AEG裁判の控訴棄却

カリフォルニア州の上訴裁判所は金曜日、マイケル・ジャクソンの死に対してプロモーターAEGライブには過失はないとした陪審員の判断を覆そうとする彼の家族の試みを退けた。

ジャクソン家側の弁護団が先週、AEGライブはマイケル・ジャクソンへの対応に対して責任を負っていた、陪審員への説明が紛らわしくかつ幅広いものではなかったと主張したことについて、3人の裁判官は、ジャクソンの母親と子供たちは新たな裁判に対する当事者適格がない(訴訟を起こす法的資格がない)との判断を示した。

ロサンゼルス郡の陪審員は2013年に、AEGライブ(実現しなかったマイケル・ジャクソンの「This Is It」コンサート50公演の企画者)には、専属医としてコンラッド・マーレーを雇っていたことについての過失はないとの判断を示した。

5か月におよんだ衝撃的な裁判では、マイケル・ジャクソンの私生活やマーレーが2009年に睡眠補助として手術用麻酔薬プロポフォールを投与した最後の日々についての一端が明かされた。

AEGライブを相手取った訴訟は、キャサリン・ジャクソン(84)とマイケル・ジャクソンの3人の子供たちが起こしたものである。ロサンゼルス上級裁判所の陪審員は、マーレーは専属医としての資格は十分であったとの判断を示している。

マーレーはマイケル・ジャクソンの死に対して2011年に過失致死罪で有罪評決を受け、ロサンゼルスの刑務所で4年の刑期の半分を服役した。

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■AEG Lawsuit Appeal Denied

A California state appeals court on Friday denied Michael Jackson’s family its latest attempt to reverse a jury’s decision that cleared concert promoter AEG Live of negligence in his death.

The three-judge panel ruled that Jackson’s mother and children did not have standing for a new trial after their attorneys argued last week that AEG Live was liable for Michael’s treatment, and that jury instructions were confusing and not wide enough in scope.

A Los Angeles jury in 2013 cleared privately held AEG Live, the organizer of Michael’s ill-fated 50 ‘This Is It’ comeback concerts in London, of negligently hiring cardiologist Conrad Murray as Michael’s personal physician.

The sensational five-month trial offered a glimpse into Michael’s private life and final days in which Murray administered surgical anesthetic propofol to him as a sleep aid in 2009.

The lawsuit against AEG Live was filed by Katherine Jackson, 84, and the Michael’s three children. The Los Angeles Superior Court jury found that Murray was sufficiently qualified for the job he was hired to do as general practitioner.

Murray was convicted of involuntary manslaughter in 2011 for Michael’s death and served half of his 4-year sentence in a Los Angeles prison.

Source: Reuters & MJWN

【Michaelin'スタッフ・ダンサー募集】

生歌生演奏でMichaelを感じてもらうイベント「THIS IS TRIBUTE」。
6回目となる今年の開催は初回ぶりの6月の土曜日です。今までで1番大きな会場(開催予定地:大阪府箕面市)で、これまでの経験を生かしつつ、さらに進化していくために
新スタッフ、メンバーを募集いたします!

Michaelin'(まいこーりん)とは…
2009年のMichael Jacksonの急逝を機に、彼の意志を受け継ぐべく立ち上げたentertainment unit。
また、Michaelin'がMichaelへの追悼を表し、彼が遺した作品や思想を広めるために立ち上げたのがチャリティ・ライヴシリーズ「THIS IS TRIBUTE」です。 
この催しはMichaelへの追悼をテーマとして開催し、彼が生涯かけて
熱心に続けてきた様々な活動のうちの一つである“チャリティ”にも
重きを置いたものです。

お客様から頂く入場料のうち開催にかかる経費※を除いた全ての純利は
慈善団体に寄付致します。

※出演者・スタッフ等関係者は全てノーギャラです。

(詳細はこちら
公式ブログ「THIS IS TRIBUTE」
http://blog.livedoor.jp/michaelin/archives/51936776.html
参考映像
「THIS IS TRIBUTE Trailer」



〈募集内容〉

①ダンススタッフ

演目(予定)
第一部 バンド生演奏
第二部 ダンスショーケース
第三部 バンド生演奏

第二部のダンスショーケースに出演してもらうダンスメンバーを募集します。

演目・演目時間・バンドとの
コラボレーションの有無は
企画段階から相談の上決定します。
本番1週間前の土日いずれかに
生バンドと合同練習をします。
ダンサーとしての参加だけでなく、
前日(金)の会場準備手伝い・
ステージ練習・当日のお客様誘導等
スタッフとしての業務もあります。

②コーラススタッフ

男声女声プロアマ問いません。
ダンススタッフと同じく、
前日(金)の会場準備手伝い・
ステージ練習・当日のお客様誘導等
スタッフとしての業務もあります。
これまでコーラス(4〜5人編成)の入った演奏曲は
"Man In The Mirror "
"Keep The Faith"他、16曲に及びます。
※カラオケ面接あります。

