新刊「Making Michael」

マイク・スモールコムの新著「Making Michael – Inside The Career Of Michael Jackson」は、マイケルのキャリアを土台としたマイケル本である。

真のマイケルはあまり知られていないとしてその真の姿を明らかにすべく読者を舞台裏に連れて行こうとするにあたり、イギリスのジャーナリスト、マイク・スモールコムは、センセーショナリズムには触れずに、公にされていなかったテリトリーに分け入っていく。

筆者は、マネージャーや弁護士、音楽関係者、プロデュ―サー、ミュージシャン、エンジニアなど60人以上のマイケルの仲間たちに話を聞いた。そしてその多くが、自分たちの経験を初めて公に語っている。

序文は、マイケルの長年かつ忠実なコラボレーターのマット・フォージャーが寄せている。「Making Michael」は読者をキング・オブ・ポップとともにスタジオへと招き、「Thrller」や「Bad」、「Dangerous」、「HISstory」といった記録破りのアルバムの制作過程へと導く。そして、その場で起きた出来事が辿られる。さらにスタジオ外でのマイケルのキャリアについての検証もなされ、今まで語られなかったストーリーなどが日の目を見ることになる。

スモールコムは客観性を失うことはなく、そして、数々のストーリーの顛末やマイケルの完璧主義の様子、苛烈な抜け目のなさ、負けず嫌いさなどあまり知られていないことを取り上げることを決して避けることはない。

各メディアの反応は:

「激しく、非凡である」(サンデー・エクスプレス)
「天啓である」(デイリー・ミラー)
「読み出したら止まらない魅力的な本だ。しっかりとした激しい、そして説得力がある。マイケルが存命なら、この本をとても誇りに思うだろう。真の、マスト・リードである」(ブライアン・オックスマン・ショーのプロデューサー、キャスリン・ミロフスキー)

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ウェブサイトはこちら

■New Book – ‘Making Michael’

‘Making Michael – Inside The Career Of Michael Jackson’ is a revealing new book based on Michael’s career and written by Mike Smallcombe.

Side-stepping sensationalism, British journalist Mike Smallcombe enters unchartered territory as he takes you behind the scenes to reveal the real Michael, as he sees him, a man few people ever got to know.

The author has interviewed over sixty of Michael’s associates including managers, lawyers, music executives, producers, musicians and engineers, many of whom are speaking about their experiences publicly for the first time.

Featuring a foreword by Matt Forger (pictured above with Michael), one of Michael’s longest serving and most loyal collaborators, ‘Making Michael’ takes readers into the studio with the King of Pop, charting the creation of record-breaking albums including ‘Thriller,’ ‘Bad,’ ‘Dangerous’ and ‘HIStory’ and the twists and turns that occurred along the way. Untold stories, revelations and secrets finally see the light of day as Michael’s career outside the studio is also examined.

Smallcombe remains objective and doesn’t shy away from exploring the fall outs, Michael’s relentless pursuit of perfectionism and a cutthroat shrewdness and competitiveness few knew existed.

Here is what some of the media had to say:

“Explosive..extraordinary” – Sunday Express

“Revelatory” – The Daily Mirror

“A fascinating book that I could not put down. It’s fast, furious and truly compelling, If Michael were alive I am sure he would have been very proud of Mike Smallcombe’s book. This truly is it, a must read” – Kathryn Milofsky, Exec Producer Brian Oxman Show

To purchase the book from Amazon, please click here.

The website for the book is www.makingmichael.co.uk.

Source: Making Michael & MJWN

この夏「Michael Jackson ONE」は割引料金!

News 3、CW Las Vegasのアンカー・パーソン、クリスタル・アランがマイケル・ジャクソンとシルク・ドゥ・ソレイユの世界の舞台裏に足を踏み入れました。マンダレイ・ベイの専用シアター内のヒット・ショー、「Michael Jackson ONE」のバックステージを訪れたのです。

彼女はMJ ONEガールを一日務め、他のキャストらとキング・オブ・ポップを象徴する曲に合わせて踊りました。

「Michael Jackson ONE」はこの6月で3周年を迎えますが、観に行くことを検討している方にとっては最高のタイミングです。この夏はチケットが15~20%オフになります!

