「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その9)

リーシャ:それは痛々しい話ですね。でも音楽的な観点から言うと、「Dangerous」というタイトルの曲に、スタジオでのアクシデントの音を入れることを選んだというのは面白いと思います!自分が聴いている音が何の音なのか知らないままにずいぶん長い間この曲を聴いていたんですね。エンジニアが、物が落ちる音といった日常の音を採用して音楽でジョークを言う、というのは私にとってはとても魅力的です。創造プロセスというのは際限がありません・・・身の回りのどこにでも役に立つものが転がっているのです。

シルヴィア:創ったのは誰なのかはっきりしないという問題は、このセミナーが、MJファンとMJの音楽ファン向けになっているとはいえ、音楽やパフォーマンス、レコーディング技術、それにレコード産業に広く興味を持っている人であれば誰にとっても魅力的になりうる理由の一つです。この手のセミナーには幅広いオーディエンスが絶対にいます。ブラッドとマットの記憶や見解は、80年代から90年代のアメリカのポピュラー音楽におけるスタジオ技術の可能性と革新を証明するものです。当時、これほどの人材や機材を使っていたソロアーティストがいたでしょうか?

リーシャ:それはたぶん、今現在の私の中で最大の疑問です。数百万ドルという巨大な予算を使ってこれほどの音楽作品を創りだしたアーティストが歴史上ほかにいたでしょうか?私には思いつきません。これらのレコーディングについて学ぶことは、録音されたアートとしての音楽に興味がある人にとっては興味深いものになるということはその通りだと思います。

エリナー:そう、シルヴィアが言うように、マイケルがマットとブラッドに用意した予算や人員などが、限界を押し広げることを可能としたのだと思います。だから私たちは、最高のことを最高の人たちから学んだのですよ!

リーシャ:マットとブラッドが雇い主であるマイケル・ジャクソンの信頼を得るのは、上司にあたる人々、とりわけ、ブルース・スウェディーンやクインシー・ジョーンズと変わらないくらい早かったのです。二人は、関係者全員に最大限の敬意を表し、賞賛を惜しみませんでした。結局はグループとしての努力であったと感じていたようです。まさに、一つのチームだったのですね。

ヴェロニカ:Captain EOのような巨大で画期的なプロジェクトを実現するためにはいろいろなものを組み合わせたチームワークが必要だった。その通りですよ。Captain EOに、プロジェクト開始からスター勢揃いのオープニングまで終始従事したマット・フォージャーは、このことを知るための大きな窓口なのです。彼は投入された技術を強調していましたね。24トラックのテープ、これはその後レーザーディスクに移されました。それにデジタル録音。そして映像では、コンピュータやCGが使い物になる以前に、ああいう特殊効果を生み出すための方法を見出しました。マットが言う「ストップ・アンド・ゴー」方式の特殊効果やミニチュアの制作とか。

ブラッドやマットが強調していましたけど、マイケルは「チーム・プレーヤー」で、他者と協力して仕事をしていたそうです。ブラッドによれば、スタジオ内でのモットーは、「仕事は本気で、自分は二の次で」ということだったそうです。クインシーも似たようなことを何度も言ってますね。「エゴは入口で預けるように」って。マットはMJの「仕事の倫理観は誰にも負けない」と何度も言っていました。そして、彼自身やブラッドを含むほかの人々は、一日16時間働いていて、時にはMJやブルース・スウェディーンはスタジオで寝ることもあったとか。

リーシャ:そう、そして、これが毎日毎日、何週間も、何年も続いたのです。これらのアルバムを創るためにマイケル・ジャクソンと彼のチームがどれほど長く、そしてハードに仕事をしていたか、一般には理解されていないと思います。公式なレコーディング・セッションが始まる前の段階でも、マイケル・ジャクソンは1年以上前からヘイヴェンハーストでチームで仕事をしていました。公式なレコーディングが1日たりとも始まっていないのに。マイケルが一曲にどれほど時間をかけていたか、これまで誰が知っていたでしょうか?

ヴェロニカ:マットは、MJのプロジェクトすべてにおいて、「クリエイティブであることが最優先」と指摘しています。そしてクリエイティブであることは、最大限に「魂でのつながりを最高に」を得ようとするよう努力することだったそうです。リスナーが音楽を魂で感じられるようにということです。音楽は時として、何年もかけて、時には数十年かけて、ゆっくりと試行錯誤を経て完成します。アルバム制作には数年はかかる、とマットは言っていました。

エリナー:そう、それがとても印象的でしたよ、ヴェロニカ!多くに人がアートとテクノロジーを、アートとポップ音楽を見るのと同じように全くの別物だと考える中、マイケルはテクノロジーとポピュラー音楽を、「魂でのつながりを最高に」し、アーティストとして自分自身を表現するための強力な手段であると見ていました。

ヴェロニカ:マットはこうも言っていました。Captain EOのサラウンド・システムは特異な高音と低音の基準に合わせてあるそうです。THX承認のシステムが指定した基準です。上映されていた4か所、アナハイム、エプコット、パリ、東京はサウンドのクォリティをイコライザーでチェックしていました。

Captain EOは、これらの4か所で比較的短期間の上映でした。1986年から、あの疑惑が上映終了を引き起こした90年代中盤までです。そしてMJが亡くなった後の2010年になってやっと再開されました。これは、ふさわしい注目を受けないまま長い間消えていた、そういう作品です。MJのアフロフューチャーリズムの重要な部分を占めている作品です。デリック・アダムスがアフロフューチャーリズムの基礎となったとみている初期の作品、The Wizと同様ですね、シルヴィア。(リンク)私はリーシャがEO(彼が着ているシャツの虹やEOという名前は「夜明け」を意味しています)やMJのアート一般の「神話」のクォリティについて引き合いに出してくれたことが良かったです(そしてリーシャ、「HIStory: Past, Present, and Future 」というタイトルは謎めいていて興味をそそられるタイトルですね。確かに、いろいろな意味にとれる複雑な「HIS story(彼の言い分)」です!)

