アル・シャープトン師の見方

マイケル・ジャクソンは成長するにつれて、その内なる世界は絶えず縮小していた。昨夜のテレビ番組「Watch What Happens Live」で、アンディ・コーエンは、キング・オブ・ポップを真に知る人物に話を聞くという貴重な機会を得た。その人物とはアル・シャープトン師である。

コーエンはシャープトン師に対し、MJについて、何かみんなが驚くような話をしてくれるよう頼んだ。シャープトン師はためらうことなく語った。

「彼はとてもとても繊細でした。友人たちが彼を見捨てた時、彼はとても傷つきました」。

この状況は、2009年のマイケルの葬儀の時に痛いほどはっきりしたとシャープトン師は述べた。

「最後の数年間は、彼が助けたたくさんの人々が・・・私は大スターたちのことを言っています・・・電話に答えてくれないと彼は感じていました。そういう人たちが葬儀では最前列に座り、インタビューを受けていたんです。彼らはマイケルと話なんかしていなかった、見捨てていたんですよ。追悼の間、葬儀で彼らとケンカをしないようにしているのが精一杯でした。なぜなら、彼はたくさんの人々にとても傷つけられていたんですから」。

シャープトン師は今でも「ファミリーとは連絡をとっている」と述べ、「ランディとは時々話をしています」と付け加えた。

al_sharpton.jpg ■ Rev Al Sharpton Shares Sad Views On Michael
As Michael Jackson grew older, his inner world continually shrunk, and on last night’s Watch What Happens Live, Andy Cohen had a rare opportunity to question someone who truly knew the King of Pop intimately: Rev. Al Sharpton.

Cohen asked Sharpton to share something about MJ that would surprise people, and the Reverend didn’t hesitate.

“He was very, very sensitive,” he says. “He was very hurt when a lot of his friends deserted him.”

Sharpton said this situation came into painful clarity at Michael’s 2009 funeral.

“He felt in his last couple of years, that a lot of people he helped — I’m talking about major stars — wouldn’t return his calls. And they all were all sitting in the front rows of his funeral giving interviews, and they had actually not talked to Michael, they had abandoned him. And it took all I could not to call them out at the funeral during the eulogy, because he was very hurt by a lot of people.”

Sharpton said he’s still “in touch with the family,” adding, “I talk from time to time to Randy.”

Source: bravotv.com & MJWN

12のスリリングな事実・・・Trick Or Treat?(その1)

マイケル・ジャクソンのビデオ「Thriller」は、ほぼ30年前の1983年12月2日に発表された。監督のジョン・ランディス(「ブルース・ブラザーズ」、「狼男アメリカン」)はこの曲(アルバム「Thriller」からの7番目の最後のシングル)を14分近くのミュージカル・ホラー・フィルムに延長し、マイケルにモンスター・ムービー・ファンタジーを好きなようにやらせた。このビデオはMTVでこれでもかと放映され、YouTubeでは1億4900万回も視聴されている。

ハロウィンを前に、最初に見た人、あるいは200回見た人も知らないかもしれない12の事実を紹介しよう。

1. 「Thriller」と詰め物

このビデオの制作費は50万ドル。当時、最も高価なビデオであった。だが、CBSレコードは「Thriller」からの3作目のビデオに制作費を払うつもりはなかった。そしてMTVはビデオ映像に対してお金は出さないという方針であった。マイケルとランディスは、45分の「The Making of Thriller」の放映権料として25万ドルをMTVとShowtimeに供出させることで予算を得たのである(MTVは、映画を放映することに対して支払うことにすれば自社の方針に触れることはないと判断した)。ランディスはこの引き伸ばされたドキュメンタリーに「The Making of Filler(詰め物)」というあだ名をつけていた。

2. ロッド・テンパートンが「Thriller」を思いつくまで、マイケルはこのアルバムに便宜上「Strrlight」というタイトルをつけていた

なお、ファンク・バンド、Heatwaveの元メンバーでイギリス生まれのテンパートンは、アルバム「Thriller」用に「Baby Be Mine」と「The Lady in My Life」も書いている(それより以前には、マイケルのために「Rock with You」と「Off the Wall」を書いている)。