シルク・ドゥ・ソレイユのウェブサイト

クリスタル・アランの「Michael Jackson ONE」バックステージ訪問の模様はこちら、あるいは彼女のフェイスブック・ページまで。

■Behind The Scenes With ‘Michael Jackson One’

News 3 and CW Las Vegas anchor, Krystal Allan, went behind the scenes into the world of Michael Jackson and Cirque du Soleil as she went backstage at the hit show ‘Michael Jackson ONE’ inside the Michael Jackson Theatre at Mandalay Bay Hotel and Casino.

She spent a day as an MJ One Girl, dancing with the other cast members to some of the King of Pop’s most iconic songs.

‘Michael Jackson ONE’ is celebrating three years in Las Vegas this June. If you’ve been looking to check out the show, the timing couldn’t be better, with 15 to 20 percent off tickets this summer!

Check out the deals on their website here:

https://www.cirquedusoleil.com/usa/las-vegas/michael-jackson-one/buy-tickets/#K0bM4dbqFDiiu1md.97

Krystal’s look backstage at ‘Michael Jackson ONE’ can be found here:

http://news3lv.com/news/local/behind-the-scenes-of-cirque-du-soliel-michael-jackson-one

You can also check out Krystal’s impressive dance with the cast on her Facebook
page here:

https://www.facebook.com/krystalnews3lv

Source: Las Vegas KSNV News 3LV & MJWN

トランプ妻が語る、マイケル・ジャクソンとの思い出と夫

魅惑的な逸話の1つが、トランプと結婚した後、メラニアは多くのセレブと会うようになったが、その中には"キング・オブ・ポップ"も含まれていたというものだ。彼らは意気投合し、楽しい時間を過ごしたようだ。

「マイケル・ジャクソンに会ったわ」と彼女は説明する。「ここ、ニューヨークのピエール・ホテルだった。彼が招いてくれたので、私たちは出かけてディナーをご一緒したの。食事の後、ソファでみんなでおしゃべりをしていたら、誰かが主人に美術品を見せたいと言って、主人は別の部屋に行ったの。するとマイケルがこう言ったわ。"ねぇ、トランプ氏が戻ってきたらキスしようよ。彼が妬くようにさ"」。結局、キスはしなかった。「しない、しない」と彼女は言う。「でも、抱腹絶倒だったわ」。

ソース:Rolling Stone Japan

プリンスとマイケル その対抗意識と革命(その1)

同世代の中で飛びぬけた二つの才能がソング・ビデオ製作をめぐって競うという素晴らしい対決が見られていただろう。グローブの男対パープルの男、キング・オブ・ポップ対ヒズ・ロイヤル・バッドネス、マイケル・ジャクソン対プリンスだ。

1986年9月、2人のポップスターは行き詰まり状態について話をするために会った。その月の初旬、ジャクソンの画期的4-DSF映画アトラクション「キャプテンEO」が、ディズニーワールドとディズニーランドの観衆に向けてお披露目された。フランシス・フォード・コッポラ監督(製作はジョージ・ルーカス)によるこの映画は、とりわけ、この業界におけるジャクソンの名声というものを誇示するものであった。「Thriller」の余波の中、アーティストや映画製作者、それに企業は彼と仕事をするというチャンスがあれば何でも飛びつく状況だった。彼が関わったものはすべてが金に変わると思われた。数か月にわたる「キャプテンEO」ののち、ジャクソンは、期待が高まるニューアルバム「BAD」のレコーディングとショートフィルムの製作で忙殺されていた。

一方プリンスは同じ年の初夏に、音楽映画「Under the Cherry Moon」(とサウンドトラック・アルバムの「Parade」)を発表した。美しいコート・ダジュールを舞台としたプリンス自身の監督による定形化されたモノクロのロマンティック・コメディードラマであったが、この作品は、興行成績(と大部分の評論家による評価)においては大評判とはいかなかった。しかしながらこの映画がアート面で志向したものは明確であり、彼のキャリアの中でも最も成功したものの一つ、ファンキーなナンバーワン・ヒットの「Kiss」を生み出している。フランスより帰ると、創作意欲の波に乗ったプリンスは3枚組LPを企図した楽曲群に取り組んだ。「Crystal Ball」と題されたこのアルバムは、のちに批評家に絶賛された傑作「Sign O’ the Times」へと発展していった。