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私としては、このフィルムが普通に観られるように作られればと思っています。そして、マイケルの「創造的意図」を実現するための多大なる努力と献身に対する理解を深めてくれたマットとブラッドには大変感謝しています。マットが言うように、「(ロジスティクス(人や物や金の手配や管理)は巨大だった」んです。ところで、最近Damien Shieldsのブログにマットのインタビューが載っていますし、Captain EOの貴重なメイキング・ビデオからは、仕事がいかに細部にまで息届いていたかわかりますよね。

リーシャ:そう、私も一緒に見ましたね、ヴェロニカ。私は、Captain EOが何らかの形式で一般的に観られるように是非なってほしいと思います。もっと注目される価値はありますよ。そんなCaptain EOを学び、その他たくさんのマイケル・ジャクソン・プロジェクトについて知ることができた素晴らしい週末でした。ブラッドとマットは今後もセミナーを予定しています。私たちももう一度チャンスがあることを願っています!

(おわり)

Source: Dancing with the Elephant

「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その8)

リーシャ:まったくその通り。重要な点を挙げてくれました。これは、間接的ではあるけれど、マットとブラッドが私たちの理解を手助けしてくれているものだと思います。ポピュラー音楽では、レコーディングされた作品は、いろいろなやり方で、音楽作品の定義というものに挑戦しています。作曲家や作詞家、パフォーマー、プロデューサー、そしてエンジニアそれぞれの役割があいまいになり、だから時として、レコードの真の作者は誰なのか判断するのが難しくなっています。

パフォーマンスという点で言うと、「Man in the Mirror」はいい例です。この曲はグレン・バラードとサイーダ・ギャレットが作ったことはよく知られています。でも時として、「マイケル・ジャクソン作」として紹介されます。私たちが今日聞くほかのどのパフォーマンスもマイケル・ジャクソンのカバーとして理解されるという点で、レコーディングされたサウンドによっていつしか固定化されたマイケル・ジャクソンのパフォーマンスが、歌の所有権は当然マイケルにあるかのように思わせているのです。

レコーディング・サウンドに多大なる貢献をするがゆえに創作面で重要な役割を担うという意味で、レコード・プロデューサーやエンジニアたちも作者が誰なのかという伝統的考え方に疑問を呈しています。フィル・スペクターやジョージ・マーティン、クインシー・ジョーンズといったレコード・プロデューサーは間違いなくこのようにみなされています。同じようなことは革新的なレコーディング・エンジニアにもあてはまるでしょう。マーク・リネット(Pet Sounds)やジェフ・エメリック(Sgt. Papper)、ブルース・スウェディーン(Thrillerなど)がそうです。

シルヴィア:いいポイントですよ、リーシャ。ハリウッドの映画やテレビ製作と似ていますね。例えば、長期にわたって放映されているテレビ番組の主演俳優は、自身が演じる登場人物の所有権を主張するかもしれません。それが、脚本家や監督、プロデューサー、エディター、スタジオの重役らがいろいろな形で生み出した役であったとしてもです。人々に見えているのはその俳優の演技だからです。これは特に、脚本家や監督、プロデューサーが交代しても演じる俳優はそのまま、という場合によく見られます。

リーシャ:話はそれますけど一つ面白い話があって、マットによると、ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックが「The Girl Is Mine」のレコーディングでスタジオにいたそうです。

ウィラ:すごーい!それはおもしろいですね!映像とかないんでしょうかね?

リーシャ:その答えを誰かが知っているとしても言わないでしょうね!でもきっとありますよ。歴史的瞬間とはこのことですね。

Captain EOは、録音された音楽の作者は誰なのかということがいかに難しいことであるかということを示すよい例だなと考えていました。Captain EOで聴ける曲の作詞作曲、パフォーマンス、プロデュースがマイケル・ジャクソンであることを私たちは知っています。でも、レコーディングし、ミックスしたマット・フォージャーも多大なる貢献をしたことを私たちは学びました。「We are Here to Change the World」と「Another Part of Me」でのジョン・バーンズのマイケル・ジャクソンとの仕事ぶりについて、マットは「ワンマン・バンド」だったと評しています。マットはEOでは劇場音響デザイナーでもありました。史上初の5.1サラウンド・サウンドを手掛けたのです。ディズニーが特にCaptain EOのために開発した技術です。だから、彼とディズニーのエンジニアもCaptain EOに大変重要な貢献をしているんです。でもこの映画は録音された音楽作品です-実にさまざまな領域から多くの人々が貢献しているのです。