③運営・技術スタッフ

企画運営メンバーを募集
・照明係(舞台経験者・舞台照明経験者歓迎)
・PC等の技術操作係(プロジェクターでのパワーポイント操作等)
・当日受付・物販係
・記録(映像・写真)係
・他いろいろ(印刷・連絡・買出し等)

※重要※
①②③とも、要参加費です。
プロの技術(委託業者)さんを除く
参加者全員から集めます。
(1人2000円・Live収支の[収入]に算入)
※チケットノルマはありません。

自薦他薦・プロアマ問いません。
参加ご希望の方は、「お名前(本名)」「連絡先」と、下記の必要事項を添えて、募集専用アドレス
m1958jj*yahoo.co.jp
へ、ご連絡下さい(*を @ に変えてください)。

①の必要事項
・参加人数と構成
・グループの場合はグループ名
・どんなMichaelのダンスをしたいか
演目やスタイルを具体的に教えてください
・ダンス歴自己PR
・ダンスしているのがわかる動画(YouTubeやブログ・SNSのURLでも可)
②の必要事項
・自己PR
・歌声が分かる動画など(あれば)
③の必要事項
・希望の係、自己PR

募集締切:2015年2月28日(土)

まずはお気軽にご連絡ください。
一緒にT.I.T.を作りましょう!

「We Are the World」30周年 知られていないかもしれない12のストーリー

史上最大のチャリティー・シングル「We Are the World」のためのオールスター・レコーディング・セッションが行われたのは30年前のことだ。

1985年1月28日。ハリウッド、A&Mレコーディング・スタジオ。アメリカン・ミュージック・アワードの終了後、40人以上のアーティストがある歌をレコーディングするために集合した。アフリカに広がっていた命の危険さえある困窮に関心を持ってもらうためにライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが書いた曲である。シンディ・ローパーやホール&オーツ、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイス、ウィリー・ネルソン、ティナ・ターナー、ポインター・シスターズ、ケニー・ロジャース、そしてジャクソンズ。アメリカン・ミュージック・アワードの受賞者の多くがレコーディングに参加した。

数ヶ月前にリリースされたイギリスのオールスター・チャリティ・シングル「Do They Know it's Christmas?」をヒントに製作された「We Are the World」は1985年3月7日にリリースされ、2000万枚以上が売れた。NPO「USA for Africa」が集めた7500万ドル以上の金は、アフリカ大陸における困窮との戦いの手助けとなった。1986年には最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞などグラミー賞で3冠を達成した。

「偉大な曲は永遠に続くものだよ」とプロデューサーだったクインシー・ジョーンズは言う。「地球のどこを旅しても、最初の数小節をハミングしただけで、誰でもすぐにわかる曲だということは保障するよ」。

ここに、知られていないかもしれないこの曲とそのレコーディングにまつわる12のストーリーを紹介する。

本来、ライオネル・リッチーと共作することになっていたのは、マイケル・ジャクソンではなくスティーヴィー・ワンダーだった。

「スティーヴィーに連絡を取ろうとしていたんだけどできなかったんだ」とライオネル・リッチーは言う。「スティーヴィーは精力的にツアーに出ていて、やることがたくさんあったんだ」。ジョーンズとの電話によって、スティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンに声をかけることになった。「スティーヴィーの前にマイケルを捕まえたんだ。僕らは言っていたんだ、『スティーヴィーがかけ直してきたら彼にはいってもらえばいい。そうこうしているうちに、マイケルとできると思うよ』」。

ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンは、曲を書く準備のためにいろいろな国歌を聞いた。

ライオネル・リッチーは言う。「僕らは普通のサウンドの歌はやりたくなかった。大きな、とてつもなくでかいやつが欲しかったんだ」。聞いてすぐに普通じゃないとわかるようなもの、世界規模でアピールする力を持つものを作る必要性を理解していたので、アメリカ、イングランド、ドイツ、ロシアなどの国々の国歌を聞いて曲作りの準備をした。「僕らは全部を頭の中で一つのポットに入れて、世界の国歌という感じのなじみやすいリズムを作り出したんだ。親しみやすい歌と思ってほしかったのさ。一度つかめたら、ショービジネスだよ」。

「We Are the World」のレコーディング・セッションのおかげで、ライオネル・リッチーはアメリカン・ミュージック・アワードのことを覚えていない。

ただの睡眠不足のせいかもしれない。それはともかく、セッションは夜9時に始まり12時間続いた。しかしライオネル・リッチーは、あの晩のアメリカン・ミュージック・アワードのホストを務めたことや、ポップ/ロック・アーティスト賞など5つの賞を受賞したことの記憶がないと主張する。「あのドアから足を踏み入れた途端、そのことは忘れてしまったよ」と彼は言う。「あの部屋にいた人々はそれはものすごかったんだ。ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル。勘弁してくれよって感じだよ。あんな経験は初めてだね」。