1986年は、プリンスとマイケル・ジャクソンは各々がゲームの頂点にいた。音楽におけるマジックとバードである(※NBAのマジック・ジョンソンとラリー・バードのライバル関係になぞらえている)。2人は画期的アルバムによって台頭した。「Thriller」と「Purple Rain」だ。2人はインタビューをほとんど許可せず、またエキセントリックさを醸し出し、イメージを絶えず変化させることで神秘的雰囲気を構築した。2人はオーディエンスを常に考えさせた。他の80年代スターたちは、マドンナやブルース・スプリングスティーン、ボノでさえ、2人と同じレベルで一般を魅了することはなかった。

もちろん、一般の興味は2人の謎めいた関係に対してのみ増していった。80年代を通じて数多くの記事が書かれた。事実の場合もあったが、ほとんどは彼らのライバル関係に関する架空のスクープであった。National Enquirer紙(アメリカのタブロイド紙。スーパーマーケット・タブロイドと呼ばれる程度の低いもの)は、1985年、プリンスはジャクソンが飼っているチンパンジーのバブルスをコントロールするために超能力を使っていると報じた。狂っている。

2人を比較する記事の多くは、2人を対極として描いていた。ジャクソンは無垢の子供でありプリンスは猥褻な反逆者だ。ジャクソンはモータウン出身の完成され洗練された天才であり、プリンスはミネアポリスのストリート出身の粗削りで自己流の天才である。ジャクソンは主流でセールスでは圧倒的だが、プリンスはオルタナティヴ(非主流)でアバンギャルドな挑戦者である。ジャクソンはマジックとワンダーであり、プリンスはセックスと破戒である、という具合だ。これはいろいろな意味で、チャーミングなビートルズと悪ガキのローリング・ストーンズというライバル関係の新たな形であった。

こうして挙げられた両者の差異の中には明らかな真実も一部にはあった。だが、単純化されたものでもあった。実際、彼らがライバル関係にならざるを得ないのは、彼らが似ているからだ。

2人は同じ年、すなわち1958年の夏に数カ月違いで生まれた(プリンスは6月7日、ジャクソンは8月29日)。アラバマ州モンゴメリーの公営バスの車中で、ローザ・パークスという黒人女性が白人の乗客に席を譲ることを拒否したことが公民権の時代を先導することとなってからまだ数年しか経っていないころである。プリンスとジャクソンが3歳の時、ジョン・F・ケネディがアメリカ合衆国大統領に選出された。5歳の年の3月、マーティン・ルーサー・キング・Jrがワシントンで「私には夢がある」の演説を行った。モータウンの音楽、「若きアメリカのサウンド」がラジオを席巻していた。大きな変革と可能性の時代であった。

2人は厳しい中西部の都市の出身である。ジャクソンはインディアナ州ゲーリー。シカゴのすぐ南の製鉄の町である。プリンスはミネソタ州北ミネアポリス出身。こちらも工業都市として知られる。2人の最初の家(ジャクソン・ストリート2300番地とローガン・アヴェニュー915番地)は質素なスターター・ハウス(最初に立てる小規模な家)だった。それぞれの両親はその家から大きな夢を見た。ゲーリー同様、北ミネアポリスもアフリカ系アフリカ人が多い土地であったが、ゲーリーとは違い、地元リポーターのニール・カーレンの言う「アメリカでもっとも白い都市エリア」の一部であった。

2人のルーツは南部だ。ジャクソンの両親はアーカンソーとアラバマの出身だ。プリンスの両親はルイジアナ出身である。二世代前に奴隷から解放されたがジム・クロウ法による不平等で苦しかった彼らは、そのほかの数千人のアフリカ系アメリカ人たちと同様、機会を求めて北部へ移住した。プリンスとジャクソンの父親は両方とも厳格な人物であった。家族を養うために長くつらい労働に従事していた。