エリナー:リーシャ、私もそう思います。音楽の製作では、特に現在では、境界は曖昧です。マイケルの音楽の創作におけるブラッドとマットの関わりの大きさは、創ったのは誰か、持ち主は誰なのかということについて疑問を持たせることになりました。特に、アーティストが他者の知識・・・それから芸術性・・・を実現することを必要とする時には。この問題を解決しようと考えている中で、クラシックの作曲家については、音楽が「彼らのもの」であることを自分がどう認識しているのかということを考えました。例えば、バッハの作品を私は認識することができます。以前に聴いたことがあってもなくても関係ありません。そして、誰が演奏し、歌っているかということも関係ありません。最初の数音を聴いただけでわかるんです。それは私が彼の音楽の構造を知っているからではありません。それは、自分の経験、つまりある「フィーリング」を感じたという経験をバッハ特有のものとして聴いたと覚えているからです。そして、その感情面での経験に基づき、その音楽がバッハのものであると間違いなく認識するのです。それは彼のDNAだ、というような感じです。あるアーティストについて、そのアートを彼のものであるとすぐさま認識できるというのは偉大なアーティストの、そして偉大な芸術性の特徴でしょうか?

リーシャ:難しいですね、どのジャンルの音楽でも、良きにつけ悪しきにつけ、誰のものだとすぐわかるような特徴を持ちうるのではと私は思います。でも、ポピュラー音楽では、独特であることやオリジナルであることへの要求はとても高いのは間違いありません。そして、マイケル・ジャクソンがそのように求められていたことは疑いの余地はありません。彼が他と一線を画していることの一つは、彼独特のサウンドと、同じく印象的なヴィジュアル、そしてオリジナルのダンス・ムーヴとが組み合わされているということです。

シルヴィア:そう、ポピュラー音楽には珍しい、トータル性というものがマイケル・ジャクソンの作品にはあるんです。

エリナー:マイケル・ジャクソンのダンスは、彼を、ステージ上の他の誰とも違うものとしています。すぐにそれとわかるものです・・・それは私が受けるフィーリングというものです。それでは、マイケル・ジャクソンの音楽、つまりアルバムに収録されている音楽には彼独特の芸術的特徴が備わっているでしょうか?私は備わっていると信じています。

リーシャ:私もそうだと信じています。

エリナー:マットによれば、音楽を作っている過程では、マイケルは目標を感情的に捉えていて、それが意味するところを翻訳するのがマットの仕事だったそうです。マットがそれを話してくれたことはとてもよかったと思っています。そして、私の推測では、マイケル・ジャクソンがやったような感情的に目標をとらえるというのは他の誰もやっていないと思います。結局のところ、私の感覚としては、マイケル・ジャクソンの芸術的ビジョンのパワーはとても強く、製作過程のあらゆる面に影響を与えていたのだと思います。最初から最後まで、選曲も(他人の作品でも)、プロデューサー選びにしても、サウンド・エンジニア選びにしてもね。そして彼のビジョンの強さというものは、そのほかの重要な要因とともに、彼の音楽を「彼のもの」としているのです。それは、サウンド・エンジニアや関係者のチームワークの多大なる貢献を小さく見るものでは決してありません。

それから私が付け加えたかったのは、マイケルのビジョンや冗談好きの性格、オープンなアプローチ方法は、周囲の音に加えて「ファウンド・サウンド(ガラクタの音を取り入れるサウンド)」にまで拡大されたということです。ブラッドが、おかしいけれども痛々しい話をしてくれました。「Dangerous」レコーディング中にダンスするスペースを空けようとベニヤ板のスクリーンの位置を動かしていた時のことです。そのパネルが彼に向って倒れてきて、崩れる音、彼に当たる音をマイクが拾っていました。その音は消去されずにとっておかれ、結局リリースされたバージョンの「Dangerous」に取り入れられています。レコーディングを終えてから、脳震盪の検査を受けさせるためにブラッドが彼を病院へ連れて行ったそうです。

その9)につづく

「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その7)

リーシャ:音楽には大きな力があります。宗教、政治家、反体制派は音楽を使い、体制側や現状維持派はそれを恐れます。マイケル・ジャクソンがこのことを見失うことはなかったと私は確信しています。ものすごく大勢の人々が、Captain EOのようなマイケル・ジャクソンの作品を見て、程度の差はあるにせよ、影響を受けている。こんなことを考えると畏敬の念を抱かざるを得ません。

マットは言っていましたが、Capttain EOはオープン時にはディズニーの一番人気のアトラクションだったそうです。人々(たとえばウィラ!)はCaptain EOを見るために何時間も並ばなければならなかった。私たちは信じられないほど幸運でしたよ。録音し、ミックスし、サウンドを設計したブラッド・サンドバーグと一緒に観覧し、マット・フォージャーから制作時の話を直接聞けたのですから。

シルヴィア:MJと仕事をするというマッハの経験を知る機会を彼ら2人が提供してくれた、ということですね。ブラッドもマットも(そしてブラッドの娘さんのアマンダも)とても魅力的で寛大で、そして大きな人たちでした。質問攻めにしてしまいましたものね!

