「This Is It」から得られた資金によってエステートは負債の借り換えに成功する。ジャクソンの楽曲を担保とした7500万ドルのローンの利率を17%から6%に下げ、ソニー/ATVの持分を担保とした3億ドルのローンについては5.8%から2.9%まで下げたことにより、毎月の支払額を数百万ドル圧縮した。

「This Is It」はブランカの中にあったもう一つの懸案事項の解決策でもあった。すなわち、ブランカはジャクソンの傷ついた遺産(レガシー)を回復したいと考えたのだ。映像中のジャクソンは生気がないように見えたが、彼はバンドメンバーらと音楽について気さくに話し、フットワークについて振付師らと語っていた。「私は11回か12回は観ましたよ」というのはマックマスター大教授(文化学)のスーザン・ファーストである。彼女はジャクソンの8枚目のスタジオ・アルバム「Dangerous」を考察した著名な本の著者である。「あれはすばらしい仕事でしたよ。彼の人間味あふれる姿を映し、傷つきやすい人物像を描き、そして彼の創造の過程の一端を私たちに見せてくれたのです」。一方で彼女は、生気を失った姿を公にすることは「搾取的」であるとも考えていた。

(その3へつづく)

マイケル・ジャクソンにはかつてないほどに価値があり、役所はその分け前にありつきたい(その3)

2010年ブランカは、あらたな素材を使った10枚のアルバムを製作するという2億5000万ドルの契約をソニーとの間でまとめ、エステートの収入はさらに増加した。さらに彼はスパイク・リーに「Off The Wall」や「Bad」に合わせてリリースするドキュメンタリーの監督を依頼した。二人はその方向性において合意した。すなわち、「彼の音楽、ミュージシャン・シップ、偉大なアーティストという側面のみにフォーカスしたい」とリーは言う。「そのほかのこと?そんなものには関心なかったね」。

このように収穫を得ていく中で、ブランカはセリーヌ・ディオンのマネージャーからの電話を受ける。シルク・ドゥ・ソレイユのトップたちと話をしてみないか、ということであった。カナダの演劇集団シルク・ドゥ・ソレイユは、これまでビートルズの音楽を取り上げた「The Beatles LOVE」というラスベガスのショーを成功させている。ブランカはモントリオールへ飛び、シルク・ドゥ・ソレイユの創設者、ガイ・ラリベルテと会った。ラリベルテはタバコを楽しむことを許されないスペース・カプセルの旅から帰ってきたところであった。だから彼はその埋め合わせをすべく、絶えずタバコを吸っていた。「私はガイに言ったんです。『ビートルズの"Love"よりもよいものをラスベガスでやりたいんだ』」とブランカは振り返る。「彼は、『私は世界をツアーするショーがやりたいんだよ』と答えました。だから、『OK、両方やろう』ということになったのです」。

「Michael Jackson: The Immortal World Tour」と名づけられたシルクのツアー・ショーはジャクソンのバンドメンバーらを多数起用し、公演は3年間続いた。そしてビルボードによれば、興行収入3億6000万ドルを達成し、これは史上8位のツアー・ショーの記録となった。2年後、ジャクソンのホログラムが登場するラスベガス・ショーの「Michael Jackson: One」は、マンダレイ・リゾート&カジノで初演となった。シルクのCEO、ダニエル・ラマールは、「このショーは永遠に続くと思いますよ。マイケルの音楽の人気は永遠ですから」と述べている。続いてブランカはビデオ・ゲーム、故ジャクリーン・ケネディ・オナシス編集の1988年刊行の自伝「Moonwalk」の再販、そしてペプシの飲料缶にジャクソンの写真を使用するという契約の交渉を行った。2012年までにエステートはソニー/ATV関連を除く負債を完済した。生前よりも人気が出ているということをジャクソンは証明していった。

翌年、60 Minutesという番組の中の褒め称えるコーナーで、ブランカとマクレーンによる故人クライアントのマネジメントについて、「ポップ・ミュージック史上最も卓越した、財務状況とイメージの再生」と評価した。記者のララ・ローガンはブランカにこう尋ねた。「彼のイメージは、亡くなる頃にはとても傷つき、色あせていました。彼のファンたちはそのことを忘れてしまったのでしょうか?」

「私たちはタブロイドのことなど気にしていません。私たちはマイケルを見ているのです。私たちが知っている本当のマイケル。天才的芸術家、先駆者のマイケルです」とブランカは答えている。

「その本物のマイケル・ジャクソンが60 Minutesでエド・ブラッドリーにこう言っているんです。自分のベッドに男の子を寝かせていると。これは言い逃れができませんよね?」とローガンが食い下がると、

「うーん、そのインタビューはちょっと思い出せないですね。私が知っているマイケル・ジャクソンは、とても高潔だと思える人物です」とブランカは答えている。

国税局はエステートの成功にも着目している。2013年、国税当局はブランカとマクレーンに対し、ジャクソンの遺産評価が不十分だと通告した。当局側は、評価額は11億ドルだとした。しかしエステートは死去時の評価は700万ドルだと主張している。ブランカとマクレーンの言うところでは、ジャクソンは2009年6月の時点で破産の危機に瀕していた。負債は5億ドルであった。3年間所得額の申告をしていなかった。所有していたカリフォルニア州エンシノの母親宅のローンの支払いを放置していた。サブプライム・ローンの融資会社IndyMacは抵当権行使の準備を進めていた。その一方で、60人以上の債権者がジャクソンに対して債権を有していると主張していた。その債権者には、ビデオ「Thriller」で恋人役を演じていたオーラ・レイや本物のビリー・ジーンだと主張する女性も含まれていた。