ジョセフ・ジャクソンはイーストシカゴのUSスチールでクレーンの操作員をしていた。11人家族の食卓に食べ物を並べるためにしばしば残業をしていた。幼かったマイケルは、一日中働いて疲れて帰宅した父親のことを覚えている。彼の唯一の逃げ道は音楽であった。ジョセフのR&Bのバンド、ザ・ファルコンズは小さなジャクソン家で遅くまで練習し、地元のクラブで演奏することもあった。大チャンスをものにするという希望を抱いていた。これが実現しそうにないことがはっきりすると、成功するという彼の夢は子供たちへつぎ込まれた。

プリンスの父、ジョン・ネルソンもミュージシャンとして成功すると言う似た夢を抱いていた。才能あるジャズ・ピアニストであった彼は、プリンス・ロジャース・トリオというバンドを率いてミネアポリス周辺で演奏していた。しかしながらジョセフ・ジャクソンと同様、彼は生活のために過酷な肉体労働に従事していた。彼の場合はミネアポリスのハネウェルの工場である。音楽は彼の情熱であった。しかし実生活の現実が音楽に没頭することを不可能にしていた。プリンスは父の落胆を目にしながら育った。そして夢を実現できないことに怒りを抱いていた。しかしジョセフと同様、彼は子供たちに投資した。「私がプリンスと命名したのです」とジョン・ネルソンは認めている。「私がやりたかったこと全てを彼にはやってほしかったからです」。

もちろん、そのような大きな願望にはかなりの犠牲がともなった。2人とも、父親による虐待と拒絶を経験している。ジャクソンが8歳の時から大人と同じリハーサルとプレイを強要されていたのは有名だ。一方プリンスは、10代のころ家から放り出された。2人ともストイックな父親の愛を得ようと必死だった。このようなことも一因となって、ジャクソンとプリンスは休むことなく腕を磨くことに没頭した。その強迫観念はあまりに強く、時として親密で長い関係を築くことを妨げることとなった。音楽が最優先。音楽でなし遂げられると感じているという意味で、二人は救世主的であった。

似ている部分はまだある。一人ぼっちで感じやすく、スポンジのように吸収力がある子供だった。ジェームス・ブラウン、スライ・ストーン、スティーヴィー・ワンダーがアイドルだった。二人とも「クロスオーバー」なアーティストであった。音楽における融合を信じ、多様な人種のコラボレーターたちが周囲にいた。音楽を見えるようにすることが正しいと信じていた。人種や性差という概念にとらわれずにプレイし、一人の人間であることの意味を再考した。人前に出ず(時として隠遁生活をしていた)、インタビューはめったに受けず(特に80年代)、強固な神秘的イメージを築いていた。二人はきわめて厳粛な精神の持ち主であり、一時期、エホバの証人の信者であるとみなされていた。二人は壮大な門のある私的ユートピアを作り上げた(ペイズリー・パークとネバーランド)。正当な対価、宣伝活動、製作の主導権という原理原則をめぐって所属レーベルと激しく戦った。アメリカにおいて、商業的にも評価の上でもスキャンダルによる急降下を経験した。アーティストとして復活の半ばに、突然の悲劇的な死を迎えた。

しかしこうした類似点に加えてもう一つ重要なことがある。それは彼らの競争心だ。2人は大きな野心を抱き、ポップ界における自分たちの序列は気にも留めていなかった。彼らはお互いのアルバムやツアー、賞レース、レコードを意識していた。そして彼らが公に認めていようといまいと、彼らは競い、相手の上を行きたいという強い意志をプライベートでは伝えていた。特に80年代には。

(その2)へ続く

プリンスとマイケル その対抗意識と革命(その2)

プリンスは、1984年のグラミー賞でジャクソンが8冠を達成するのを見守った。それが、同じ高みへ、自分の作品も同じくらいに認められたいとの欲望を掻き立てることとなる。ボビー・Zが振り返る。「僕たちは『Purple Rain』のラフカットを見ているころだったんだ。プリンスが次の年にはあそこにいたいのだと、僕らにはわかったよ」。同じ年の終わりころ、ジャクソンは『Purple Rain』現象を目の当たりにする。彼は上映会に出席し、コンサートへも何度も足を運んだ。その間、王位復帰への構想を練っていたのだ。