リーシャ:そうです。マイケル・ジャクソンがなぜ彼らを評価し信頼していたかわかったような気がしました。スタジオで長い時間、何か月も過ごすのですから、一緒にいて楽しい人、それに加えて才能ある人、有能な人、仕事に傾倒できる人を必要としていたんですよ、彼は。それがよくわかります。ブラッドとマットはまさにそんな感じだったと私は自分の目で確かめました。二人がマイケル・ジャクソンに対して同じように感じていたというのも疑いないことです。

シルヴィア:2人はマイケルに温かみを与えていたんです。もちろん、二人はとてもプロフェッショナルで才能あふれていますけれど。それからありふれているかもしれませんが、ブラッドとマットが、レコーディングやミキシング、仕上げといった制作プロセスに必要な多くの段取り作業や調整作業について指摘してくれたことも私はよかったと思っています。マットは言っていましたが、創作面や技術面のほかに、巨大な商業アルバムでは、物流や、はたまた曲の番号ふりやネーミングといった作業が必要になってきます。彼が言っていたように、収録曲やテープ・リールの段取りは退屈な仕事ですが、このくらいの規模の製品をレコード会社に納入するには必要な仕事なのです。私自身の編集の仕事の経験からも良く理解できます。ブルース・スウェディーンは、アルバムの制作に必要な段取りや効率を監督する手腕という点においては右に出る者はいません。特にアナログ時代では。

マットの言っていることは、商業アーティストとしてのマイケルの立場をよく表わしています。つまり、実体のない才能といったもの・・・この場合は歌ですが・・・であっても、仕事を進めるために必要な労働力や材料を手配するための効率的なシステムを伴う、資本主義マーケットの合理化プロセスを受け入れざるを得ないのです。そしてそれはいろいろな意味で、いろいろなものが関係しあっています。いずれにせよ、あのすばらしいアルバムたち(そしてショートフィルムも)が私たちに届けられるには、多くの人々が小さな分担を受け持っているんですよ!

エリナー:そうですね、シルヴィア。私たち届けられる過程だけではなく、創作過程そのものも同じです。音楽制作において、サウンド・エンジニアがどれほど大きな役割を担っているかなんて想像もつきませんでしたが、今回多くを学びました。自分の無知を知られたくはありませんが、私はレコーディングのプロセスを、単に演奏や歌を録音し、可能な限り完璧にそのサウンドを再現するということだと考えていました。パフォーマンスはアートだけれど、レコーディングは単にレコーディングだと。

でも彼らの言う事を聞いて、全体プロセスはまったく違っているという一端を知りました。アルバム制作に要するとてつもない仕事の量もね。でもわたしにとってもっとも大きかったのは、多くの場合、彼らは最初からパフォーマンスに関わっていたということです。マイケルのすぐそばにひかえ、彼の音楽誕生にか関わっていたのです。マイケルのアートのビジョンを作り上げることに彼らが献身し、深く関わっていたということに私はとても感動しました。たとえ音のビジョンというものを人が持ち得たとしてもね。彼らとマイケルのつながりはとても深くかつ個人的だったため、マイケルの音楽的なイマジネーションの延長線上に彼らはいたのです。

ウィラ:とても興味深いですね、エリナー。私はポピュラー音楽の歴史について少し調べたことがありますが、レコーディング・プロセスに対するアーティストの考え方は60年代に劇的に変わりました。それ以前はレコーディングのゴールは単にパフォーマンスのスナップショットを捉えるというものでした。エリナーが言うように、「できるだけ完璧に音を再現する」ためです。

でも60年代半ばごろになると、ビーチボーイズの「Pet Sounds」やビートルズの「Revolver」、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のような実験的アルバムがリリースされ、事態はひっくり返りました。バンドは音の実験を始め、ツアーで再現不能な音を創り始めたのです。だから、創作活動の中心がステージからスタジオへ、ライヴ・パフォーマンスからスタジオでの新しいサウンドを生み出すことへとシフトしていきました。こうしたことから、ブラッドやマット、ブルース・スウェディーン、クインシー・ジョーンズといった人々の仕事がとても重要になったのです。彼らは単に、オーディエンスがマイケル・ジャクソンのコンサートで聴くものを再現しようとするのではないんです。エリナーがすごくきれいに言ってくれたように、「音楽的イマジネーションの延長線上」に彼らはいたのです。だから、マイケルのアルバムがスタジオでいかに進化し出来上がったのかをブラッドやマットから詳細に聞けるというのは本当に興味深いことなのです。

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エリナー:そうですね、ウィラ。本当に「ひっくり返り」ましたね。「This Is It」でマイケルが、パフォーマンスは可能な限り、スタジオで作ったものに近づけるようにしたい、アルバムで聴けるものに近づけたいと言っていたのを思い出します。それがファンが聴きたいもの、彼がファンに与えたいもの、と彼は言っていました。

ウィラ:すばらしい例ですよ、エリナー!完璧です。彼は、コンサートでは、ステージでの様子を捉えるよう努めたスタジオ・レコーディングではなく、スタジオで作ったものを再現しようとしていたのです。

エリナー:でも実は、マイケル・ジャクソンの音楽は、レコーディング通りに正確にツアーで再現するのが不可能だった。まず第一に、リードボーカルとバックアップ・ボーカルを同時に歌うことはできませんからね!ウィラの言うように、難題でした。

その8)につづく

「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その6)