とてつもない有名人の集まりだったにもかかわらず、セッションが行われていることを知っている者は少なかった。

多くのシンガーたちはアメリカン・ミュージック・アワードからリムジンで駆け付けたが、それは芸能人らしからぬ登場の仕方であった。「ブルース・スプリングスティーンは通りの向かい側のライト・エイドか食料品店の駐車スペースに乗ってきたトラックを停めていたと思うよ」とライオネル・リッチーは言う。「彼はそこに停めて歩いてきたんだ。ゲートを通れるとは知らなかったんだよ」。このようなやり方は携帯電話やソーシャル・メディアの世の中では不可能に近かっただろう。「今のご時世では秘密を守るなんて不可能だったと思うよ。「秘密の通路が必要だし、携帯電話のチェックが必要だろうね」。

シンガーたちのほとんどは、スタジオ入りするまで曲を聴いていなかった。

「MP3なんてなかったからね」とライオネル・リッチーは言う。「当時はカセットだった。送る必要があるんだよ。だからほとんどは曲を聴いていなかったのさ」。結局、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンは、一週間前のケニー・ロジャースのスタジオでの最初のセッションにようやく間に合わせた。ケニー・ロジャースですら聴いていなかったのだ。「僕らはあの晩まで何を歌うのか知らなかったんだ」とケニー・ロジャースは言う。バック・コーラスを歌ったホール&オーツのジョン・オーツはこう言っている。「聖歌のようなクォリティーだった。そして、あのような大勢でのアンサンブルも簡単にやれるシンプルなメロディーの曲だ。加えてあの場にいたのは素晴らしいシンガーたち。全く問題にはならかかったね」。

このセッションの参加者はドナ・サマーの「State of Independence」の参加者が元になっていた。

ドナ・サマーの1982年のヒット曲はクインシー・ジョーンズがプロデュースし、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、ジェームス・イングラム、ケニー・ロギンス、ディオンヌ・ワーウィックらが参加しているが、彼らは全員「We Are the World」に参加している。「僕にとっては慣れ親しんだ場所だった」とクインシー・ジョーンズは言う。「半数以上が以前に個別に仕事をしたことがあるシンガーたちだったけど、そうでなければサインするなんてありえなかったね」。

ソングライターの一人として、ライオネル・リッチ―はソロを歌う権利が与えられた。

「クインシーが言うんだ。『ライオネル、どこに入りたい』って」とライオネル・リッチ―は振り返る。「『本当かい?最初に入るよ、帰れるから』って答えたよ」。ライオネル・リッチ―によれば、このセッションの影のヒーローはジョーンズのボーカル・アレンジャー、トム・バラーだという。セッション前、トム・バラーは参加者全員のレコードを聴いてそれぞれの声域を把握し、それぞれにぴったりのメロディ・フレーズを割り当てていた。「彼らが割り振ったパートはボーカリストたちによく合っていたよ」とケニー・ロジャースは言う。「最後にスティーヴ・ペリーがやったようなやつ、あれは僕にはできなかっただろうね。よく考えられた割り振りだったよ」。

レイ・チャールズが口を開くと誰もがそれを聞いた。

「レイ・チャールズは普段と変わらず、誰からも尊敬されていたよ。変に主張することもなく」とジョン・オーツは言う。「彼はただ真ん中に立っていて、自分のパートを歌っていたよ。ライオネルとマイケルとクインシーが指揮を執っていた。彼らの歌だから。そして誰もがお互いを尊重し、完成させるべく頑張っていた。意味がないから誰とは言わないけど、プロデューサーのような振る舞いを始める人が現れることがあったんだ。『これをやってらどうだ?』、『あれをやったらどうか?』と言ってアイディアを出そうとする人がいたんだよ。うまくやるには複雑なことだったのは明白だし、コックが多すぎるとシチューは大参事になるものだ。レイはたまにあの声で『さあ、やろうぜ。マイケルの言う事を聞くんだ。こいつを完成させよう』って言ってくれてね。彼は歌うために来ていたし、失敗しかねないと感じていたんだね。彼は大いに尊敬を集めいていた。あれは本当にカッコ良かったと思うよ」。

ボブ・ディランはソロを歌う時緊張していた。

「We Are the World」のリリースに合わせて制作された1時間のドキュメンタリーには信じられないシーンがある。ボブ・ディランのソロ・フレーズ「There's a choice we're making」を説明するためにスティーヴィー・ワンダーがスタジオのピアノに座り、ボブ・ディランに向かってボブ・ディランのまねをしているのだ。「ディランは僕とスティーヴィーの方を向いて、『僕にどうして欲しいんだい?』と言っていたよ」とライオネル・リッチ―は振り返る。「僕らはみんなそんなものだった。誰かをバカにするようなことはしないようにってみんな考えていたよ」。レコーディング中にディランのすぐ後で歌っていたジョン・オーツは、ボブ・ディランがソロを歌うことに緊張していたことを覚えている。「彼はメロディーの人じゃない。でも彼のソロは特にメロディーが特徴的だった。あのようなメロディーを歌うことは彼にとっては居心地が悪かったんだと思う。彼なりのやり方で頑張っていたんだよ」。