3. マイケル・ジャクソンの信仰が染みわたっていた

冒頭の一文(「私の個人的な固い信念に基づき、この映画はオカルト信仰を承認しているものではありません」)が挿入されたのは、マイケルのエホバの証人に対する信仰のためである。また、もう一つ、彼の信心深さの現われとして、プロデューサーのクインシー・ジョーンズによる証言がある。「Thriller」のレコーディング中、ロサンゼルスのウェストレイクのスタジオでのこと。「スタジオの正面の窓の前を健康的なカリフォルニア・ガールが歩いていたんだ。通りに面したその窓はマジックミラーになっていたんだけど、その女の子はドレスを頭の上までまくり上げたんだ。彼女はその下には何も身に着けていなかったんだよ」。ジョーンズもテンパートンもじっと見てしまった。しかしジャクソンは見ないで済むよう、ミキシング・コンソールの裏側に隠れてしまったのである。

4. 「Thriller」は成長物語である

「若者は思春期には思わぬところに毛が生え始め、骨格は太く成長するものです」と、ジョン・ランディス監督は、劇中の狼男のメタファー(暗喩)の役割について説明する。「このような体の変化と、それまで馴染みのなかった新たな性的思考は誰でも経験するものです。変化という文字通りのコンセプトを私たちが容易に受け入れることに、なんら不思議はありません」。言い換えれば、狼男への変身は、マイケル・ジャクソンにとっての、思春期を経験するための安全な手段だったのである。

5. 「Thriller」にはプレイメイトが出ていた

「Thriller」の共演者で元プレイボーイのプレイメイト、オーラ・レイは、「チアーズ」や「ビバリーヒルズ・コップ2」などに出演しているが、彼女の唯一の有名なミュージック・ビデオはジョージ・ベンソンの「Give Me the Night」である(この曲もロッド・テンパートン作で、クインシー・ジョーンズが監督だ!)。ちなみに、ベンソンとのデートでは、ホットドッグとシャンパンが登場する。このビデオの最大の"特殊効果"は、ローラースケートでギターをプレイするベンソンであった。

6. フレッド・アステアが「Thriller」でエキストラ出演していたかもしれなかった

ハリウッドのレジェンド、フレッド・アステア(ジャクソンのダンスのファンで、個人的にムーンウォークをマイケルから教わった)は、「Thriller」のリハーサルに参加していた。ジャクリーン・ケネディ・オナシス(ジャクソンの自伝「Moonwalk」の編集者)がその数時間を記録していた。つまり、イースト・ロサンゼルスの治安の悪い場所で午前3時に彼らが撮影していた時、彼女はマイケルのウィネベーゴ(キャンピング・カー)の中でくつろいでいたのである。

(その2へ続く)

12のスリリングな事実・・・Trick Or Treat?(その2)

7. 「Thriller」の振付師は「Beat It」のギャングのメンバーだった

振付師のマイケル・ピータースは、パット・ベネターの「Love Is a Battlefield」やマイケルのビデオ「Beat It」における画期的なダンス・シークエンスも手掛けている(「Beat It」では、ギャングのリーダーの一人を演じていた。白い服を着た、サングラスの口ひげの方だ)。彼はミュージカル「ドリームガールズ」の振付でトニー賞を受賞したが、1994年にエイズで亡くなった。わずか46歳であった。

8. ゾンビ・ダンスの魅力はグローバル

ギネス・ブックによると、「Thriller」のゾンビ・ダンス・ルーティーンの最多人数のギネス記録がある。「2009年8月29日、メキシコ・シティーの革命記念塔において、教育研究機関が企画したイベントで1万3597人が参加した」。

9. 「Thriller」を題材としたビジネス講座はデタラメ

ジョン・ランディスは、「Thriller」制作の動機とその巨大な金銭的インパクトを語っている。「現実には、あれは自分のためのビデオだったんですよ。『Thriller』は、すべてはマイケルがモンスターに変身したいというところから始まったんです。何一つ計算されてはいません。これははっきりさせておきたいんですが、というのも、『Thriller』を題材とした講座がハーバードのビジネス・スクールにありましたけど、あれは完全にデタラメですよ」。