ウィラ:興味深い見方ですね、シルヴィア。ビジネスマンとして、業界の第一人者として、そしてアーティストとして、マイケル・ジャクソンはスクリーンの上で描いているヒーローの旅を自分の作品の中でも、つまりスクリーン外で上演しているんです。

シルヴィア:そうです、ウィラ。私もそう思います。

ヴェロニカ:シルヴィア、アフロフューチャーリズムのファッションについて言えば、EOの宇宙服は素晴らしいものでしたね。宇宙船から出てきた時に来ていたステージ衣装と同じくらいに!アルバム「Invincible」のカバー用に作られたアルノ・バニによる彼の肖像もそんな感じに見えます。

リーシャ:こうした神話的な筋書きはエンタテイメントだし面白いので、人間の精神にとってどれほど深く有益かということを見落としがちです。アフリカ系アメリカ人の業績の世界的な影響を考える時、これが単にファンタジーな空想というだけでなく、ディズニーの言葉を借りるなら、この惑星の未来とその先を「想像する」という点において強力な要素となっているのを見出すのは簡単です。

シルヴィア:EOの上演が今でも続き、私たちがセミナーで集まったディズニー・ファンタジーランドのホストを務めるアメリカの州の一つ、フロリダ。ここでこれまでに起きたことを考えると、アフロフューチャーリズムについてのこのような会話をすることは身が引き締まる思いがします。白人男性の若い黒人男性に対する恐れ、暴力・・・そしてその制裁・・・は、いわゆる「人種問題を超えた」世界においても、そして実は、黒人未来主義者のビジョンが上映され称えられ続けている場所(フロリダ)それほど遠くないところでも存在し続けているのです。

リーシャ:同意です、シルヴィア。未来のビジョンに反する例ばかりが目につくというのが現実であり、当然ながらそれは深く失望するものです。

シルヴィア:In the Studio with Michael Jacksonのためにフロリダの空港に着陸してすぐに思ったことは、「ここはジョージ・ジマーマンに無罪評決を下した州だ」ということでした。それに、この一週間、別件の陪審団が、黒人男性ジョーダン・デイヴィスを殺害した容疑の白人男性に対して無罪評決を下しました。Captain EOが、音楽を通じて意識を転換しようと奮闘してきた一方で、被害者ジョーダンと友人たちが演奏していた大音量の「残酷な音楽」に対する容疑者マイケル・ダンの怒りというものを私たちは知りました。そしてこの事例では、私たちを一体にする自信満々だった音楽の力が完璧に破壊されたことを知りました。今までと同じ、根深い人種的偏見、銃による暴力、無知、そして傲慢によって崩壊したのです。過去、現在、未来の間にある緊張感は、この土地で顕在化しました。

ヴェロニカ:素晴らしいポイントですよ、シルヴィア。私たちがエプコットで見た、Captain EOの中で思い描かれたハーモニーとは対照的な、白人とヒスパニックの2人の手による若い黒人男性の死という観点でね。あなたが挙げた事件では、衝突と死の原因が音楽であり、団結という結果にはならなかったのは事実です。でも、だからといってそれが、音楽は団結させることなどできない、人々を転換させてはいなかった、ということを意味するでしょうか?近年の研究では、音楽の癒しの力が示されています。例えば、音楽セラピーは多くの人々を救っています。銃撃被害者の上院議員ガブリエル・ギフォーズもこの中に含まれています。

マイケルは音楽の力と言うものを信じていました。個人レベルだけでなくもっと大きな社会のレベルでの変革と向上のための力として。それが正しかろうと間違いだろうと、あるいは絵空事だとしても、彼は音楽とアートを通じて癒そうと努力しました。これは夢に過ぎない、と考えることは悲しいですが、おそらく現実的なのでしょう。彼が「Earth Song」で歌っているように。

かつて僕は夢を見ていた
星々の向こう側さえも見えていた
今では、僕らがどこにいるのかわからない
どこか遠く流されてしまったようだ


Captain EOでは楽観主義が示されていますが、MJは後に、最初の疑惑の後にリリースされたアルバム「HIStory」で、痛烈な社会・政治批判をもってこれに反対の立場をとっています。

シルヴィア:ありがとう、ヴェロニカ。おっしゃることは正しいと思います。音楽は人々を団結させ、そして世界中のコミュニティを集結させることができるし、そうしているでしょう・・・何世紀にもわたって。でも、ジョーダン・デイヴィス事件が起きてしまったように、ある意味においては音楽は人種差別を引き起こすし、攻撃的態度をとる口実として使われるという程度においては犯罪とさえされるようになりました。でもこれが、アフロフューチャーリズムが人々の心に響く一つの理由だと思うんです。つまり、あまり縛られないあり様というものを想像することを許してくれるんです。そして、マイケルは、音楽やアートを通じてそれを確かに実行していた。あなたのおっしゃるようにね。

ウィラ:そう、彼は実行していた。私にとっては、ジョーダン・デイヴィス事件ですら、恐ろしい出来事ではあるけれど、音楽の力を示してはいると思えますね。音楽は私たちを団結させる。ポジティブな場合もあるし、非人道的あるいは独裁主義的な場合もあるということです。ナチスがワーグナーを使ったのが極端な例です。でも音楽は破壊力があり超越する力があるんです。アメリカの公民権運動やベトナム反戦運動は音楽によって盛り上がりました。最近の例では、プッシー・ライオットがロシアで高まるフェミニスト運動や反・反同性愛運動の最前線に立っています。