ケニー・ロジャースはみんなのサインを欲しがった。

「一通り歌ってみて、実によくできた歌だと実感したんだ。とてもスペシャルなものだと思ったよ」とケニー・ロジャースは言う。「だからセッションのスコアを持って、みんなにサインをお願いして回ったんだ。そうすると、ダイアナ・ロスも同じことを始め、そしてみんながサインをもらおうと動き始めたんだ。それはアトランタの僕に家の壁に飾ってあるよ」。同じくサインを集めたジョン・オーツはロジャースとほとんど同じことを言っている。「コロラドのスタジオに飾ってあるよ。人が来てそれを見ると、みんな大興奮さ。全員のサインをもらったよ。レイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーのところへも行ったんだ。この時ばかりは僕は冷静だったね。僕の最高の宝物さ」。クインシー・ジョーンズはサイン入りの楽譜を書斎にかけてあるという。「それを見ると知らないうちに笑ってるんだ。そしてそれぞれの名前を読み始めるんだよ」。

あの「各自のエゴは入口で預けておく」の表示は必要なかった。

これはクインシー・ジョーンズの言葉である。「全世界の最大のスターたち46人が一つの部屋に集まっていたんだ。はるか遠くで手助けを必要としている人々を助けるためにね」とクインシー・ジョーンズは言う。「あの夜のあの経験は二度と起こらないと思うよ。人類の進歩のために人々を結集させるという音楽の力を僕は信じている。このことについては、『We Are the World』という集まりは最高の実例かもしれないね」。

USA for Africaはまだ活動中。

「We Are the World」から30年。USA for Africaはアフリカのコミュニティーのために活動中だ。近年の取り組みとしては、気候変動問題やアート・キャンペーンの取り組み、エボラ出血熱の拡散と戦うためにリベリアとシエラレオネに医薬品を送るということを行っている。「We Are the World 」で得られた印税はUSA for Africaの主要資金源である。「まだ資金が得られていますが、25年前ほどではありません」とエグゼクティブ・ディレクターのマルシア・トーマス(USA for Africa の活動の一つ、Hands Across Americaへ1986年から参加)は言う。「『We Are the World』をよく買っていただいているという意味では、私たちへの最大のサポートはアメリカ以外の国々、特に日本、アジアなんです」。

We Are the Worldの参加者(ソロ、登場順)

ライオネル・リッチー
スティーヴィー・ワンダー
ポール・サイモン
ケニー・ロジャース
ジェームス・イングラム
ティナ・ターナー
ビリー・ジョエル
マイケル・ジャクソン
ダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック
ウィリー・ネルソン
アル・ジャロウ
ブルース・スプリングスティーン
ケニー・ロギンス
スティーヴ・ペリー
ダリル・ホール
ヒューイ・ルイス
シンディ・ローパー
キム・カーンズ
ボブ・ディラン
レイ・チャールズ

コーラス:ダン・エイクロイド、ハリー・ベラフォンテ、リンジー・バッキンガム、マリオ・シポリナ、ジョニー・コーラ、シーラ・E、ビル・ギブソン、クリス・ヘイズ、ショーン・ホッパー、ジャッキー・ジャクソン、ラトーヤ・ジャクソン、マーロン・ジャクソン、ランディ・ジャクソン、ティト・ジャクソン、ウェイロン・ジェニングス、ベット・ミドラー、ジョン・オーツ、ジェフリー・オズボーン、アニタ・ポインター、ジューン・ポインター、ルース・ポインター、スモーキー・ロビンソン

「今回の30周年で最も残念なことは、これをマイケルと分かち合えないことだよ」とライオネル・リッチーは言う。「おかしなこと、ばかばかしいことがたくさん起こったよ。彼とそれを分かち合えないのがとても残念だ」。

ソース:USA TODAY

まさかと思うかもしれない10大興味深いMJ像

キング・オブ・ポップはインディアナ州ゲーリーで生まれ、9人の兄弟姉妹とともに育った。父親による厳しい指導により、彼は国際的スターとなり、45年のキャリアを築いた。82年のアルバム「Thriller」は史上最高の売り上げ枚数を誇り、ゾンビや狼男として自身が登場するビデオはミュージック・ビデオに革命を起こした。

マイケルの立ち振る舞や歌詞、変幻自在の外見は、その生涯を通じて数多くの論争を巻き起こした。1990年代中盤以降、彼は自動性的虐待の疑惑に覆われた。1件の告発では示談となり、2005年には別の容疑で起訴となった。彼はすべての件で無罪となった。

マイケルの私生活について何を信じようと厳然たる事実が存在する。つまり、彼は世界で最も人気のあるパフォーマーだった。完璧なるショーマンとして、彼は世界中で尊敬され、地球上のありとあらゆる場所に多くの像が立てられてきた。最も興味深く、最も奇妙な、そしてもっともおかしな10のMJ像がこれだ。Rock on Michael!