10. 「Thriller」は人に取りつく力があるのかもしれない

9歳だったシー・ロー・グリーンは「Thriller」がとても怖かった。テレビで放映されるといつもその部屋から逃げ出していた。「彼が取りつかれてるんなら、僕は間違いなく取りつかれる。だってマイケルは僕なんかよりよっぽど強いんだから」。

11. レゴの「Thriller」でさえ素晴らしい

12. ヴィンセント・プライスの「最後のしゃべり」は素晴らしい

ホラー映画のレジェンド、ヴィンセント・プライス(「肉の蝋人形」、「シザーハンズ」)がスポークン部分を録音した時、実は彼はカットされたが全ヴァースを録音していた。「悪魔たちが歓喜の声を上げる/悪魔たちが見張っているのはおまえだ、まるまる太った格好の獲物/グルーヴは素晴らしい/だが、おまえの足は凍ったままだ/おまえは逃げようとする、叫ぼうとする/だが、おまえが太陽を見ることはないだろう/悪魔は墓場から来ているのだから/おまえを冷酷に握りつぶすために」

(おわり)
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Source: Rollingstone & MJWN

コリー・フェルドマン:僕の親友

80年代の全盛期、コリー・フェルドマンはハリウッドの子役スターとして天国と地獄を経験した。彼はHuffPost Liveに登場し、出版されたばかりの自伝「Coreyography」や、最悪の時期に手を差し伸べてくれたマイケル・ジャクソンとの友情について語った。

「僕がそばに居なかった間に起きたことについてはあまり知りません。僕がお話しできるのは、僕が知っているあの人についてことです。僕の親友、僕にとって兄のような人。彼はあんな人じゃない」とフェルドマンは司会のリッキー・カミレリに対して語った。

「彼はとても無垢な人です。箱入りというか。彼の周りでは他人の悪口をいってはいけない、ドラッグの話をしてはいけない、ヌードの話をしてはいけいない、セックスの話をしてはいけないんです。彼とはそういう話はできない。彼はとても信心深い人でしたから。若い頃、駆け出しのころは」

逮捕された後、フェルドマンは、マイケルが自分の評判を気にして彼を見捨てるのではと思った。「僕が逮捕された時、僕は怖かった。正直言ってね。二度と口をきいてくれないかと。彼にはクリーンなイメージがあったから・・・僕は彼が『じゃあね!』みたいな感じかと思っていた。わかりますかね?そして彼がどのようなタイプの人か、わかってしまうのかと」。

「実際は、僕が逮捕された時、彼は僕のそばを離れ、なかったことにもできた。でも、彼のイメージはまだとてもクリーンだったにもかかわらず、彼はそうしなかったんです」。

「彼は僕に電話をくれました。留守番電話にメッセージが入ってたんです。『やあ、コリー、マイケルだよ。元気かい?僕の助けが必要なら電話して』。彼は友達だった。彼は僕を助けてくれた。僕は神に感謝しています」。

インタビュー全文とビデオはこちら(英文)。

corey_feldman.jpg ■ My Close Friend
During his heyday in the ’80s, Corey Feldman experienced the extreme highs and lows of being a child star in Hollywood. The actor stopped by HuffPost Live to discuss his just-released memoir ‘Coreyography,’ and revealed details about his friendship with Michael, who reached out to Feldman when he was at his lowest.

“I don’t know a lot of things that happened in the years I wasn’t around, but all I can tell you is remarking about the person that I know, the person that was my close friend, that was like a brother to me. He was not that guy,” Feldman told host Ricky Camilleri.

“He was a guy who was so innocent, so kind of sheltered, you couldn’t even swear around him. You couldn’t talk about drugs, you couldn’t talk about nude women, you couldn’t talk about sex. You couldn’t talk about anything, because he was a very religious man for much of the early stages of his life and career.”

Following an arrest, Feldman was afraid Michael would abandon him to preserve his own reputation. “When I got arrested, I was afraid, to be honest with you, that he’d never talk to me again because he had such a clean image — that I really expected that he’d just be like, ‘see ya!’ you know? And that really showed me the value of what type of person he was.”