音楽は、権力を奪われた人々に、団結し抑圧的な多数派に抵抗する力を与えてくれるんです。このような音楽の破壊的な力はヒップホップの根幹です。これが、ジョーダン・デイヴィスと友人たちが「残酷な音楽」でやっていたことなのです。私が思うに、彼らは支配的多数派を批判し破壊するアイデンティティーを主張するために音楽を使っていたのです。マイケル・ダンは、それを恐れていた・・・音楽の破壊力を・・・だから彼は彼らの車に向けて発砲を始めたのです。

エリナー:そうですね。シルヴィアが言うように、「根深い人種的偏見、銃による暴力、無知、そして傲慢」はフロリダではまだ残っています。彼らはこの国の多数派に属しています。そして音楽は怒りの反応を呼び覚ますことができるのです。マイケルが理解していたようにね。「Black Or White」でマコーレー・カルキンがボリュームを上げた時の父親の反応を考えてみてください。でも私は、世界を変えるために音楽を使うというマイケルの夢をあきらめてはいません。そして彼があきらめていたとも思いません。彼が経験してきたことを考えると、彼があきらめなかったということは大変な驚きです。

ヴェロニカ:そうです、エリナー。夢を持ち続けるという決断と勇気は揺るいだことはなく、他者へもそうするように力を与えようとしていました。「Another Part of Me」で彼は歌います。「これは僕らの使命/やり通すための」。そして彼は、生涯を通じてやり通しました。「This Is It」でもそれがわかりますし、一人一人の責任としての自然環境への愛と保護のメッセージでもわかります。「誰かが?誰かとは?それは僕たちだ。僕たちがやらなければ何も起こらない」。

(その7)につづく

「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その5)

シルヴィア:私はミラーの文を読んだことはありませんが、面白そうですね。ところで私は「ユートピアの潜在性」という考え方についてすこし違った見方をしてみたいです。

リーシャに、MJは黒人のルーク・スカイウォーカーのようだと以前のレビューで言いました。このシリーズはEOが制作された時、まさにポップ・カルチャーに消しようのない足跡を残したところでしたね。そして実は、Captain EOを解釈するという興味深いレンズはアフロフューチャーリズムなのです。アフロフューチャーリズムとは90年代に作られた言葉で、ジャネール・モネイの作品がこれにあたると聞いたことがある方もいるかもしれません。しかし実際にはこれは70年代の文学や音楽、大衆文化の中で明確になり始めていたのです。アフロフューチャーリズムはブラック・サイエンス・フィクションや宇宙論から生まれたものであり、ライターのYtasha L. Womack が言うように、未来と同様過去にも言及しています(実際、彼女はマイケルのムーンウォークを宇宙論の一部として言及しています)。

「古代のアフリカの文化」にあるアフロフューチャーリズムのルーツや、Womackが触れている神話に関しては、「Remember The Time」について考えることも可能でしょう。マイケルの一連の作品の中のさまざまな点において、アフロフューチャーリズムの過去/未来のテーマとの関わりが見られます。EOの他には、ETのストーリーブック、ジャクソンズの「Can You Feel It」のビデオ、それに「Scream」の宇宙船などです。

アフロフューチャーリズムを研究しているヴァロリー・トーマスらは、アフロフューチャーリズムの礎と見なされているミュージシャンには、P-Funk mythology や1975年のアルバム「Mothership Connection」で知られるジョージ・クリントンが含まれると指摘しています。このアルバムには宇宙船に乗って地球にやってきたスターチャイルドというキャラクターが登場します。「Mothership Connection」の中でクリントンは、スターチャイルドは「3Dで大騒ぎ」と歌っています。10年後、マイケルはCaptain EOでそれに答えているんですよ。

ウィラ:それは面白いですね、シルヴィア。私はアフロフューチャーリズムのことは数週間前に初めて聞きましたから、ほとんど知りません。でも私が読んだものからは、いろいろな意味でマイケル・ジャクソンと関係があることがわかります。例えば、アフロフューチャーリズムとして説明される多くの作品は、多文化社会という強い意志のユートピア的ビジョンを提示しています。ポジティブに、楽しくさえある方法で、違うものや異質なものを一つに包み込む社会。まさにマイケル・ジャクソンです。

そしてシルヴィアが言うように、それは未来的ではあるけど過去を否定するものではなく、過去と現在とを未来へ結びつけるのです。「This Is It」の冒頭のライトマンを思い出します。彼は未来の人ですが、過去の重要なシーンを写したビデオ・スクリーンでできた宇宙服を着ています。

ヴェロニカ:そうです。大変重要なポイントです。ライトマンと、そして過去、現在、未来の混じり合いです。私はEOはこの一部であると見ています。実際、ここでの議論は、ハーモニック・コンバージェンスと、1982年に受講した宗教史家のミルチャ・エリアーデの講義を思い出させます。それは「Waiting for the Dawn(夜明けを待つ)」というタイトルでした(そしてご存じの通りEOというのはギリシャ語で夜明けを意味します)。この講義でエリアーデは、今世紀で最も重要な出来事は、非西洋的な、すなわち、アジアと第三世界の精神的伝統の再評価であり、これにはシャーマニズムのような「原始的」な伝統も含まれる、と示唆しました:

非西洋的な精神性の価値や重要性の発見(あるいは再発見)は文化的な革新を表わしています。なぜなら、それは他者との、すなわち、アジアと古代の伝統を代表するものとの対話と相互関係が始まるということになるからです。

彼の見方では、人類は、「歴史を記述することに興味を持つ」こと、世界あるいは魂の中で起きていることに興味を持つこと、という意味で「卓越した歴史上の存在」なのです。物語や想像世界の「欠くことができない必要さ」、それが神話であろうと芸術的な創造であろうとも、そのどれもが「想像の宇宙」を創り出すのです。

リーシャ:アフロフューチャーリズムのレンズを通してマイケル・ジャクソンを見るのはとても魅力的です。例えば、アルバム「HIStory: Past, Present, and Future」に収録されている「Scream」について考察する時などは特に。アルバムのコンセプトがとても面白いと思います。と同時に、映画「Moonwalker」についても私は考えるんです。30年代のクラブのセットが使われた「Smooth Criminal」のシーンでは未来的SF効果で過去と現在がミックスされています。

シルヴィア:「HIStory: Past, Present, and Future」はアフロフューチャーリズムにピッタリ合いますね。このアルバムについては語られるべきことがたくさんあります!

リーシャ:その通り。

ウィラ:同意です。もっと語られてもいいと思います。あなたの言う通りですよ、シルヴィア。アフロフューチャーリズムはマイケル・ジャクソンへのアプローチとしては得るところが多い切り口です。それからリーシャ、「Moonwalker」のSF効果は、それを40年の犯罪映画のスタイルに対して使うことで高められているというのは同意見です。だから私たちはまさに、「過去、現在、そして未来」が混ざり合っているのを見ることができるんです。

リーシャ:「Moonwalker」は「Can You Feel It」で見られるテーマにも合っています。Captain EOにも。エリナーが指摘しているように、マイケル・ジャクソンはCaptain EOの製作にはクレジットされていませんが、全編を通じて彼の影響は確かに見られます。アフロフューチャーリズムの考え方はこれをはっきりさせるための手助けとなります。それから、マイケル・ジャクソンのもう一つのSFアドベンチャー、ビデオゲームのスペースチャンネル5にも触れる価値はあると思います。

シルヴィア:そうです。あなたもお分かりの通り、アフロフューチャーリズムはマイケルの一連の作品を眺めるにはとても便利な切り口です。つまり、私たちは彼の作品の中に過去と未来の関連性だけでなく、彼の明らかな超俗性を観察できるんです。ファンにとっては今も昔も明らかですが。マーゴ・フェファーソンは自著で、マイケルの子供スターとしての尋常ではない経験に触れた章に「Stat Child」というタイトルをつけることで、彼の超俗性(とクリントンのエイリアン?)について触れています。

チャーディン・テイラー・ストーンが書いているように、アフロフューチャーリズムは、Black Diaspora(黒人の離散。実際のところ、暴力的な侵入者によって誘拐され見知らぬ国へ誘拐されたことによって形成された)の人々にとっての変革や可能性をイメージするための宇宙なのです。宇宙、テクノロジー、パワー、ファッション、性別、その他諸々のあらたな関係に思いを巡らすための一つに手段なのです。

EOでは、一人の黒人が、暗黒の女王への贈り物を託されて宇宙船を指揮します。取るに足らない責務というわけではありません。マイケルは独特のやり方でこの任務を遂行します。新たな空間的次元を用いたEO製作という経験と、ディズニーとルーカス(インダストリアル・ライト&マジック)が提供した最高の技術と資力を背景としたリーダーシップ能力においての彼の働きは、スクリーン外でのアフロフューチャーリズムの試みだと考えることも可能だと思います。

(その6)につづく

「Just Another Part of Me」:ブラッド・サンドバーグとCaptain EO (その4)

ヴェロニカ:「Another Part Of Me」は後に、アルバム「Bad」用に拡張されました。1987年リリースです。Badツアーでは、マットによると、この曲で観客がワイルドになったそうです。先日のセミナーでは「Streetwalker」ではなく「Bad」が選ばれたのはなぜかという質問が出ました。Captain EOに絡めるというのもあったかもしれませんが、一番の理由は、曲調とかテーマが「The You Make Me Feel」と似すぎているからではないかということでした。

リーシャ:そう、参加者の一人がその点を挙げていましたね。「Streetwalker」は「The You Make Me Feel」とテーマが似ていて、そのために、アルバム用のチョイスとしては「Another Part Of Me」の方がふさわしいという結果になっているって。私たちは「Streetwalker」の初期デモを聴く機会を得ましたけど、後のバージョンに負けないくらい素晴らしいと思いました。マイケル・ジャクソンが「Streetwalker」をアルバム「Bad」にどんな風にしてフィットさせたか聴いてみたかったですよ。

私としては、ライブの「Another Part OF Me」がどれほど一般受けが良かったかをマットとブラッドから聞けたことが大変興味深いことでした。コンサート用の一般受けのいい素材がマイケル・ジャクソンには欠けていた、というようなことではなかったんですよ!だから、一般受けという点から見て「Another Part Of Me」が傑出していた、ということを知って驚きました。