その数年後のこと。クエストラブは、ミュージック・ビデオのセットでジャクソンとエディ・マーフィーとともにいたときのことを記憶している。プリンスの話になった時だ。「エディが、『そうだなあ、プリンスはたいした野郎だぜ。僕は君と仕事をしていることがとてもうれしいけど、もうひとつの夢は、彼とも仕事をすることさ』というようなことを言ったんだ。カメラが回っていることをマイクは知らなかったと思う。彼は『そうだね、彼は天才だ』といって、続けざまにこう言った。『でも僕は彼に勝てるよ』」。

こうした競争心が、今では伝説となった卓球ゲームで衆目の見るところとなった。1985年の12月のことだ。ジャクソンはボディガードを伴って、ウェスト・ハリウッドのサミュエル・ゴールドウィン・スタジオに現れた。プリンスが『Under the Cherry Moon』の最後の仕上げをしていた場所だ。すこし話をした後、プリンスはジャクソンに卓球で挑んだ。ジャクソンはほとんど卓球をしたことがなかったが、やってみると言った。スーパースターの対決を見ようと人々が集まってきて、仕事はストップとなった。

当初、プリンスは気楽にやっていたが、やがて彼の負けず嫌いが高じて強い打球を不運なジャクソンに向けて打ち始めた。「彼はヘレン・ケラーみたいなうち方だったよ」とプリンスは友人らにふざけて言った。それに対しジャクソンは、プリンスの当時のガールフレンドのシェリリン・フェンにちょっかいを出すことで対抗した。プリンスのレコーディング・エンジニアだったスーザン・ロジャースはこう振り返る。「マイケルは自分自身の御し方を心得ていました。彼はこの卓球ゲームについては気に留めていないようでした。スタジオにプリンスを尋ねてきていたシェリリン・フェンに話しかけ始めたのです。プリンスは気にしていないようでしたが、奪い返すというつもりはないようでした。彼らはそそくさと別れの挨拶を交わしました」。

その年、ローリング・ストーン誌のインタビューで、プリンスはこう豪語した。「僕が常に自分がBadであると思っている、とみんなには分かってほしいね。自分のことをBadと思っていなければこんな商売はやってないさ」。おそらくジャクソンは、当時製作中で数カ月後にリリースされる曲の中で強調された「Who's Bad」というフレーズを思いついた時、プリンスのこの発言が念頭にあっただろう。

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極秘会談

1986年の夏、クインシー・ジョーンズがジャクソンとプリンスの極秘会談をお膳立てした。彼らは数カ月にわたりあるコンセプトについて議論していたが、この時点ではかなり具体化していた。ジャクソンはデモを完成させていた。非公式のタイトルは「Pee」とされていた(一部では、それは「プレッシャー」を意味していると言われている。これは曲とビデオのテーマである。他方で、予定されていたコラボレーター、すなわちプリンスを意味するとも)。この曲は、とびきりのシンセ・ベースにジャジーなオルガンのフィル、そして爆発的なサビを擁していた。ジャクソンと製作チーム(クインシー・ジョーンズ、マネージャーのフランク・ディレオ、レコーディング・エンジニアのブルース・スウェディーン)は、コントロール・ルームでトラックを聴くプリンスを見守っていた。

「あれは奇妙なサミットだった」とジャーナリストのクインシー・トループはSpin誌に書いている。「2人は競い合っていた。だから何一つ譲ろうとしないのだ。腰掛けてお互いをチェックしている風だがほとんど話はしない。力のある2人の間に生じた、興味深い行き詰まり状態であった」

ジャクソンが想定していた通り、彼らはエスカレートするライバル心についてマスコミにリークし始めた(2人の対立の兆候にすでに強い関心を持っていたメディアを考えれば、それは難しいことではなかっただろう)。ジャクソンは当時、P・T・バーナムに熱中していて、人々をざわめかせて興味を持たせるような広告の使い方について熱心だった。「僕は僕のキャリアそのものを地球上でもっとも凄いショーにしたいんだ」とジャクソンはマネージャーらに語っている。その年の早く、彼は最初の大成功を収めた。ナショナル・インクワイアラー誌に酸素カプセルで眠るという話を仕込んだのである(この話は世界中のメディアが追従した)。