“The fact that when I did get arrested, even though his image was still squeaky clean and by all rights he could have stepped aside and moved me back, but he didn’t,” Feldman continued.

“He called me. I got that message on my answering machine, which said, ‘Hi Corey, it’s Michael. Is everything ok? Call me if you need me.’ You know, he was a friend. He was supportive. And thank God for that.”

To read the full interview and to watch the accompanying video, please go here.

Source: The Huffington Post, HuffPost Live & MJWN

80年代、ビルボード11月のナンバーワン

2013年のビルボード・チャートはマイリー・サイラスやケイティ・ペリーが席捲している。そして80年代は、マイケル・ジャクソンやバーブラ・ストライサンドといった偉人たちがトップに君臨していた。

もし、あなたが80年代の生まれなら、おそらく両時代のアーティストをかじっているだろう。ハロウィンの音楽が流れ始める前に、11月のビルボード・トップ曲たちを見てみよう。

87年のマイケルのヒット、「BAD」も入っている80年代のリストはこちら

■The Number One November Billboard Songs Of The '80's

While Miley Cyrus and Katy Perry are dominating the Billboard charts near the end of 2013, there were greats like Michael Jackson and Barbra Streisand sitting at the top in the 1980's.

If you are a product of the '80's, chances are you dabbled in these artists. And before the holiday music begins, here's a look at the Billboard top songs from the beginning of November.

To see the chart as it stood then, go here please visit here, where you can view the artists’ videos, including Michael’s 1987 hit ‘BAD.’

Source: Huffington Post & MJWN

デビー・ロウ:マイケルの死に責任がある人はたくさんいると思う

デビー・ロウは、マイケル・ジャクソンの死について、彼の周りにいた全ての人を非難している。

マイケル・ジャクソンは2009年、手術用麻酔薬プロポフォールの投与が致命的となって亡くなった。彼はプロポフォールを睡眠補助として使用していた。

96年から99年までマイケル・ジャクソンの妻であり、2人の子供を儲けたデビー・ロウによれば、マイケル・ジャクソンの人生に関わった多くの人々は、関わりが終わった後は関与することを拒んでいたという。

「関わった人はたくさんいます。ステージにいたダンサー、ミュージシャン、カメラマン、音響係。そういう人たちは彼がボロボロになっていくのを見ていました」と彼女はエンターテインメント・トゥナイトで語った。

54歳になる彼女は、マイケルは問題に立ち向かうべきだったと考えている。彼の健康状態が悪化しているのを見ていた人たちにとって、マスコミにそれを言うことはできないことではなかったと彼女は言う。

「そういう人たちの誰かカメラを手にとって、例えばエンターテインメント・トゥナイトのようなところに持ち込み、そして止めさせるなんてとんでもないことなのです」

そして強欲とエゴが勝利した、とデビーは語った。マイケルが危険な選択をしていることがわかっていた人々は、見てみぬふりをしていたと彼女は考えている。

「彼らはマイケル・ジャクソンと仕事がしたかったのです。マイケル・ジャクソンとツアーに出たかったのです。彼と親しかったと主張する人、彼のためにいつもそばにいた人、彼のために何でもしていた人。誰一人として止めさせようとはしなかったのです。そう言う人たちにとっては、マイケルと仕事をしたということが一番大事なことだったのです。一人の人が亡くなった、父親が亡くなった、息子がなくなったんですよ」。

マイケル・ジャクソンの母親キャサリン・ジャクソンは先月、AEGライブを相手取った訴訟で敗訴した。マイケル・ジャクソンのカムバック・コンサートのプロモーターであった同社の不法行為は認定されなかった。

一方で、薬物の致命的投与を行ったとして有罪評決を受けたコンラッド・マーレー医師は、過失致死罪による禁固4年の刑期のうち2年を服役し、先週、ロサンゼルス郡刑務所から釈放されている。

マイケル・ジャクソンはデビーとの子供の16歳のプリンスと15歳のパリス、そして11歳のブランケットを残して亡くなった。50歳だった。

ソース:ET / music-news / Alek Sandra / MJ-Upbeat.com
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