10.ブラジルの貧民街
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マイケルは最初の「They Don't Care About Us」のビデオをリオデジャネイロの貧民街サンタ・マルタとサルバドールの街で撮影した。スパイク・リーが関心を持ったプロテスト・ソングだ。結局スパイク・リーはこの曲のために2本のビデオの監督を務めた。ブラジルの当局者は貧民街での撮影に懸念を示した。メディアに悪いイメージが流れると思ったからだ。だがキング・オブ・ポップが押しきり、ビデオは成功を収めた。

ビデオには地元のミュージシャンや住民が登場し、貧民街に存在する諸問題を明るみにした。この出来事を記念してマイケルの銅像が建てられた。貧民街を見下ろすようにそびえ立ち、そばには切手を思わせる虹色のマイケルの顔のモザイク画が描かれている。両手を広げたこの像はマイケルにあまり似ていないかもしれないが、訪問者が絶えることはない。

9.サッカー博物館
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この蝋人形風のMJ像は実業界の大物モハメド・アルファイドが作らせ、フラムFCの本拠地クレイヴン・コテージでお披露目された。2011年当時、アルファイドは同クラブのチェアマンだった。マイケルの大ファンで友人だったアルファイドだが、この像が公開された時には批判にさらされた。おもな理由はそれが不自然で元気がないように見えるからだった。

アートの批評家たちは醜く低俗的だと評した。しかしアルファイドは、「理解せず評価しないバカなファンはくたばってしまえ」と反論した。ただし、像の設置後、フラムFCの戦績は改善した。新しいチェアマンのシャヒード・カーンが就任すると像は撤去され、2014年の5月にマンチェスターの国立サッカー博物館に設置された。そしてフラムFCの成績は急降下してしまった。アルファイドには見る目があったのかも!

8.リンカーン
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ハードロック・ホテルはいたるところにあり、プラネット・ハリウッドよりも繁盛している。だからハードロック・ホテルをもう一度利用する人が多いに違いない。だが、マレーシア・ペナンのハードロック・ホテルほどすごいところはない。そこは、リンカーンのようなマイケルの白い像が宿泊客を迎えているのである。リンカーンのモニュメントに似ているということはさておき、この彫像は本当によくできていて、マイケルの顔の特徴をとてもよくとらえている。

この像はクアラルンプールのSCULPTUREATWORKによって制作され、宿泊客に大変好評だ。このホテルのカフェはビートルズがテーマとなっているものの、他のアーティストにちなむし品々も置かれている。

7.聖母と子供
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ロサンゼルスを拠点としているアーティスト、マリア・フォン・ケーラーが、2011年にイースト・ロンドンのPremises Studiosに自分の作品を設置した。「聖母と子供」と題されたその作品は、マイケルが生後9か月のプリンスをホテルのバルコニーから見せたあの瞬間を捉えたものである。後にマイケルは非常識だったと謝罪したが、この出来事はフォン・ケーラーによって固定されてしまった。

ケーラーはこの作品に対して報酬を受けてはいないが、殺害の脅迫は受けた。MJの名誉を傷つけると非難するファンがいる一方で、スタジオを燃やすと脅したファンもいた。この像は恒久的に設置されたものではなく、数か月後にはロサンゼルスへ移設されるだろうと見られていた。その居場所は様々に言われているが、行方不明のままである。

6.中国の彫刻公園
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笑みを浮かべ、両腕を開いたマイケルの銅像は、中国・広州市の広州彫刻公園で人気の銅像だ。マイケル・ジャクソンは1987年、広東省広州市付近のある街をたびたび訪れていた。マイケルの死後、人々が集まって像を建てようと資金を募った。

像の公開式典は、チャリティのための募金とマイケルの愛のメッセージを広めるための機会としても活用された。製作者のZeng Kang Luは、不気味なほどに似ている像を苦労の末に作り上げた。中国と香港のファンクラブがこの像の複製を制作し、カンザスにあるオーバーランドパーク植物公園に設置した。

5.イタリアの遊園地
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マイケル・ジャクソンは子供の心を持っていた。それはしばしば批判の的となり、ジョークの種にもされた。彼は子供っぽいことが大好きで、自邸ネバーランド内に遊園地を作ってしまうほどであった。彼を責めることは誰にもできない。

イタリア・ローマのヴァルモントーネにあるMagicland Theme Parkがマイケル・ジャクソン像を置いているのには理由がある。マイケルはローマに遊園地を作ろうとしていたのだ。そのため、同遊園地は彼への敬意を表しているのである。この像のマイケルは親しみやすく微笑み、頭をかいている。