自分の宣伝がうまいプリンスは感心を示しはしたが、懐疑的だった。彼はジャクソンと仕事をすることに興味を持っていたが、ジャクソンがプロジェクトの主導権を持っているということが気に入らなかった。彼は、ジャクソンがスクリーンの中でも私生活でも自分自身をよく見せようとしているように感じていた。「プリンスは、『彼は俺をからかいたいのだろう。俺のことを何だと思っているんだ。おかしいのか?』みたいな感じでした」と振り返るのはプリンスのマネージャー、アラン・リーズだ。「彼は、このことが両者に益のあることだと思えるほど冷静にはなれなかったのです。プリンスがゲストとして出演したマイケルのビデオが作られるところでした。これ以上ない関係というものが捉えられていたはずです。彼らはアリとフレイジャーのようでした。そしてメディアとしては、彼らを満足いくまで競わせるということができなくなってしまったのです」。

プリンスは後に、コメディアンのクリス・ロックに「BAD」参加を見送った理由について説明している。「そうだね、ウェズリー・スナイプスがやっている役、あれが僕の役になるはずだったんだ。あのビデオを思い出してよ。あの曲の最初の一節は、『Your butt is mine(お前のケツは俺のもの)』だ。僕は言ったよ、『あんな歌を誰が誰に向かって歌うんだ?』って。君はあんな歌を僕に向かって歌わないだろ?僕も君に向かっては歌わない・・・そう、だからその時は、僕たちには問題があったのさ」。

結局プリンスは「BAD」の代わりの曲を提案した。伝えられるところでは、「Wouldn’t U Love to Love Me」のデモを手直ししてジャクソンに送ったと言う。ジャネット風のグルーヴの、つい口ずさみたくなる曲だ。プリンスの弟子、タジャ・シヴィルが後にレコーディングしている。ジャクソンはその提案を見送った。2人は結局、プロジェクトの主導権を譲ることがお互いに我慢できなかったのだ。

プリンスは伝説の「BAD」サミットを去る際、ジャクソンと製作チームの方を向いてこう言った。「ビッグ・ヒットになるよ、僕がいなくてもね」。こうして、2人のレジェンドのコラボレーションが実現に最も近づいた機会は終わりを迎えた。

プリンスとジャクソンはついに一緒に仕事をすることはなかったが、そのキャリアはお互いに交わり、補完し合っていて興味深い。1988年の10月、プリンスはマディソン・スクエア・ガーデンでプレイしていた。一方ジャクソンはニュージャージーのメドウランズにいた。メディアはそれを「ハドソン川の戦い」と書きたてた。2人は、目を引くような類まれなる才能と手法を誇示した。ジャクソンの「BAD」ツアーは最大最高のもので、黒人、白人、若者、年配者問わず、誰に対してもアピールするものであった。一方プリンスの「Lovesexy」ツアーはポップの主流の期待を故意に裏切っている。

ジャクソンは優秀なダンサーだ。プリンスは優秀なミュージシャンだ。ジャクソンは完璧主義と映画監督のような物語性をもってライブ・パフォーマンスに望む。全てが磨きあげられ演出されている。一方プリンスは、ライブ・パフォーマンスにジャズ・ミュージシャンのようなアプローチをとる。自由度が大きく即興的なのだ。セットリストが変更になることもあるし、パフォーマンス自体が変わることもある。ただ、両者ともにスーパースターのカリスマと存在感を有していた。観客とともに、熱狂を生み出し、生まれ変わるような感覚を生み出すことができた。ゴスペルの牧師のように、彼らは相互に作用するエネルギー、すなわちコール・アンド・レスポンスを生み出し、多くのファンたちにとてつもない経験をもたらした。

(その3)へ続く

プリンスとマイケル その対抗意識と革命(その3)