ヴェロニカ:ジョー・ボーゲルは「Another Part Of Me」を「宇宙的シンセ・グルーヴ、世界の平和と調和をもたらす音楽の宇宙的パワー」と評していますね。1987年に起こった惑星のハーモニック・コンバージェンスとも関係があります。歌詞ではこう触れられています。

惑星たちが並んでいる
僕らは輝く日々を実現しつつある
惑星たちは並んでいる
きみたちを待っているんだ

ウィラ:面白いですね、ヴェロニカ。知りませんでした。不思議に思っていたんですよ。「惑星たちが並んでいる」のくだり、並ぶというのが何を意味するのか。

ヴェロニカ:1987年の8月は、太陽系の8つの惑星がグランドトラインの形に並びました。この並び方は、ホゼ・アグエイアスによれば、コンバージェンス・イベントのキーとなる先導役なのだそうです。マヤ歴の2012年のあの日を迎える前、浄罪の期間へと導くための。そして、戦争から平和へとエネルギーがシフトすることを示していると。そう、まだそれは起きていません。でもMJが私たちに「大いなる愛(major love)」を送ってくれたこと、私たちと彼とは同体(訳注:原文はanother part of him)であり、お互いにつながった世界家族の一員だと考えてくれたことを私はとてもうれしく思っています。

私はコンバージェンスを祝う地元の集まりに出席しました。1987年の大きな出来事でしたが、皆さん覚えてますか?

エリナー:ええ、ヴェロニカ。よく覚えています。

シルヴィア:ええ、覚えていますよ。

エリナー:私は当時アラバマ州のハンツビルに住んでいました。ハンツビルのダウンタウンにはコンバージェンスを祝う集まりがありました。マイケルが「Another Part Of Me」の歌詞でハーモニック・コンバージェンスについて触れているのかどうかはわかりません。であればとても魅力的ですけどね。幾重にも重ねている感じですが、もちろんパーフェクトに合っていますね。

ヴェロニカ:重要な世界規模の文化的現象でしたね。そして新しい夜明け、新たな進化のサイクルへのシグナルだと言われていました。アグエイアスは人々に対し、神聖なる側、夜明けの側に集まり、世界的規模では初めてとなる統一された集合意識という機会に、癒しと平和の視点を持つよう求めました:

物事が変わらなければならない時がやってきます。振動のシグナルは送られました。シグナルはどこからやって来たのか・・・遺伝の暗号からでしょうか?地球からでしょうか?宇宙からでしょうか?あるいはこれらすべでしょうか・・・シグナルは発せられ、人々はシグナルに応えました。一つの種が、移動様式の方向を変えるシグナルを得た時とよく似ています。このシグナルは、「地球に帰れ・・・この惑星上に平和が欲しいのなら、地球に帰れ」というものでした。

アグエイアスは、人々の一致団結した思考と感性のポジティブで平和的なエネルギーは地球の周りに「周極の虹の橋」を作りだすと信じていました。曰く、「これはポジティブな視覚化です。地球の周囲の虹の橋は完全なる癒しのイメージです。これは地球の癒しです。私たちの心の癒しです。そして私たちの命の癒しです。短時間での進化なのです」。



ネイティブ・アメリカンに広まっていた「虹の戦士」のお告げというものがあります。「虹の戦士」は地球を救うために出現するというのです。「鳥たちが木から落ち、川は毒で汚され、そして狼たちは森で死ぬ。そういう時がやってくるだろう。だが、虹の戦士たちが現れ、世界を救う」というものです。Captain EOがTシャツに虹を使っているというのはとても興味深いことです。光り輝いてさえいます。彼があの惑星を去る時、彼の乗る宇宙船の周囲には虹が輝いています。

そして、それからそれほど長くかからずに、予期せぬ形でいくつかの変化が起きました。ベルリンの壁の崩壊、ソ連の瓦解、ネルソン・マンデラの釈放と南アフリカのアパルトヘイトの終了です。2012年の時点では、大規模な民主化暴動がエジプトやウクライナ等いろいろな国で発生し、不正・暴虐な政府に対して抵抗運動が起きています。同性婚や大麻の合法化の拡大ということも起きています。MJが想像していたような意識の変革というものが起きつつあるのかも?

エリナー:そうですね、シグナルが発せられたんですよ。マイケル・ジャクソンから!

ヴェロニカ:それは面白いですね、エリナー!Captain EOについてさらに言うとすれば、クリストファー・R・スミット編の「 Michael Jackson: Grasping the Spectacle」でカール・ミラーが書いた「‘We are Here to Change the World’: Captain EO and the Future of Utopia」という章では、MJとCaptain EOの興味深い類似点が挙げられています。ミラーはCaptain EOで描かれているMJを一種のサイボーグを表すものとして見ています。動物と人間、機械が混合したもので、終わりのない未来を示す、超越した複合体ということです。MJは、「典型的なポストモダニズムである、ユートピアの潜在性の人格」なのです。暗黒の女王の世界は、私たちの世界が近づいているものと実は近いのです。だから、Captain EOによる暗黒の女王の世界の「書き換え」は、ディズニーのテーマパークでのCaptain EOの再登場にもつながった、MJのレガシーの歴史的再評価と似ているのです。すなわち、「Captain EOの再上演は、ジャクソンのアートの変革を誘起する側面を証明し、現在も通用することを証明した」ということです。

その5)につづく
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