この像のマイケルは新曲を考えているのか、次は何に乗るかを考えているのか。いずれにしても、世界中の遊園地でマイケル像の制作ラッシュになるかもしれない。

4.香港・屯門の寺
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1987年、マイケル・ジャクソンは香港のテレビ局TVBを訪問し、歌手アレックス・トーと面会した。彼はマイケルの死後、彫像を制作させた。この銅像は屯門の善縁という寺に建てられた。この像は「Smooth Criminal」を模したもので、彼のファンキーなダンス・ムーヴが永久に形として残ることとなった。

セレモニーではミュージシャンのハワード・マクラリーが「I'll Be There」を歌っている。その映像はこちら。



3.マクドナルドの駐車場
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ニューアルバムの宣伝で最も効果的なのは?それには自分自身の像を作ることだ。それも、ロードス島の巨像サイズの像を。史上最も高額なプロモーション。ソニーはアルバム「HIStory」の宣伝のために、弾帯をたすき掛けにした高さ32フィート(およそ9.7メートル)のマイケル・ジャクソン像を9体制作した。この像は1995年にヨーロッパの主要な場所に置かれた。そのうちの一体は、船に乗せられてテムズ川を下った。

その後これらの像は撤去され、あるいは一部はソニーが保管しているかもしれない。だがこの一体は、オランダ・ベストのマクドナルドの駐車場に依然として立っている。マイケルのように巨大で、マクドナルドのような誰もが知っている立場。有名人には何かそれにふさわしいものがある。彼は、あらゆる階層の中で世界的な存在だった。マクドナルドのクォーターパウンダーのように。

2.オーストリアの公園
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もう一つの興味深いMJ象はオーストリアのミステルバッハ・アン・デア・ツァーヤにあるランデスバーン・パークにある。これはマルティーナ・カインツというファンが思いつき、寄付によって建てられた。チェコ人彫刻家ダニエル・カルタコヴァによって作られたこの象は、マイケルの銅製の胸像を置き換えたものだ。元の胸像は顔は良かったのだが髪型が良くなかった。

新しい象はマイケルのある瞬間を封じ込めたものだ。彼は何かを指さし、目は軽く閉じ、手をお腹あたりに置いている。全体に白く塗られているが、ゴールドでアクセントがつけられ、そのせいで彼のタイがバターのように見える。「Smooth Criminal」の衣装だが、これはマイケルの彫刻に共通するテーマとなっているようだ。

1.マイケルとバブルス
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現在のところの最も奇妙な象は、ジェフ・クーンズ作のマイケルとペットのチンパンジー、バブルスだ。クーンズは磁器の中にマイケルの表情をポジティブに封じ込めるよう一貫して取り組んだ。そして超越的な出来栄えとなった。それはこれまで示したどの象にもないものだ。さらに彼は、金による装飾を惜しみなく使い、その商才でマイケルとバブルスをハイライトしている。クーンズによると、金の使用は、大量生産されているキリスト教の図像を示唆しているという。

この象は低俗的ではあるが、クーンズはマイケルの伝説的なペルソナを捉えることを目指したものであり、彼はマイケル・ジャクソンの「尖鋭性」を高く評価していると述べている。この作品は自己分析を行っているのであり、人間というものを説明するものとしてバブルスが使われている。

この象は3体製作された。1体はオークションで売却され、残りの2体はアテネとサンフランシスコで展示されている。

Source: What Culture & MJWN

伝説のドラマー、ンドゥグ・チャンクラー、マイケルの「Thriller」について語る

「The Trap Set」はドラマーたちの人生のポッドキャストである。ロサンゼルスで製作されており、毎週水曜日に新エピソードが配信される。

「The Trap Set」は無料で、thetrapset.netで各エピソードを聞くことができる。

2月4日に配信された現在のエピソードでは、伝説のドラマー、ンドゥグ・チャンクラーが登場している。このインタビューでンドゥグは、ルイジアナとロサンゼルスでの子供時代について聞き手のジョー・ウォングに語っている。そして、マイルス・デイヴィスやジョージ・デューク、ハービー・ハンコックといった偉人たちにも引けを取らない伝説的なキャリアについても語っている。

話は、史上最高売り上げとなったマイケル・ジャクソンの「Thriller」のレコーディングにも及び、「Billie Jean」のビートを生み出したマイケルやクインシー・ジョーンズとの仕事についても語っている。

さらに「Billie Jean」をレコーディングした晩の特別な思い出についても語った。その晩は彼の息子の母親の誕生日で、自宅で誕生日パーティーを開くことになっていた。しかし、このレコーディングのために彼は遅刻してしまい、ゲストたちから「よく遅刻できるものだね!」と言われてしまったという。彼はこう答えた。

「僕は今夜、僕のキャリアで最高のことをしてきたんだよ!」

彼の言う通り! 