メディアはしばしば、どちらかの肩入れをしたくなる衝動にかられた。「ブルース・スプリングスティーンはポップ・ミュージック界で最も情熱的パフォーマーかもしれない。プリンスは最も挑発的、デヴィッド・ボウイは最も演劇的だ。だが、マイケル・ジャクソンはこの分野で最も素晴らしいエンタテイナーだ」とミネアポリス・スター・トリビューンのジョン・ブリームが書けば、ニューヨーク・タイムズのジョン・パレルズは反論している。「ミスター・ジャクソンがオーディエンスの承認を得んがためだけに自分の努力を引き換えにすることを欲している一方で、プリンスのショーは喜びに満ちた危険な自由の中で意気揚々だ」。今日に至るまで、議論は激しさを増している。曰く、プリンスは楽器ができる、ジャクソンは素晴らしいショートフィルムを作った。プリンスは優れた作詞家、ジャクソンは優れたボーカリスト。プリンスは多作、ジャクソンは辛抱強い完璧主義者。プリンスは長く愛される、ジャクソンは文化に与えたインパクトが強烈だった、等々である。

ライバル論争(ストーンズvsビートルズ、ニルバーナvsパール・ジャム、ジャネットvsマドンナ、ガガvsビヨンセなど)のご多分にもれず、落ち着く先は結局は主観であり、個人的な理由に帰着しがちである。クインシー・ジョーンズは、音楽評論家やジャーナリストたちは2人の類まれなる才能や創造的視点をそれぞれ認めるというよりはジャクソンを貶めるためにプリンスを使っていると感じていた。さらに言えば、優劣や対立に固執するメディアのために、彼らが協力して成し得たことがしばしば覆い隠されてしまった。

ジャクソンとプリンスはお互いに押したり挑んだりしただけではない。彼らは後に続く幾多のアーティストやエンタテイナーたちのためにドアを開け、スタンダードを築いた。2人のアフリカ系アメリカ人のアーティストが遥か成層圏にまで到達したことなどいまだかつてないことであり、ラジオやテレビ、映画の世界にはびこっていた人種のバリアを打ち砕いたのである。2人は類まれなる多次元のアーティストであった。自分自身で曲を書き、映画を製作し、パフォーマンスのコンセプトを考え出した。人間の感情と経験をすべてカバーする広大で多様な楽曲群を生み出した。その象徴的なスタイル、サウンド、そしてイメージでアメリカの(そして世界の)文化のDNAに深く記憶された。他人と自分との伝統的境界に挑み、破壊した。アルバム、映画、そしてワールドツアーでそれまでの記録を破った。

80年代だけで、2人は合わせて30のトップ10ヒットを放ち、そのうち13曲はトップに到達している。82年から84年にかけて、ジャクソンの「Thriller」は通産37週トップに君臨した。史上最も売れたアルバムでありつづけるだろうし、ミュージック・ビデオはMTVに革命を起こし、メディアの可能性を押し広げた。一方、プリンスの「Purple Rain」は1984年8月から1985年1月まで24週トップに立った。史上4番目の在位期間記録である。プリンスは、ビートルズ以来のアルバム、シングル、映画の同時1位を達成したアーティストだ。

どちらも、単なる商業的成功では満足しなかった。彼らの帝国は、彼らの創造的野心を守り、耕し、そして前進させるために生み出されたのだ。彼らは、自分自身をエンタテイナーをはるかに超えていると見ていた・・・彼らには伝えたいことがあり、そしてあらゆる手段を、それを意のままに表現するために使った。

キング・オブ・ポップとヒズ・ロイヤル・バッドネスは最後まで競っていた。2009年、ジャクソンがロンドン・O2アリーナでの大復活に向けて準備を行っている時、伝えられるところでは、彼はプリンスが2007年に記録した21公演35万人に勝つべく50公演を万全にしようとしていた。後によく知られるようになったが彼は不眠であった。ジャクソンはツアー監督のケニー・オルテガに、アイディアに興奮してしまって「頭から消せない」と語っていた。オルテガは、ツアーが始まるまでアイディアは保留にしておいたらどうかと言ったが、ジャクソンは、「分かってないな。そのアイディアを僕が受け取らなかったら、神はそれをプリンスに与えてしまうんだよ」と答えたという。