遺言執行人の的確な対処(それがブランカのポジションだ)がなかったら、すべては叩き売られ、相続人たちにはわずかしか残らなかっただろう。ブランカはIRSとの裁判については語らなかったが、ジャクソンの元マネージャーがエステートを訴えた2015年の民事訴訟における宣誓供述書では、あの性的虐待容疑での捜査は「彼の商業的価値にマイナスの影響を及ぼした」、ジャクソンは「純然たる名称および肖像権からは最小限の収入」しかなかったとブランカは話している。これが、エステートがジャクソンの名前と肖像の価値をたったの2105ドルと評価していたことの理由となっている。それにしても不可解なほどの低い数字だ。「こういうことですよ」と言うのはロサンゼルスの遺産相続専門弁護士ジェフリー・エイセンだ。「仮に2009年6月の時点である人がやって来て『マイケル・ジャクソンの名前と肖像のすべての権利を2106ドルで売る』と言ったとします。エステートの申告より1ドル多い額です。あなた、買いますか?もちろん買いますよね!私も買います。実際の数字はもっと高いんです」。

IRSも疑っており、トーメを召還した。彼はエステートによるジャクソンのイメージの評価を一蹴し、ブランカよりもむしろ自分がAEGとの取引によりジャクソンを再生したのだと主張した。トーメによれば、AEGとの契約がきっかけとなってルイ・ヴィトンやナイキなどからのCMのオファーが立てつづけにあったという。「エステートが集めた金はほとんどが私のおかげなんです。私がすべての仕事をしたんです」とトーメは述べている。彼とエステートは法廷闘争中で、数百万ドルの未払いの報酬があると主張しているが、一方エステートは、トーメは自分の立場を悪用し、あまりに多くの契約に署名するようジャクソンを説得して私服を肥やそうとしていたと主張している。

IRSは、ジャクソンが亡くなった時点ではソニー/ATVへのジャクソンの持分には価値がなかったとする主張にも異を唱えている。しかしエステートによる文書では、同社のジャクソンの持分を2億4200万ドルと算定していて、これは当時の負債3億ドルに届かない額だ。エステートは昨年、ブランカの見事な交渉によりジャクソンの持分をソニーに対し7億5000万ドルで売却したことにより全ての負債を払い終わった。一方でIRSの異議により、ジャクソンの私物が宙に浮いた状態になっている。パリス・ジャクソンの弁護士クレイグ・ピーターズよれば、それで子供たちが辛い思いをしているという。「子供たちは、父親が子供たちに残したいと思っていた物は是非持っていたいと願っています」として、ジャクソンが着ていた衣服や家に飾ってあった絵画などを挙げている。「ほとんどIRSのせいです。IRSが倉庫から出させないんです。輝くグローブとかではないんです。でも子供たちにとっては大事な私物なのです」。

当局側の弁護士は裁判所に提出した文書の中で、エステートがまとめた契約はどれも「予測可能」なものであったと繰り返し書いている。言い換えれば、彼の呼吸が止まりさえすれば金が流れ込んでくる、ということだ。IRS裁判の元弁護士で現在は個人で開業しているマイケル・モリスによれば、「エルヴィス・プレスリーが亡くなった時に彼について関係者が言っていたことと同じですよ。キャリアアップということです」。つまり、誰であってもジャクソンを数百万ドルのビジネスに転換していただろうということを暗に言っている。

だがブランカにゆかりのある者らはこれには同意しない。ブランカを「契約交渉のスモーキー・ロビンソン」とかつて評価したモータウンのゴーディは、「ジョンがマイケルの生前に彼のためにやっていたことの10倍は、亡くなった後にやっていますよ。彼はもはやここにはいない一人の男を本当に守っているのです」と語っている。ビー・ジーズのバリー・ギブもかつてブランカの顧客であったが、彼はブランカの洞察力には値段がつけがたいとし、「僕はいつも訊いていた。彼は僕に多くを教えてくれたよ」と述べている。

エステートとIRSの抗争はブランカのイメージを損なうことにはならなそうだ。もし彼が負けたとしても、ジャクソンの遺産(ずっと所得税は払い続けている)は、子供たちの金庫を守り、満たし続けるだろう。ブランカによれば、引退する歳になりつつあるためペースを落とそうとしているという。だが彼の活動はある分野では伸び続けている。ジャクソンの遺産管理における成功のおかげで、彼は故人の顧客から多くの注目を集めており、カート・コバーン、ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、マーディ・ウォーターズの遺産管理者よりコンサルタントとして雇われている。

彼は全てを引き受けたいと思ってはいるが、制限せざるを得ない。「サミー・デイヴィス・Jrの相続人の方から電話をもらったんです。お手伝いしようとはしているんです。彼とマイケルは友人でしたから。でも『代理人をお引き受けすることはできません。皆さん好戦的なので』と言いました」。故ラット・パッカーの相続人はなんとか折り合いをつけ、再び彼を雇おうとしたのだが、ブランカは「出来ません。十分な資産をお持ちでないので」と答えたという。

(おわり)

ソース: bloomberg.com / MJJFANCLUB.JP
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