インタビューはこちらから。

■Legendary Drummer Ndugu Chancler Talks About Michael’s ‘Thriller’

The Trap Set is a podcast about the lives of drummers. The show is produced in Los Angeles, California and a new episode is released each Wednesday.

Subscription to the Trap Set is free, and you can also listen to the episodes online on “thetrapset.net.”

The current episode aired on February 4, 2015 and features legendary drummer Ndugu Chancler. In an interview Ndugu tells Joe Wong about his upbringing in Louisiana and Los Angeles. He discusses his legendary career as drummer for such greats as Miles Davis, George Duke, and Herbie Hancock.

Then, he tells us about recording the best-selling album ever, Michael Jackson’s ‘Thriller’ and of how he worked with Michael and Quincy to craft his iconic ‘Billie Jean’ beat.

In the interview he also shares a special memory of the night that they recorded Michael’s ‘Billie Jean.’ It was his son’s mother’s birthday the same night and he had organised a birthday party for her at his house.

However due to the recording he arrived late and remembers being told by some guests, “how dare you come late!” He also remembers his reply back of,

“I think I’ve just done the most incredible thing in my career tonight!”

That’s how it felt like he adds!

Listen to the full interview here:

Source: The Trap Set & MJWN, with special thanks to Joe Wong

スーパーボウル・ハーフタイムショー・ランキング

1993年以前のスーパーボウル・ハーフタイムショーといえば、大学のマーチング・バンドやUp With People(国際的な教育団体)のお披露目会、ドロシー・ハミルとブライアン・ボイタノのフィギュア・スケート・ショーといったものであった。しかし93年以降、ショーは試合と同じくらい豪華なものとなった。USAトゥデイのFor The Winでは、以降の22のハーフタイムショーを振り返り、順位をつけている。

22位 インディ・ジョーンズと危難の魔宮(1995年)
ヴィンス・ロンバルディ・トロフィーが盗まれた。架空の「クラブ・ディズニーランド」でトニー・ベネットとパティ・ラベルが歌を歌う中、インディ・ジョーンズとマリオン・レイヴンウッドがそれを奪還するというもの。これが本当に1995年のスーパーボウル・ハーフタイムショーなのだ。1995年の!これは、「クリスタル・スカルの王国」が公開されるまで、インディ・ジョーンズの歴史の中で最も恥ずかしい瞬間であった。ハーフタイムショーとしては、最も恥ずかしショーである。

21位 ブルース・ブラザーズ(1997年)
「According to Jim」での大仕事をする以前のジェームズ・ベルーシは、この「ニューオリンズ」に媚びた歌で家の名前を汚していた。

20位 フィル・コリンズ、クリスティーナ・アギレラ、エンリケ・イグレシアス(2000年)
彼らは5曲を歌った。10年以上経つが、彼らの名前を挙げることができるものはいないのではないか。コリンズやアギレラでさえも。

19位 ワイノナ・ジャッド、クリント・ブラック、ターニャ・タッカー、トラヴィス・トリット(1994年)
ウェイヴィー・レイズがスポンサーとなったこの年のハーフタイムショーは、トラヴィス・トリットのジャケットを除けば、最も1994年的なものだ。

18位 チャカ・カーン、グロリア・エステファン、スティーヴィー・ワンダー、キッス(1999年)
スーパーボウル2度目の出演のグロリア・エステファンをフィーチャーした「ソウルとサルサとスウィングの祝典」を救うことは、(キッスの)ジーン・シモンズとピーター・クリスをもってしても不可能だった(グロリア・エステファンはブライアン・ボイタノのフィギュア・スケートが登場した1992年のショーの主役だった)。

17位 ザ・フー(2010年)
2012年のロンドン・オリンピック閉会式でザ・フーのパフォーマンスをNBCがカットしたことに対する騒動を覚えているだろうか。このハーフタイムショーに限って言えば、カットされてもあれほどの騒ぎにはならなかっただろう。

16位 トム・ペティ(2008年)
スーパーボウル史上ベストゲーム(ジャイアンツ対ペイトリオッツ)のハーフタイムショーは最も退屈なものだった。だがトム・ペティには全く落ち度はない。彼には素晴らしい歌がある。大きすぎるステージが、彼の歌にとっての最高の場所ではなかったのだ。

15位 マドンナ(2012年)
あの”マテリアル・ガール”は待望のスターだったし、素晴らしいショーになるはずだった。多すぎるドラムラインや女ラッパー、リアリティー・ショーのスターになった元グッディー・モブのメンバーがステージを台無しにしなければ。

14位 シャナイア・トゥエイン(2003年)
スーパーボウルには最盛期を過ぎたパフォーマーを選ぶ傾向がある。一つの例外を除いて、最高の人気パフォーマーがスーパーボウルでパフォーマンスをしたことはない。(ケイティ・ペリーは大物だがテイラー・スウィフトではない)。だがこのことは、シャナイア・トウェイン(彼女は素晴らしく見えた)、ノー・ダウト(サウンドは素晴らしかった)、スティング(ありがたいことにソロ曲のアコースティック・バージョンを歌おうとはしなかった)を傷つけることはなかった。

13位 ブラック・アイド・ピーズ(2011年)
2011年のスーパーボウルでのブラック・アイド・ピーズのパフォーマンスに関して言えば、カッコよかったとか音楽的に重要だということは何もなかった。単に、見る価値がある、楽しいというものであった。そんなに悪くはないだろ?