ひらめきが来ない場合でも準備を整え受け入れ状態でいることについてジャクソンが言わんとしていることを、他の誰よりもプリンスは理解していた。ジャクソンと同様、プリンスも常に「チャネリング」状態で、消し去ることがなかなかできなかった。レコーディング「中毒」なのかとローリンス・ストーン誌に尋ねられたプリンスは、頭の中にあるものを「ダウンロード」する脅迫的必要に迫られているように感じているのだと答えている。「全部そこにあるんだ。全部を今すぐでも聴くことができるよ。今すぐ頭の中の5枚のアルバムを聴くことができるんだよ」と彼は説明している。

マイケル・ジャクソンは2009年の6月25日に亡くなった。『Purple Rain』発売からちょうど25年だ。その大量アクセスによって有名なニュースサイトの中には一時的にフリーズ、あるいはクラッシュするところがあった。ジャクソンの葬儀は10億人が見たとされる。視聴者数という点から比較しうるのはダイアナ妃の葬儀くらいである。プリンスは公式には声明を出さなかったが、複数の証言によれば、強いショックを受けていたという。作家でトーク番組の司会者でもあるタビス・スマイリーは、「自分の死とマイケル・ジャクソンを失ったことが自分にとってどのような意味をもつのかということについて数時間」、プリンスと話していたことを覚えているという。10月にフランスで行われたインタビューでジャクソンの死について尋ねられたプリンスは、「愛している人を失うと言うことはいつだって悲しいことだ」とだけ答えている。その後のツアーでプリンスはジャクソンの「Don't Stop 'Til You Get Enough」をしばしばカバーしていた。2014年後のローリンス・ストーン誌のインタビューでは、ジャクソンの死について彼が感じていることを聞かれ、「それについては話したくないんだ。近すぎるんでね」と拒んでいる。

後にわかったことだが、プリンスは思っていた以上にジャクソンに近かった。ジャクソンと同様、彼の生涯は、再興のさなかに悲劇的に絶たれてしまった。2016年4月26日。プリンスはペイズリー・パークのエレベーターの中で意識不明の状態で発見された。数時間後に死亡が確認された。そのニュースはすぐに広まった。ジャクソンと同様に、全世界の反応は非常に大規模だった。世界のモニュメントはパープルにライトアップされ、SNSは思い出話や追悼であふれた。オバマ大統領は「私たちの時代の最も才能ある最も多作なミュージシャンだった・・・楽器演奏の巨匠、卓越したバンドリーダー、しびれるパフォーマーだった」と彼を称えた。

プリンスの死をうけて、ジャーナリストの中にはプリンスとジャクソンの間にあった悪意あるうわさを蒸し返し、彼らの競争を取るに足らないセレブの確執に矮小化するものもいた。真実はセンセーショナルでもなんでもない。マイケル・ジャクソンとプリンスはお互いを尊敬していた。そう、彼らはライバルであった。彼らはベスト・フレンドではなかった。しかし、同じアフリカ系アメリカ人として、先駆者として、アーティストとして、彼らはお互いの奮闘や偉業を認め合っていたのだ。結局、彼らは同じような道のりを歩んでいたのである。

世界を変えうるのは一握りのアーティストのみである。マイケル・ジャクソンとプリンスはその内の二人だ。うまくいけば、二人は1986年の「Bad」で、あるいはそのほかのすばらしいプロジェクトでコラボレーションしていただろう。だが実際は、彼らは80年代、90年代と火花を散らして併走し、一つの時代の最重要アーティストとなった。

今日のポップ・ミュージックの世界は彼らの革命の影の中に存在しているのである。

著者:ジョー・ボーゲル
メリマック・カレッジ助教。著書「 Man in the Music: The Creative Life and Work of Michael Jackson」(2011年)が高評価を受けた。論文「Witnessing the Reagan Era: James Baldwin and the 1980s」を近く発表予定。The Atlantic、Slate、The Huffington Post、PopMatters、the F. Scott Fitzgerald Review、The Journal of Popular Culture、the Journal of Popular Music Studies、Scribner’s Dictionary of American History等に寄稿。PhD(ロチェスター大学)。

(おわり)

Source:popmatters.com
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