12位 ブルーノ・マーズ(2014年)
ブルーノ・マーズだけだったらもっと上にランクインしていただろう。名ソングライターである彼は、その昔風のスタイルと覚えやすいヒット曲で楽しませてくれている。だがマーズがある理由でレッド・ホット・チリ・ペッパーズを登場させた。チリ・ペッパーズはよい・・・フリーがシャツを着ないで飛び跳ねているのは素晴らしい。だが彼らは合っていなかった。特に、アコースティックの楽器が使われていたので。

11位 ローリング・ストーンズ(2006年)
ストーンズは数十年のキャリアの中から3曲を披露した。そのうちの一曲に、2005年の駄作、Rough Justiceを選んでしまったのだ。

10位 モータウンに敬礼(1998年)
サンディエゴでのパフォーマンスでモータウンに敬意を表したNFLは、トロントでパフォーマンスでディズニーに敬意を表したマイクロソフトのようだ。だがマーサ・リーヴスとスモーキー・ロビンソンは最高だし、ボーイズ・II・メンのMotownphillyも最高だ。

9位 ポール・マッカートニー(2005年)
ポール・マッカートニーのコンサートが好きな者にとってはセットリストが妙であった。Drive My Car、Get Back、Live and Let Dieとみんな取り上げられたのに、Band on the Runは?忙しかったのか?だが、まさにポール・マッカートニーだ。彼ならチョップスティックを演奏しただけでトップ10になるだろう。

8位 ブルース・スプリングスティーン(2009年)
いつも3時間のショーをやっている彼にとって短縮されたセットリストを演奏するのは難しいという心配は根拠があるものだった。彼はグルーヴを掴むのに45分かかる。15分では短すぎる。4曲のセットリストに新曲を持ってきても、それは手助けにはならなかった。だがそれが、1年で最高のゲームでTenth Avenue Freeze OutやBorn to Runを聴くにあたってのマイナス面だというのなら、私たちはそれを我慢するだろう。カメラに滑り込んでくる場面も含めて。

7位 ダイアナ・ロス(1996年)
モータウンのスーパースターはヒット曲のメドレーをライブで歌い、パフォーマンスを終えてヘリコプターでスタジアムを後にした。

6位 ビヨンセ(2013年)
ビヨンセのショーは素晴らしかった・・・終始素晴らしかった・・・が、デスティニーズ・チャイルドの再結成はあまりにつかの間だったし、広報担当は過保護だった。それは前年から続くものだったが。

5位 プリンス(2007年)
All Along the WatchtowerからBest of You、そしてPurple Rainへ。これはハーフタイムショーの歴史の中で最高のエンディングだ。

4位 U2(2002年)
9.11から5カ月。U2がWhere the Streets Have No Nameで追悼を行っている時、ボノは絶好調だった。素晴らしい舞台だったし、心に響くトリビュートだった。しかし、フットボールの試合からBeautiful Day、胸が張り裂けそうなテロ犠牲者数千人のリストのスクロール、そしてフットボールの試合へ、という25分間は切り替えが大変だった。

3位 エアロスミス、インシンク、ブリトニー・スピアーズ(2001年)
笑いたければ(そうであると確信しているが)笑えばよい。だが、人気絶頂のパフォーマーが出演した唯一のスーパーボウルだ。2001年のインシンクとブリトニー・スピアーズである。ジョイント・パフォーマンスのWalk This Wayは、過去20年で歌われたスーパーボウルの歌の中で数少ない忘れがたい歌の一つである。

2位 ジャネット・ジャクソン(2004年)
ジャネットとジャスティン・ティンバーレイクの衣装の不手際は(フィールドの内外含めて)スーパーボウル史上最も有名な瞬間だ。だが、賭けてもよい。そのアクシデントの時にジャネットとジャスティンが歌っていた曲は誰も覚えていないだろう(調べると、Rock Your Bodyだった)。

1位 マイケル・ジャクソン(1993年)
ローズボウル・スタジアムでのステージが、キング・オブ・ポップとしてのMJの最後の降臨だ(数年後に性的虐待疑惑に巻き込まれた)。10万人のファンが声援を送り、彼が5曲歌うのを待つ90秒間、彼は微動だにせず立ち尽くした。そしてJamに始まり、Billie Jean、Black or White、そしてHeal the Worldの合唱でのエンディング。近年のスーパーボウルの壮大なショーが生まれた瞬間だ。

ソース:USA TODAY
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